(8)冷たい蜂蜜

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 地下空間での無謀な実験を終えてから数日後。

 アンネは未だに進化の最中らしく、サギ、ウギからの反応も全くないままだ。

 何もないことが無事であることの証明であると信じつつ、俺たちは日常を過ごしている。

 そんな中、俺はクインに呼ばれてアイが作った建物の一つを訪ねていた。


「――それにしてもここも見ない間に色々と変わっているよなあ」

「フフフ。外側はアイが色々と変えておりますし、中はわたしたちが必要な物をどんどんと取り入れております」

「みたいだねー。地域によって絨毯を壁紙として飾る習慣があるのは知っていたけれど、実際に見たのは初めてだな。あの絨毯はシルクが?」

「正確には、シルクの子眷属が作った物です。シルク当人が作ればもっと素晴らしい物ができると思います」

「そうなんだ」

「今は時間がないから本格的に手を出していないそうですが、ハンカチみたいな小物はたまに作っているようですね」

「へー。暇つぶしみたいなものかな?」

「暇つぶしと適正値上げでしょう」

「へ? 適正値上げ?

 この場面で聞くにはふさわしくないような言葉を聞いて、思わず聞き返してしまった。

 何のために何の適正値を上げているのかがよくわからなかったのだ。

 

 その疑問が通じたのか、クインがごく当たり前のことのように説明を加えてきた。

「わたしたちのような子を作れる種は、親の能力がある程度子供たちに引き継がれます。子供たちにいいものを作ってほしいのであれば、親であるわたくしたちもある程度能力を上げておかなければならないのです」

「あ~。そういうことか。適正値上げついでに物を作っておけば、親が作れるようになったものは、子供も作れるようになるとか?」

「そのようなものです。もっと細かく分類すると、生まれながらに出来るようになっているものもあれば、教えて出来るようになることもありますが」

「なるほどね。本能的に覚えているものと教育によって覚えさせるものの差かな?」

「そういってもいいですね」


 たとえばシルクの基礎となっている蜘蛛は、どの種も基本となる蜘蛛の糸スパイダーシルクを作ることができる。

 ただしそこから先のより品質の高い糸は、細かい種の違いによって最初から作ることができたり訓練によって作れるようになることができるのだ。

 種によってはどう頑張っても覚えられないものもいるが、それは完全に種としての能力の差になってしまう。

 同じ蜘蛛でも戦闘向きの種もいれば、生産向きの種がいるのだからそういう差が出るのはむしろ当然ともいえる。

 

「ごめん。話の腰を折ったね。それで、用事というのは?」

「そうでした。そちらの話がメインでしたね。主様に見ていただきたいものがあったのです。――こちらです」

「うーんと。小瓶に入った、冷たっ……!?」

 クインから受け取った小瓶が思った以上にひんやりとしていて思わず落としそうになってしまった。

 中身が見えるガラスでできているビンで、入っているものが琥珀色をしたハチミツだと予想したからこそ、冷えたものだとは全く考えていなかったのだ。

 しっかりと持ち直して改めて確認してみればそこまで冷え切っているというほどではなかったのだが、初見だと驚いて落としそうになるのも仕方ないだろう。

 

「見た目はハチミツみたいに見えるけれど、この冷たいのは何?」

「仰ったとおりにハチミツになります」

 いたずらが成功した子供みたいな笑顔を浮かべるクインに対して、俺は驚きで目をパチクリとさせた。

「え……これがハチミツ!? こんなに冷たいハチミツなんて、どうやって……って、まさか!?」

「恐らくご想像の通りですね。例の種からできた植物の花の蜜を集めて作ったものになります。最近になって安定して花が咲き始めてから作ったので、これが第一号です」

「へー。これがそうなのか。……舐めてみても?」

「勿論です。そのためにお呼びしたのですから」


 クインの許可を得てから小瓶の中に入ったハチミツを取って舐めてみる。

 箸ですくったハチミツを口の中に入れると、ハチミツそのものが冷えていることがよくわかった。

 ただ冷えているといっても氷のように冷え切って固まっているというわけではなく、ある程度の粘度があって簡単に掬い取ることができた。

 通常のハチミツを冷やすと固まって取るのが大変になると思うのだが、このハチミツはその辺りの問題が全く発生していない。

 

