チュートリアル1

 初めてそのゲームにログインしたとき、僕はそこが現実でないことに違和感を覚えた。

視覚聴覚はもちろんのこと、漂う潮の香り、肌を打つ風の感触、そしてあるはずのない空気の味まで体感できるのがとても新鮮で嬉しかった。

 とても幼い子供の作ったゲームとは思えない、何もかもがリアルな世界だった。

 もしかしたら彼女のバックにはなにか大きな組織でも付いているんだろうか。

 

 愛無に言われるままこのゲームを始めて一か月。

 最初こそ何をするべきか分からなかったが、あとから参加してきたプレイヤーからこの手のゲームの基礎を学び、共に過ごすことで『友人』と呼べるかもしれない人たちとも出会った。

 彼らも愛無の甘言に乗せられてこの世界に来たプレイヤーなのだろうか。

 

「このゲームは現実が嫌になった奴らの逃げ場なんだよ」


 そんな風にあるプレイヤーが言っていた。

 確かにこのゲームは現実に疲れて逃げ込むには丁度良い雰囲気だった。

 なにも目的は無く、しかし何をやってもいい。そんなしがらみから解き放たれた自由な雰囲気を僕も気に入っていた。



「おー、あーちゃん! やっぱりここでたそがれてたかー。相変わらず詩人だねえ」

 

 風化してコンクリートと鉄骨のみになった廃ビルの屋上で、廃墟となった東京を眺めていた僕にそんな声がかかってきた。

 風の感触と潮の香り、太陽の温かさを感じられるこの場所は僕のお気に入りで、そのことを知るのはごく近しい友人二人だけなので声の主はすぐにわかった。

 

「こんにちはモブさん、今日もモンスター狩りに行ってきたの?」

 

 《解析》のスキルで調べてみると、彼の名前は間違いなく「モブ」さんだ。なぜこんな名前にしたのか。

 もっとも僕のプレイヤーネームは名前とすら呼べないレベルのものだが。

 

「おう! みんなが頑張って作った街をモンスターから守るのが俺の使命だからな! …………って、ほんとはハンティング系のMMOばっかやってたから、こういうサンドボックスゲームはイマイチよく分かんなくてなあ…………」


 サンドボックスゲームとは砂場遊びを意味した自由に遊ぶゲームで、このゲームのプレイヤーも家や家具、服や施設と様々なものを作り出し、お互いに見せびらかし合って楽しんでいる。

 

「そういや今日はレベルが上がって戦闘スキルを覚えたんだぜ! どうもこのゲーム、バトル要素もありそうでな。いっそドラゴンとか魔王とかいればもっと盛り上がるんだけどな」

 

「そのときはモブさんが勇者役をやってね。僕はこの街でスローライフを楽しむだけで十分だよ」

 

「残念ながらそいつは無理だな。なんせ俺の名前はモブだからな!」

 

 おかしな決めポーズで弓を構える表情は、言葉とは裏腹に自虐じみたものは感じない、明るいものだった。

 初めて会った時は無気力で卑屈そうな顔をしていた。きっと彼も嫌な現実から逃避してきた一人なのかもしれない。

 

「おーい! あーちゃん、モブっち! バーベキューの準備するから手伝ってよー!」


 地上から僕たちを呼ぶ声が聞こえてくる。

 

「おお! 今日はJKさんの料理当番か! 女子高生の手料理なんて男冥利に尽きるよなあ、あーちゃん!」


「JKさんは女子高生だったの?」


「いや、JKっつったら女子高生JoshiKoseiの略だろ、JK常識的に考えて


 そんなよく解らないやり取りを交えつつJKさんの元へと向かうと、すでに広場には何人かのプレイヤー達が集まって来ていた


「はーいみんな、火を付けるからちょっと下がっててね、『コンロをカチッとな』」


 そんなセリフを呟きながら手を振ると、組み上げた薪に火が灯った。これが魔法というスキルらしい。

 JKさんは廃屋から見つけたサバイバル教本を読んでいたら使えるようになったと言っていたが、もしかしたら特定の条件や知識を得ることで他にも様々な魔法が使えるようになるのかもしれない。

 

