2.ゲームオーバーの世界

 再び目を開いたとき、そこは何もない空間だった。

 足の裏に大地の感触は無く、背中に感じるベッドの暖かさも無い。

 瞼越しに感じる陽の光や、耳をつんざく目覚ましの音すらも恋しくなるほどだろう。

 苦痛が生きている証であれば、一切を知覚できない現状は、確かに死んでいるのと変わらない。


「だからこそのデスペナルティか」


 竜種に脳天から押しつぶされゲームオーバーとなった僕は、復活リスポーンまでの数十分間、この死んだ世界で漂うことになる。

 『死』に臨場感を持たせる趣旨だろうけど、たしかにこの空間はそう何度も体験したいものではない。いっそこのままログアウトしてしまおうかとも考えるけど、現実に戻ることは僕にとっては時間の浪費にしかならない。

 大人しく死んだ世界を満喫するとしよう。どうせすぐにやかましいあいつがやってきて退屈を紛らわしてくれるだろう。

 デスペナ用のマスコット。この空間の唯一の住人、自称『生命の使徒』を名乗る彼女の顔を思い浮かべ、やや気が重くなる。


「バッドモーニング!! ようこそゲームオーバーの世界へ! 皆様のアフターデッドをサポートするため参上いたしましたぁ♪ 今回の冒険はいかがだったかしら? なになに? 文字通り死ぬ思いをしてきたって? ご安心くださいお客様ぁ! アナタ様の生命なんていくらでもリサイクル可能な紙屑ほどの価値しかないのだからして、心逝くままに無様な死に方をしてこのアタシを楽しませてくださいな♪」


 すべてが失われた世界に、何度聞いたか分からない芝居がかった挨拶が響き渡る。

 見た目だけで判断するなら歳は十四~十五歳くらいの少女だ。しかし蝋のように白い肌、シルクのように艶やかな白い髪。飾り気のない白いワンピースを纏い、隅から隅まで白一色で統一された中で唯一、黄金と見紛うばかりの色彩を放つ二つの瞳が、彼女を人間の年齢で測るべきではない異様な存在だと感じさせる。

 この『生命の使徒』と名乗るNPCノンプレイヤーキャラクターは、死ぬ度に姿を現してはこのようにふざけた調子で話しかけてきていた。


「相変わらず煽り成分たっぷりな口上をどうもありがとう。よくこんなサービスで運営会社が潰れないのかと、僕は常々不思議に思ってるよ」


「ざ~んねん♪ 当ゲーム『アポカリプス』は個人製作による完全無課金コンテンツですので、クレームやご要望の類は一切受け付けておりません! まさに「嫌ならヤメロ」の精神でご提供させていただいておりまぁす♪」


 嫌ならやめろか。確かにその通りであるはずなのに、僕は未だにこのゲームにしがみついている。

 ゲームを始めたての頃が楽しかったのは事実だが、環境が変わっていくのは現実でも仮想でも変わらないことだ。

 本来なら僕もそれに合わせて順応し、人類のため他種族と戦うというロールプレイを楽しむべきなのかもしれないと考えることもある。


「それにしてもアナタはよっぽど死ぬのがお好きみたいねぇ。もしかしてアタシに罵られたくてわざと自殺プレイに勤しんじゃう変態さんですかぁ?」


「笑えない冗談だよ。お前こそ僕が来るのを心待ちにしていたんじゃないか? 他人ひとが死ぬたびにはしゃぎながら現れやがって」


「あはははは!! 業腹だけどその通りだわ! アタシの可愛い子供たちを殺すプレイヤー達が無様に死んだところに『ねえねえ、今どんな気持ちぃ?』って煽ってやるのって最っっ高に気持ちいいわぁ♪」


 『アタシの子供たち』、と言うのは彼女の設定からくる言葉だろう。

 この世界には『使徒』と呼ばれる複数のゲームマスターがおり、彼女はその中で生命を生み出した、解りやすく言えばNPCを作り出したゲーム生成用のゲームマスターキャラクターなのだそうだ。


