8.グリムの殺意

 プレイヤーのガーデン中枢に当たる政務区画の内部に入るのは僕も初めてだった。

 政務区画自体はリスポーンとスタート地点を兼ねる《ゲート》が存在するため何度もお世話になっているが、ゲートのあるインペリアルのギルドタワーから区画外へと至る通路は一本道で、かつ高い壁によって囲われているため、居住部分や行政担当部分はほとんどの一般プレイヤーには縁が無い。

 何故このようないびつな構造になっているかと言えば、ゲートは何よりも優先して守るべき存在でありながら、誰もが必ず利用しなければならないと言う葛藤を抱えているからである。

 そんないわゆる上級プレイヤーの住まう通称貴族街は、予想していたよりもはるかに質素だった。

 もともとあったビル街の残骸を縮小整理しただけのような建物が立ち並び、その片隅の五階建て最上階にグリムの家はあった。

 ドアをノックすると、まるで待ち構えていたかのように顔を出して来る。


「い、いらっしゃい先輩! まさか先輩の方から家に来たいなんてでもやっぱり二人っきりはやっぱり緊張するというかなん……と、いう……か?」


 早口でまくし立てたグリムは僕の後ろに立つ二人を見てそのまま硬直した。


「あー、うん。わかってましたけどねー。よくあるラブコメの勘違いパターンですよねー。でも私は大人なので勢いに任せて先輩をぶん殴ったりはしないので安心してください……」


 死んだ魚の目で怖いことを言ってくる。

 グリムの筋力値で殴られたら多分僕は即死して、ラブコメどころかスプラッター映画一直線だ。


「それは、ありがとう。あと昨日見逃してくれた件も感謝してる」


 がっくりと肩を落としながらも室内に案内してくれる。内装は壁がすべてぶち抜きで、階層まるごと一室になっているので入り口の見た目に反して中はかなり広い。

 壁は舗装されているので廃墟感は無いが、必要最小限の家具だけを設置している様子は彼女のミニマリストぶりをよく表している。

 強いて言えばキッチン周りだけは妙に充実しているようだが、意外と料理好きだったりするのだろうか。


「それで、後ろのお二人はどなたなんですか? まさかぼっちの先輩がパーティーメンバー何て言いませんよね?」


「まずは紹介する前に騒いだりいきなり攻撃を仕掛けないと約束してくれ」


「なんですかそれ、しませんよ。ひとをバーサーカーみたいに言わないでください」


「二人とも、フードを取っていいよ」


 僕の発言を聞いて二人は隠していた亜人種の証と言える鬼の角を露わにする。

 それを見たグリムは確かに騒ぎも攻撃もしなかったが、「マジかよこいつ何考えてんだ」と言いたげな顔で僕に抗議してくる。


「よう! 昨日は世話になったのうお嬢ちゃん! 俺ぁ炎王言うもんじゃ! 機会がおうたらまた相手しちゃってや!」


「昨日はお目こぼしいただきありがとうございます。更紗と申します」


 二人の言葉は通じていないので改めて昨日の経緯も含めてグリムに説明する。その際僕の保有する《全規制解除フルキャンセラレーション》についても話すことになったが、それ自体は察していた部分があったのか、グリムは特に驚くことも無く「やっぱりなー」みたいな顔で聞いていた。

 僕としてはこのスキルについて他人に話すのは初めてなので、もう少しリアクションが欲しかったところだが。


「いや、むしろそういうスキルを持ってる方が納得いきますよ。先輩のNPC贔屓は傍から見たらちょっと異常なレベルでしたもん」


「それで、二人とこうして顔を突き合わせてどう思う?」


「人間並みのAIを持ったNPCですか……まあ先輩が私に嘘をつかないのは大前提なのでいいんですけど」


「彼らの思考は人間と一切変わりがない。それでもグリムはNPCを殺せるか?」




「殺せますよ」




 グリムは一切の逡巡なくそう言い切った。

 正直その答えは僕にとってショックと言えるものだった。彼女はゲームをゲームとしてプレイしているだけであり、NPCに意思があると分かればためらってくれると考えていたのだ。

 実際、炎王を殺さないよう頼んだ時、彼女はそれを聞き入れてくれた。しかしそれは“僕が頼んだ”だけで彼女の意思ではない。


「先輩、私が“所詮NPCだと思ってるから殺せるんだ”って考えてるでしょう? 違いますよ。この二人が例えばプレイヤーで、殺したら現実でも死んじゃうタイプのデスゲームだったとしても、私は殺せますよ。だって、この世界はそれが許されてるんですから」


 背筋が凍る思いだった。

 ただのアバターであるはずのグリムの眼は、その言葉に一切の嘘偽りの無いことを直感的に悟らせてくる。

 彼女は僕とは正反対の意味で人間とAIを区別していない。

 僕はAIを人間と同じ位置まで引き上げるべく行動するが、彼女にとっては人間がAIと同じ位置まで引き下げられているのだ。


「のう、何の話をしゆうがな? このお嬢ちゃん、いきなり殺気をばらまき始めよったぞ……!」


「薬師さま、何を話しているのかはわかりませんが、更紗たちのせいでその方と仲違いをしたのなら訂正してください。薬師さまに迷惑をかけるのはとと様も本意ではないはずです……」