「焼けてきたよー、じゃあ一口目はあーちゃんに進呈!」


「おいおいなんでだよ! その肉狩って来たのは俺だぞ!」


「薪と野菜を用意してくれたのはあーちゃんじゃん。畑を作ったのもそれを急速成長させる薬を作ったのも、ついでにモブっちの弓を作ったのもぜーんぶあーちゃんでしょ!」


「うぐ、なんも言い返せねえ…………。俺はこの異世界でもモブにしかなれないのか…………」


 プレイヤー人口百人にも満たないこのゲームでは、みんながそれぞれの役割をこなして街を運営していた。

 モブさんは街の防衛のため周辺のモンスターを狩り、JKさんはリーダシップを取ってみんなをまとめ上げている。

 僕はといえば《錬金術師》というクラス職業を手に入れ、生活に必要なアイテムや薬、道具などを作成して貢献していた。

 モブさんにモンスター狩りに誘われることも多いが、リアルすぎるこのアポカリプスと言うゲームで生き物を殺すことに忌避感を拭えず辞退していた。


「悪いけど僕は肉は遠慮するよ。野菜だけ貰えるかな」


「なんだあ、あーちゃんは俺が狩ってきた肉が食えないってのか? そんなだからそんなひ弱で色白になっちまうんだぞ」


「肉食べてアバターの見た目が変わるなら、あんたは今頃はモブじゃなくてデブになってるわね」


 そんなやりとりを聞いてみんなが笑っている。

 ずっと部屋から出られずに一人で過ごしていた僕には、そんな雰囲気が気恥ずかしくも心地いい。


「のう! あーちゃん、今度わしの家にもベッドを作っとくれよ! 現実世界の狭いアパートで独りで寝るより、ゲーム内のあったかいベッドでみんなで寝てえんだ!」


 独居老人だというこのおじいさんは、食事と風呂トイレなど以外はほとんどゲーム内で過ごしているという廃人である。

 身寄りもなく自殺を考えていたところこのゲームに誘われ、おかげで新たな人生の楽しみが出来たと毎日嬉しそうに語っている。


 他にもイジメで不登校になった少年、ブラック企業勤めでのんびり休む暇もない社会人など、それぞれ現実に目を逸らしたい人たちが集まり、この自由な世界でのんびりとした時間を過ごすことを楽しんでいた。



◇◇◇ 

 

 

「新規プレイヤーも増えてきたことだし、そろそろ街を作れそうな新しい拠点をさがしたいんだ」


 あるときそんな相談を受けた僕は街を出て、外の世界を散策することにした。

 この世界は荒廃した東京都をモチーフにしていることは、星の位置や崩れたビル群、稀に見かける掠れた看板の文字などで知ることが出来た。

 ビルの残骸があるとはいえ、木や草のような自然物もそこかしこに生え、ところどころには森といえるような規模にまで広がっている部分もある。

 僕はそれらの自然をなるべく壊さないよう、そのまま作り直して家屋として使えるような建物の残骸を探していた。

 

「御苑を越えたし、もう少し行けば新宿に入るな」

 

 僕たちが最初にゲームを始めたのは千代田区で、今の所ここから出たことは無い。

 千代田区にはモブさんがモンスターと呼ぶような不思議な生物はいくらかいるが、人型のような知性のある生き物は見たことがない。

 

「もしかして、この先には魔王やドラゴンがいたりしてね…………」


 冗談交じりにそんなことを呟いていると、新宿方面の通路から小さな人影が近づいて来ているのが見えた。

 

「こんなところに他のプレイヤー…………?」


 その足取りはふらふらと覚束ず、幽鬼のように生気の無い表情と青白い肌、頭部から生えた黒い巻き角という悪魔の様な風貌がプレイヤーキャラクターではないことを告げていた。

 

「タ…………スケ、テ……………………」


 エネミーキャラクターかと警戒していたが、その言葉を聞いた瞬間に僕はその人影に駆け寄っていた。

 倒れこむ寸前に抱き留めると、少女の見た目をした人影はひどく呼吸を乱し、目も焦点が合っていないみたいに虚ろだ。

 

「…………暖かい、心臓の鼓動も聞こえる。……………………あなた、生きているのね」

 

 見た感じ外傷は無さそうだが病気か何かだろうか。手持ちの薬草を煎じたものを飲ませてみようかと思ったところに、いきなり少女は凄まじい力で僕を押し倒して首を絞めてくる。

