10.逆転、そして逆転

 地下鉄の線路内はそれなりに明るかった。

 そこかしこに生い茂った光苔が通路をぼんやり照らし、松明を用意するまでも無い。

 頼みの発光虫は飛ぶ速度が速くないため、全力疾走するとついてこれないのが大きな欠点なのでこれは助かる。


 僕は必至で更紗に追い縋りながらも、要所にトラップを仕掛けていく。

 吐いた糸に触れた獣に取り付き毒殺する釣糸蜘蛛。周囲の魔力を感知して爆発する魔力地雷。衝撃感度の高いニトロリキッドも、静かに地面に撒いておけば踏んだ衝撃で爆発を起こす罠としても使える。

 これらは全て僕が調合、採集した代物で、市場には出回っていないためそうそう警戒されることも少ない。



 本当はこんなことをするより逃げるのに専念すべきなのかもしれないが、レベル1の僕ではどうしても体力値的に更紗と同じペースではついて行けず、こうして僅かな休憩を利用して万が一に備えている。

 最悪なのは無事スカーレットを倒して僕たちを追って来た炎王がトラップにかかることだが、それは無いと考えている。

 あのスカーレットという男は、インペリアルが誇る最強の戦闘集団円卓の一員で、直接敵対したことは無いが、プレイヤーの成長を最初期から見てきた僕にはその強さを十分に理解できた。

 炎王の強さの全容は測りかねるが、無事に済む相手とは思えない。世界各地を回り生存能力に長けた炎王だからこそ、僕たちの逃走成功に合わせて戦線を離脱してくれるだろうと期待した。


「そろそろ区の境界線です。ここから先は亜人種の支配する文京区ですので、異界人である薬師さまは気を付けてください」


 文京区の地下はまだプレイヤーの手の入っていない場所だ。地下とは言えどんなモンスターや亜人種が根城にしているか分からない。

 そう考えていると予想通り、奥から見たことも無いモグラのような体長2メートルほどのモンスターが湧いて出てくる。

 ぼくはモンスターも可能な限り殺さない主義だが、いま僕がリスポーンすれば残された更紗がこいつらの餌食になってしまう。どうしたものかと考えた瞬間、背後で連続した爆発音が響き渡る。


「薬師さま……まさか…………!」


「炎王じゃない。彼なら少なくとも魔力地雷は反応しないはずだ」


 音の発生源はどんどん近くなり、その感覚も短くなっている。


「薬師さま……!!」


 突然更紗は僕に飛びつきそのまま二人して倒れこむ。

 その頭上を、通路を埋め尽くすような巨大な炎塊が通過し、僕らに牙を剥こうとしていたモグラのようなモンスターを焼き尽くした。

 そして辺りにまだ燻り続けている炎に導かれるようにして、予期していた姿、スカーレットは現れた。


「いやはやまさかこれほど多種多様なトラップが存在するとは。さすがは最高位の錬金術師、真正面から戦う事しか頭にない脳筋には倒せないわけだ」


 そう言う割には無傷だったが、トラップ自体は避けられなかったのか紅い高級そうなケープはホコリに塗れ、ところどころ破け煤けている。


「炎王はどうした?」


「一瞬でしたよ。炎に包まれて今頃は灰になっているでしょうね」


 死んだというのか、あの快活で生の塊のような男が?