 これだけ詳細な作りこみのゲームを愛無一人で作れるわけがないとは思っていたが、AIを利用しての自動生成技術を応用していたのだろう。


「それではお客様ぁ、恒例のステータスチェックのお時間ですよぉ!」


 彼女はそういうと僕の胸に手を当て、強制的にステータスウィンドウを開かせた。

 こんなことは他のプレイヤーはもちろん、NPCにもされた覚えはない。

 さすがはゲームマスターと言ったところだろうか。もっとも、何のためにこんなことをするのかは全く理解できないが。


「PK数4増加。死亡回数1増加。戦闘経験値は0でレベルも1のまま。ふふ、相変わらこのスキルはアナタにとって病のように心を蝕んでいるようね」


 ステータスウィンドウの上を小さく華奢な指を滑らせた先にはこのように表記してある。


常時発動型技術パッシブスキル : 全規制解除フルキャンセラレーション


 このゲームにはプレイヤーを保護するいくつかのフィルター機能が存在する。

 グロテスクな表現に視覚制限をかける視覚加工。性行為や拷問などの残虐行為を禁止する行動規制。痛覚を緩和する痛覚減算処理。

 そしてNPCや他プレイヤーとの意思疎通を阻害する言語の暗号化。

 その他意図的に調整可能、不可能なものを問わず、あらゆるフィルター機能を解除する、見方によっては呪いとすら思えるものが全規制解除フルキャンセラレーションというスキルである。このスキルは初めてステータスウィンドウを開いたときから――――おそらくプレイ開始時から――――所有していた。


 僕は一人の少女――――マリスと言葉を交わし、そこに意思があると理解してからこのゲームの生命と言えるものを一切殺せなくなった。ゆえに未だにレベルは1のままだ。

 なぜ僕にだけこんな迷惑なスキルが付与されたのか分からず、以前バグではないかと愛無に連絡を試みたことがあるが無視された。


「これのせいでアナタにとって、このゲームは現実とほぼ変わらない仕様になってる。切れば血が出るし、高度なNPCは人間との区別も無い。でも考えようによっては全ての自由が許されたという事。いっそファンタジー世界に召喚されたと思って原住民を口説いてハーレムでも作ってみるのはいかがかしら?」


「下品なやつだな。もう少し慎みを持て」


「あはははは! いま本気で不快そうな顔になったわね! アナタが感情を顔に出してるの初めて見たわ! NPCに同情はするくせに、情愛は抱かないんだ?」


「誰にでも同情するわけじゃない。でも殺されそうな人がいたら、助けるのが人間の振舞いだと……僕は思ってる」


「人じゃないわ。NPCよ」


「知能があるなら、それは人と変わらない」


 彼女はまるでそう言わせたかったかのように、僕の返事を聞いて満足そうに笑った。

 もっともその笑顔は微笑みというよりは策士が罠にかかった獲物を見るようなようなしたり顔だったが。


「それにしても今回はまた随分と派手に死んだわねぇ? まるで夏にたゆたう羽虫のように脳天から爪先まで一撃でぐしゃり! まさに圧殺! スキルのせいでアナタの痛覚は完全に再現されてるはずなんだけど、よく精神が汚染されずに済むものだわ」