 

「な…………にを、やめ…………ろ!」


 いきなり襲われたことよりも、圧迫され爪の食い込む首筋に確かな痛みを感じたことに衝撃を覚える。

 おかしい、これはゲームのはずだ。

 詳しくは知らないが、ダイレクトセンサリーゲームは圧覚を除く皮膚感覚はシャットアウトされるか、適度な範囲まで減算処理されるはずだ。でなければエンターテイメントとして成り立たない。

 だが今感じているこの痛みと苦しみは明らかに死を予感させるレベルのものだった。

 

「ああ、苦しいのが消えていく、ごめんなさい…………ごめんなさい!」


 必死に手を振りほどこうとするがその力は見た目に反して圧倒的で、僕は涙を浮かべながら謝り続ける少女の顔を見つめたまま、意識の暗闇へと落ちて行く。

 

 


 次に目が覚めると、そこはゲームのスタート地点となった場所だった。

 つまりここがデッドエンドした場合の、プレイヤーの復活リスポーン地点らしい。

 さっきまで感じていた苦痛も首筋の爪痕もきれいさっぱり消えている。

 

「そうか、これが死ぬ恐怖っていうものか…………」


 思ったほど大したものではなかった。

 結局のところ怖いのは死ぬことそのものではなく、何も為せないまま終わる事への喪失感なのかもしれない。

 当然苦痛を感じる事には抵抗があるが、こうして無事だった以上今はもっと気になることがある。

 僕は大急ぎで自分の死んだ場所へ、僕を殺した彼女がまだ居ることを願って走っていた。


 


◇◇◇


 そこにたどり着くと相変わらず少女はその場に座り込んでいた。

 すでに消失している僕の死体のあったであろう場所で今もひたすら涙を浮かべながら「ごめんなさい」と繰り返し呟いている。

 

「泣くくらい後悔してるくせに、なんで僕を殺したりしたのさ?」


 突然の声に驚いた彼女は、振り向いた先に殺したはずの顔を見て、再度驚きの表情を浮かべる。

 

「お兄ちゃん、不死種アンデッドだったの…………?」


 その問いには答えず、僕は重ねて同じ質問を繰り返す。そうすると彼女は泣き腫らした顔のままとつとつと語りだす。

 自分は魔人種デーモンという種族であり、魔人種は《殺人衝動》という、抗いがたい生理的欲求を持っているという事を。


「本来は一年に一度起こる程度なの。そのときは不死種に血と死体を代価に命を貰うんだけど、私は特殊体質みたいで、その周期が極端に短くて……………………」


「その代価が払えないと」


「ぐす…………うん。このままじゃ友達やお母さんたちまで殺しちゃいそうで――――!」


 《殺人衝動》に逆らい続けると、堪えがたい苦痛に襲われ、最終的には廃人になり死に至ると言う。

 なぜ愛無はこんな残酷な設定をNPCたちに課したのだろうか。彼女はNPCを救うも戦うも自由だと言った。

 それは生き残るためにこの子を殺すか、それとも助けるために自らの命を捧げるかという選択肢だ。そんなものは決まっている。

 

「わかった。なら苦しくなったらまた僕を殺しに来ていい」

 

 少女は驚いたように目を丸くしてこちらを見つめている。

 その反応を見てもこの子が高度なAI人工知能を有していると分かり、僕にはそれが人間と違うとは考えられない。

 現代のAIは80%以上の比率で人間の思考パターンアルゴリズムを再現している。AI人権論はロボットに抵抗感の少ない日本を中心に国際的な広がりを見せており、AI研究者の母はその第一人者でもあった。


「僕は君の言う不死種アンデッドじゃないけど、死んでも生き返れるんだ。だから衝動を抑えられなくなったらまたここに来るといいよ」


「ほ、ほんとに? ほんとに死んでも生き返れるの? 死ぬのは怖くないの? 私はもう苦しい思いをしなくていいの?」


「怖くは無いけど…………痛いのは嫌だな。だから痛くない殺し方を、一緒に考えてほしい」


 そう言うと彼女は僕に縋り付き、先ほどまで以上に大声で泣いた。

 

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