 戦闘特化のオーガらしく敏感にグリムの気配が変わったのを察した炎王はいつでも刀を抜けるよう構え、更紗は怯えるように僕の手を掴み仲裁を試みる。

 実際問題、グリムがこの場で二人を殺そうと思えばそう難しいことでは無い。

 四方を囲まれた屋内で炎王の野太刀は十分に力を発揮せず、僕の戦術を知り尽くしているグリムには奇策も通じない。


「グリム、悪かった。今頼んだことは撤回するよ。だからこの二人を殺すのはやめてくれ……」


 僕はかくはずのない冷や汗が流れるような気分で、とりあえずこの場を逃れることを優先した。

 昨日まで軽口を叩いていた相手が豹変し、殺意を露わにするというのはこれほど怖気のするものなのか。

 だが彼女はそれまでの殺意が嘘のように再び表情を反転させて笑った。


「やだなぁ先輩! 私は“殺せる”って言っただけで“殺す”とは一言も言ってないじゃないですか。少なくともこの二人はぼっちの先輩と仲良くしてくれる優しい人たちじゃないですか。そんな人を殺したりしませんよ!」


 一気に緊迫感が霧散し、そこには僕の良く知る朗らかな笑顔が特徴の彼女が戻っていた。


「えーと、それで炎王さん達は亜人と人間の戦争を止めたいんですよね? そのために人間代表プレイヤーであるインペリアルのギルドマスターに会いたいと。うーん、でも私もそんなに重役ってわけじゃないですし……うん! でも先輩の頼みですし頑張ってみます!」


「信用……してもいいのか?」


 先ほどの豹変による違和感がまだ抜けていない僕はついそんな風に聞き返してしまう。

 僕とグリムはそこそこ長い付き合いで、お互いをある程度理解していると思っていたが、その認識が誤りだったと気づいた状態では素直に信じられる動機が完全に消失してしまっていた。

 自分も全規制解除フルキャンセラレーションスキルのことを黙っていたのに都合のいい考えだと我ながら気が引ける思いだが。


「あはは~、やっぱ引いちゃいましたよね……。でも嘘って好きじゃなくて、今まで聞かれないから言わなかったけど、そういう奴なんですよ、私……」


「……いや、僕が悪かった。NPCを殺すなっていうのは僕の勝手な意見だ。たとえ嫌でもそれを強制できる権利は無い」


「あはは、ごめんなさい。でも善処はしますよ。もともと先輩がNPC狩りを嫌ってるのを知ってたから、ガーデンの治安維持官なんてやってたわけですしね」


 何と言っていいのかは分からないが、彼女が僕を信頼してくれていること自体は間違いないと感じる。

 ならば僕にできることはなるべくその信頼を裏切らないようにするだけだろう。

 彼女の考えを無視し、僕に同調して味方になってくれると考えたのはただの甘えだった。


「炎王、更紗、怖がらせてごめん。とりあえず話はまとまったよ」


 僕は会話の内容が分からず未だに警戒を続けている二人を振り返って安心させる。


「ふう、まっことひやひやさせるのう。まあ原因は俺じゃあ、迷惑かけちょったらすまん」


「……ぐりむさまとは仲直りできましたか?」


「ああ、大丈夫だよ更紗。僕たちの頼みも引き受けてくれるそうだ」


「安心しました。更紗たちのせいで薬師さまが友人を失うのは悲しいですから」


 自分たちのせいで迷惑をかけたと気まずそうな二人だが、やると決めたのは僕の意思だ。二人が気に病む必要は無いと念押ししとりあえず今日は引き上げようと席を立つ。


「あれ、ちょっと待ってください! もう帰っちゃうんですか!? 私先輩が家に来るっていうから朝から頑張って料理とか作ったんですから食べてってくださいよ! ほらほら、多めに作ったから炎王さんと更紗ちゃんの分もちゃんとありますよ!」


 そう言いながら僕たちをテーブルまで案内し、そこに次々と料理を運び込んでくる。

 魚、肉、野菜、色とりどりの食材を使った料理の食欲をそそる香りは、僕はともかく二人には耐えがたい誘惑として映ったようだ。


「おお! これが南蛮、いや、異世界の料理かや! どれもまっこと美味そうじゃあ!」


「ごくり。あ、いけません。とと様の味気ない丸焼き料理しか食べられなかった更紗には刺激が強すぎます」


 そうして結局四人で食事を頂くことになった。

 その間僕が通訳として間にいたとはいえ、三人――――特に炎王とグリム――――は意外と気が合ったようで、先ほどの緊張感が嘘のように打ち解けていた。


 そして《貴族街》の出口まで見送ってくれたグリムとの別れ際、僕はふと気になって無神経な質問を投げかけてしまった。


「リアルの君は、いったいどんな人間なんだい?」


 答えてくれるとは思っていないが、先に聞いたグリムというキャラクターの奥にいる人間とはどういうものか興味が出てしまっただけだ。


「リアルを一切語らない先輩がそれを聞きますか? うーんそうですね、例えば――――」


 グリムは唇に手を当てて、イタズラっぽく笑いながらこう言う。


「殺人鬼です……なんて言ったらどうします?」


 それだけ言って、彼女は楽しそうに真っ暗な道路をステップを踏みながら帰っていった。

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