 ブラフの可能性も捨てきれないが、それを考えるより今はやらなければならないことがある。


「更紗、すまないけどここから先は一人で行ってくれ。君の脚なら全力で走れば逃げ切れるかもしれない」


「薬師さま……とと様は…………」


「お願いだ。炎王は生きている、そう信じて今は走って」


『慈悲の女神よ、大いなる御手で罪人を包み給え』


 スカーレットが大手を振ると、小さな可視のシャボン玉のようなものが発生し、瞬く間に膨張して自信と僕と更紗をその内部に包み込んだ。


「結界か――――」


「貴方はそのオーガの子供にご執心のようだ。それがこちらにあれば、いろいろと喋りたくなるんじゃないですかね?」


 この密閉空間では爆発物で壊すのは危険だ。だがそれは同時に相手も大規模な魔法は使えないという事だ。


「丁度いい。退路は断たれたが、これなら僕にも勝機がある」


 懐からピルケースを取り出し、中に入っている色とりどりの錠剤を一粒ずつ飲み下す。


「……なんですかそれは?」


「ドーピング剤だ。取って置きのね」


 そう答えるなり僕は一足飛びにスカーレットの懐に入り込み、腹部に渾身の右フックを撃ち込んだ。


「――――――っかは!?」


 幸いなことに炎王の不意打ちを防いだ魔法障壁は張られていなかった。おそらくここに来るまでのトラップで全て剥がれてしまったのだろう。

 続けざまに足払いをかけ、体勢を崩したところに今度は全力の掌底を打ち抜く。

 弾き飛ばされたスカーレットはそのまま自身の作り出した結界に打ち付けられ、膝をついた。


「ド、ドーピング……だと? 信じられない。最高位の魔導師でもこれほどのエンチャントは不可能だ……!」


 当たり前だ。ノーリスクでステータス強化できる強化魔法と違って、こちらは薬物で強制的に身体能力を上げているだけなので、その反動は数日はまともに動けなくなるほど凄まじい。

 僕の身体に合わせて成分を調整しているので他の人間にも使えない。実験中何度も配分を失敗して死んでるほどだ。

 効果時間ももって数分、しかも時間が経つほどに効果は薄まっていく。

 だから、殺るなら即殺だ。


スカーレットはなんとか反撃しようと右手を掲げ、魔法を詠唱しようとする。


「その無駄に長い詠唱が命取りだ」


 さらに距離を詰め、掲げた右腕を払い、顔面にストレートを撃ち込む。

 このゲームにおける魔法の発動は、効果に合わせて自身が設定したジェスチャーと、魔法レベルによって決められた文字数以上の詠唱で効力を発揮する。最低レベルで8文字以上。現状知る最高レベルでも30文字少々というところだが、この男の詠唱は効果の割には明らかに長すぎる。

 こだわりなのか格好つけたがりなのか知らないが、戦闘を前提とするにはあまりにも愚かな行為だ。


「さあ、コンティニューの時間だ」


 トドメを刺そうと最後の一本になったニトロリキッドを取り出す。


「ま、待ってくれ……」


 片手を振り、静止を促してくる。

 その言葉に一瞬とは言え反応してしまったのが失敗だった。





 その言葉が魔法の詠唱だと気付いたときにはもう遅かった。

 文字数からして高位レベルの魔法は僕を中心に発動され、圧倒的な重力がドーピングされた筋力でも持ちこたえられない程の自重となって地面に貼り付けにされる。


「薬師さま……!!」


「更紗……逃げて…………」


 周囲を覆っていた結界はすでに消えている。おそらくのこの重力魔法のせいで同時に維持することが困難になったのだろう。

 だから今なら更紗は逃げられる。


『落人には安寧の氷を与えよう』


 更紗を狙った氷結魔法はその足と地面を凍らせ、逃亡を妨げた。

 スカーレットはすでにポーションで回復し、ほとんど無傷の状態まで戻っている。


「ふう、流石に死ぬかと思いましたよ。ですが三度も撃ち込んで殺せないとは、いくら爆発的な強化とは言っても素手で戦うには基礎ステータスが低すぎたようですね」


 確かにこれは完全に落ち度だった。

 せめて初手からダークで切りつけておけば殺せたかもしれないのに。

 ドーピングの力を過信して判断が甘くなっていたのは僕の方だったようだ。

 今はこの状況からどうやって更紗を逃がすか、それだけに集中するべく思考を切り替える。


「トラップといいドーピングアイテムといい、初めて見るものばかりだ。素晴らしいですよレベルワン! インペリアルに引き渡すのは止めました。貴方は私の専属の錬金術師になっていただきましょう!」


「……冗談だろう。僕が君に協力するとでも?」


「しますよ、だって貴方はNPCが大好きなんでしょう?」


 そう言うとスカーレットは更紗に近づき、風の魔法で彼女の腕を切り裂いた。


「――――っう!?」


「やめろ、なぜそんなことができる? このゲームのNPCはちゃんと自律思考してるんだ。何より相手は子供だぞ」


「いかにもAI人権論者の言いそうなことです。でもどれだけ感情移入できる物語の登場人物がいたとしても、それはよくできた人格キャラクターでしかないんですよ。人間の欲望のために生まれたそれらが、その目的のために殺されるのはもはや義務です」


 気分が悪くなるほど聞き飽きたようなセリフだ。

 同じ『殺す』という言葉でも、グリムとは全く違う。目の前にいるのは僕が最も唾棄すべき人間だと確信する。


「……その子を逃がしてくれ。それで協力を約束する」


「はははは! いやいや、ログアウトしていつでも逃げられるプレイヤーとの取引を信用するわけないでしょう? このオーガは私が飼います。本来ゲーム内で人質なんて何の意味も無いのに、貴方には随分と効果がありそうですからね!」