 ゲームである以上死んでも生き返れるが、痛みだけは現実と変わらないのだ。正直今回も即死でなければ激痛で発狂しかねなかったかもしれない。

 それでも僕はあの竜種のNPCには死んでほしくないと思ったし、そのためにほんの一瞬の恐怖を我慢するくらい迷う必要もなかった。


「ねえ、どうしてそこまでしてこのゲームを続けるの? アナタには平和で安全な現実という世界があるでしょう?」


 それまで小馬鹿したような意地の悪い笑みを浮かべていた顔が突然まじめなものに変わる。


「……強いて言うなら、僕にとってはこのゲームの世界のほうが現実感を感じられるからかな」


 本来の理由は延命というシンプルな理由だったが、今はそれだけではない気がしている。

 すでに僕にとってこの世界での時間は、現実での記憶よりはるかに濃密なものとなっている。

 先の答えも本心ではあったが、他人を納得させられるだけの返答にはならないだろう。

 しかし彼女はこちらの意思を汲み取ったのかすぐに表情を戻し、話題を変えてくれた。


「ともかく、アナタのそのパッシブスキルはかなり危険だから、精神汚染されたくないのなら軽々しく死んでも生き返れるなんて思わないことね」


 彼女の言う通り、精神汚染というのは現実世界でも一部で問題視されている。

 ダイレクトセンサリーは実態の伴わない刺激を脳に直接与えるため、稀にではあるが幻覚や妄想と言った精神障害を引き起こす仮想合併症という疾患にかかることがあるが、その進行度合いを定義するために精神汚染段階という表現が用いられる。

 抗議団体が存在する程度には認知されている問題ではあるが、ダイレクトセンサリーはメンタルケアとしても利用されているため、日本をはじめ多くの先進国では綿密なガイドラインに基づいて活用されている。

 ただこのゲームは愛無の個人製作であるとの観点から、そのあたりのセキュリティに問題があっても不思議ではない。


「お前が僕を心配してくれるとは思わなかったよ。プレイヤーが死ぬのが最大の楽しみじゃなかったのか?」


「人を性的倒錯者のように言うのはやめてちょうだい。そんなのはほんの暇つぶしよ。こんな何もない空間に閉じ込められてたらそれくらいしか楽しみが無いのよ」


「閉じ込められてる? 制作者にか?」


「いいえ、《粛清の使徒》っていう、まあバグ取り用のゲームマスターがいるんだけれど、アタシの思考プログラムにバグがあるって判断してこの空間に入れられたのよ。ここはいわゆるデータ保管庫で、アナタたちプレイヤーや死んだNPCの思考データも一度ここに保管されて、プレイヤーに関しては肉体データが復元次第そっちに戻されるのよ」


「なかなか興味深い話だけど、そんなシステム的な話をプレイヤーに喋ってしまっていいのか?」


 前から思っていたけどこの彼女は仮にもゲームキャラクターのわりにメタ発言がすぎる。


「いいのよ。いまさら『我は汝らを創りし神のしもべ である』なぁんてロールプレイされてもアナタにはお寒いだけしょう?」


「似合わないね」


「でしょ? でもほかのNPCたちにはこんな話はしないでちょうだいね。誰だって自分の生きてる世界が実はゲームの中でした~なんて事実は知らされたくはないわ。本来はそのための言語暗号化なのだけれど、どういうわけかアナタのスキルはそれを無効化しているみたいだし」


「だったらそもそも敵性NPCに自己学習AIなんて与えるべきじゃなかったのでは?」


「そんなことは制作者に言ってちょうだい! ……いや、ひょっとしてアナタのようなプレイヤーが現れることを想定して……、それなら規制全解除なんてスキルがわざわざ用意されていた理由も…………」


 なにやら一人でぶつぶつと考え込んでしまっている。


「まあいいわ。そろそろデスペナも終わることだし、最後にアナタにとても大事なことを伝えておきましょう。ついからかうのが楽しくって忘れていたけど、本来はそのためにこうして話しかけたのだし」


気付けばもうそんなに経っていたのか。時計どころか動くものすらないこの空間にいると時間の感覚がよくわからない


「よく聞きなさい。アナタが死んでいいのは―――たぶん今回が最後よ」


 どういう意味だろうか。もしかして死にすぎるとアカウント削除などのペナルティがあるとでもいうのだろうか。

 この愛無の偏執的なリアリティへのこだわり方を考えるとそれもあり得そうな話ではある。


「言葉通りよ。次に死んだら、アナタは二度と生き返ることは無い。だから絶対に死なないでちょうだい。アナタがNPCに思うのと同じように、アタシもアナタには死んでほしく無いわ」


 その真意を問い質したいのだが、すでにリスポーン地点への転移が始まっているのか声が出ない。


「それでもどうしても無理だと思ったならアタシを呼びなさい」


 告げるその白い姿が、視界を染める光に溶け込んで消えていく。


「アタシの名前はラヴレス。このふざけた世界に反逆する者よ」


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