「うん。触感は普通のハチミツ……なんだけれど冷たいというのが新しいな。普通に美味しい」

「そうですか。それはよかったです。このまま量産しても構わないでしょうか?」

「そうだね。それはいいんだけれど、花は足りているの?」

「それは全く問題ありません。むしろ今のままだと収穫が追い付かない可能性もあります」

「あら。まだ制限が足りなかったかな?」

 

 冷たいハチミツの元となっている花は、先ほどクインが言ったとおりに例の種――氷の種からできている。

 その氷の種から育った花はある一つの特徴があって、自身が根付いた場所を冷えたままにしておくという性質があることが分かったのだ。

 もともとが雪の上に育つ植物なので、冷えたままにするということは冬の間に積もった雪が解けないということになる。

 最初は永久凍土の上に蒔いた種なのだが、その性質を利用すれば冬の間に雪が積もる地域に蒔けばそのまま繁殖し続けることが出来るともいえる。

 勿論周辺の気温などの条件にもよるだろうが、北の大地の気温だとそのまま雪の大地を継続することができるのだ。

 

 そんな性質を持っていると分かった時は、このままだと北海道の全域が万年雪で覆われることになりかねないと一時焦る事態になったのだが、その問題はすぐに解決した。

 氷の種を受けた畑を管理していたクインから報告を受けて慌てて現場を見に行った時に詳しく調べた結果、俺自身が指示を出せばそれ以上の繁殖をしなくなることが分かったのだ。

 もっと正確にいえば、『これ以上は広がらないでね』と指示を出しておくと、植物自身が出す冷気を抑えてくれるようになっていた。

 その結果今では決められた範囲内でのみ花を咲かせているというわけだ。

 ちなみに花が咲くまである程度の月日を必要とするのだが、一度咲いてしまえば割と年中咲くこともわかっている。

 

 クインの説明から繁殖範囲の制限が甘かったと反省する俺だったが、そのクインが首を左右に振った。

「そんなことはありません。むしろ足りないのは子眷属でしょう。あの花の蜜を採取するには、特殊な技能が必要なようですから」

「おっと。全部の蜂が採取できるわけじゃないというわけか」

「そうなります。ですので、今はできる限り多くの子たちで採取できるように訓練をしているところです」

「なるほどね。それじゃあその辺は、クインに任せておけばいいか。――ところで量産するって話だけれど、作れる量はどれくらいになりそう?」

「子眷属たちの訓練が済んでしまえば、花畑を広げれば広げるだけ作れるようになるでしょう。……ただ作ったすべてをお渡しするのは難しいですが」

「あら? 子眷属たちのエサにでもなるのかな?」

「はい。しかもかなり質のいいものになります」

「そっか。それじゃあ無理をしない程度に余った分だけ渡してくれればいいよ。交易品としては他の蜜でも十分に事足りるんだし」

「そうですか。ありがとうございます」

「いいのいいの。まず第一の優先順位として眷属たちの能力強化が一番、その次は子眷属たちだからね。交易はそれ以降だよ」


 目新しいものを手に入れられるという意味においては交易は重要になってくるが、そもそも現在交易対象になっている場所は翌年以降に領域化を目指しているところになる。

 それを考えれば無理をしてまで交易量を増やす必要はない……というよりも新しい商品をあてにされてしまう状況になる方が困る。

 ハウスでの売買には使えるかもしれないが、やはり安定供給を目指すのは他のプレイヤーが出してくれている商品次第といったところだろう。

 それにしてもそこまで大量に必要になるというわけではないので、今のところはまずは一度出してみて様子見をするといった段階でしかない。

 

 いずれにしても何が何でも今すぐにほしいというわけではないので、子眷属たちに優先して回すというのは何の問題もない。




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