 脳内を不快感が覆いつくす。

 僕はこれまで知能を持つNPCが殺されるのを理不尽だと感じて、ただそれを回避すべく行動してきた。そのためには頭を下げるし、卑劣な手も使う。

 だが今はどうだ。本来ならこの場は更紗の安全を考慮して大人しく従い、機を見て助けるのが最善のはずだ。

 にもかかわらず僕はいまこの男を殺したい気持ちで溢れている。


「……薬師さまは、いま怒っているのですね」


 更紗は表情の変わっていないはずの僕の顔をじっと見つめながらそう言った。


「どういったやり取りかは解りませんが、薬師さまが更紗のために怒って下さっているのは理解できました」


 そう言いながら髪に刺していたかんざしを手に取る。


「更紗も怒っています。とと様を手にかけ、薬師さまにそんな顔をさせるこのひとは、更紗が殺します」


 皮膚が千切れるような嫌な音をさせ、更紗は地面に凍り付いていた足を力づくで引き剥がし、手に持ったかんざしをスカーレットに向けて振りかぶる。

 それは惜しくも首筋を掠める形で終わり、スカーレットの蹴りによって更紗は地面を転がり僕のそばに倒れる。


「くっ、ガキが! どうやら人質にする前に手足の一本くらい潰しておいた方がよさそうですねえ!」


「あたりました。やっぱりその魔法の壁は、『武器』にしか反応しないんですね」


「更紗……?」


 武器にしか反応しないとはどういうことか。スカーレットの魔法障壁はトラップによって破壊されていると思っていたが……。


「あの男は現れた時から魔法の壁を張っていました。鬼の角は魔力を感知できますからわかります。薬師さまの素手での攻撃が通ったのでもしやと考えましたが、当たりだったようです」


 確かにそれならスカーレットのケープが破損していた理由は理解できる。

 初手のトラップだけをまともに食らい、それ以降は出会い頭に放ってきたような広域魔法で強引に突破してきたのだろう。

 だがそれが分かってもどうにもならない。いくら魔導師が近接戦に弱いとは言え、更紗とスカーレットではあまりに基礎ステータスに差がありすぎる。たったいま軽く蹴り飛ばされたのを見てもそれは明らかだった。


「それでもやっぱり君は逃げるべきだ。僕を拘束している間はあの男は高位魔法は使えないようだ、君の脚ならきっと逃げ切れる」


「心配していただいてありがとうございます。でも薬師さまを置いて逃げるわけにはいきません」


 こうして話している間にもスカーレットはこちらに近づいてくる。

 どの魔法でいたぶってやろうかと考えているような邪悪な微笑みを浮かべて。


「炎王にも言ったけれど、僕は死んでも生き返れるんだ。君が無事に逃げられたら何も問題は――――」


「とと様は仲間を見殺しにする人は嫌いだと言いました。更紗も同じです。薬師さまは更紗ととと様の……仲間ですから!」


「……………………」


 僕の言うことを信じていないわけでは無さそうだ。

 この親子は昨日出会ったばかりの僕を信じ、仲間だからと無条件で守ろうとしている。

 ただの一プレイヤーにしかすぎない僕を、たった一つの命を賭けて。

 だが無慈悲にもスカーレットは指揮者のように腕を振るい、その口はすでに10文字以上の詠唱を唱え終わってしまったところだ。




「よおおお言うたぞ更紗あああああ! 流石は俺の自慢の娘じゃあああああ!」




 スカーレットの腕から極太の竜頭を象った氷塊が生まれ、更紗に食らいこうとするその瞬間、地下線路中に響き渡るような大声が背後から聞こえた。

 それと同時に、僕の背後から飛んできた槍状の青白い炎が氷塊を融解させ、その先に立つスカーレットの魔法障壁に当たって掻き消えた。


「チィッ!? 次から次へと……何者ですか!?」


 スカーレットには分からないだろうが、僕と更紗にはその声が誰のものであるのか一瞬で理解できた。

 こんな独特なしゃべり方をする奴を、僕たちは他に知らない。


「灰になったと聞いていたけど、元気そうで安心したよ」


「はっはあ!、鬼火っちゅう言葉を知らんがか? もともと鬼は火に対して耐性持っちょるき! それに加えてこれも貰ったしのう」


 流し着のあちこちに焼け跡を残しながらも、僕の渡した魔法耐性アミュレットを掲げ、威風堂々と炎王はその姿を現した。

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