その6 烏山さんに命令された

 驚いて声をあげて白鳥の顔を覗き込んでくる烏山は、白鳥のセリフを全く予想していなかったのだろう。

 つまり、あの白鳥の文字を見てもなお、今後も白鳥が書道部を続ける前提でいたのだ。その優しさに、ほんの少しだけ笑みを作れた。


 そして同時に言葉が足りていなかったことに気が付く。本当に退部しては、人数が足りなくなってしまう。

 

「あ、言葉が足りませんでしたわね。もちろん、籍は残しますわ。ご心配なさらないで」

「そ、そんな心配してないけど!? なんでそうなるの!? 馬鹿な事いわないでよ!」

「馬鹿って……おかしなことはないでしょう? 書を冒涜した私が、今後も関わるなんて失礼じゃない」

「いやいやいやそんな高尚な部活じゃないじゃん!」


 烏山の言うこともわかる。がちがちの部活ではない。だけどそれでも、書道なんかどうでもよくて、自分の為なら足蹴にしてしまうのはさすがに違う話だ。まして、それで部長になろうとしていた自分の厚顔さが恥ずかしい。


「ねぇ、今回暴走しちゃったのはそれだけ思い入れがあったからでしょ? なのにやめちゃダメだって。ね? ここからもう一度やり直せばいいよ」

「……」

「……ああもう!」


 なだめるように言われても、白鳥には何も言うことはできない。だけどそんな白鳥に業を煮やしたのだろう。烏山は腕を振って立ち上がった。その勢いにつられて烏山を見上げる。怒っているような顔だ。

 だけどそれも無理はない。黙って烏山の言葉を待った。


 頭を搔いた烏山は、きっと白鳥を見下ろし睨み付ける。いつも上から見ていたその顔は、下から見ると全然違うようにすら感じられた。


「あのねぇ、白鳥さん。白鳥さんがいなくて、続けていけるわけないでしょ。一緒だから部長だってやる気だったのに、一人でなんて無理だよ」

「え……?」


 てっきり、怒られ罵倒されるのだと思っていた。だから烏山の予想外すぎる言葉に、白鳥は間抜けな声を出してしまった。

 下から見た烏山の顔はどこか大人びた呆れを含んだもので、いつもの小動物のような愛くるしさではなくて、声が出ない。


「逆に聞くけど、白鳥さんは一人でこの部活を続けろって言われたら続ける訳?」

「そ、それはまあ、私しかいなくて、蓮部長がそう言うならそうしたでしょうけど」


 最初から烏山がいなかったなら、大木が卒業すればおのずとそうなっていただろう。ならば白鳥は卒業するその時まで部長をしただろう。それは想像に難くない。

 だけどその仮定に何の意味があるのかわからず首をかしげる白鳥に、烏山はうっとうなるようにして先ほどの威勢を弱めた。


「う、うん……し、白鳥さんはそうだとして、私は無理。ていうか蓮姉に言われたとして、何でもその通りにしない方がいいよ? 蓮姉も結構いい加減なところあるしね?」

「いいえ、蓮部長は軽く見えてもそのすべての行いが計算されているのです」

「絶対ないから。でもこの話は平行線になるからここで終りね。ともかく!」


 烏山は強引に話を切り上げるように再び腕を振るい、がっと白鳥の両肩をつかんだ。いくら烏山が小柄とは言え座ってる白鳥を掴んだのだから、前傾姿勢になり体重がかかる。


「やめさせない! これは部長命令だから! 白鳥さんは、ずっと私と書道をするんだよ! いいね!?」


 そのまま頭突きでもされるのかと言う勢いで近づいてきた烏山に思わず目を閉じる白鳥に、烏山は机に膝をついてとまって怒鳴るように言った。恐る恐る目を開ける。

 文字通り目と鼻の先にある烏山の顔。そのアップに身を引きそうになるも、掴まれていてできない。混乱してしまう。どうしてそんな風にいってくれるのか。もはや体裁を守ることもできず、白鳥は目を白黒させながら素直に疑問を口にしていた。


「か、烏山さんっ。どうしてそこまで!? 私のことが、嫌いなのではなくて!?」

「はぁ? そんなこと言ったことないでしょ? 普通に好きだけど?」

「えぇっ!?」


 好き、と言った言葉が信じられない。いままで、家族以外から言われたことはなかった。大木は可愛がってくれたけれど、可愛いとか誉め言葉をくれる気安いノリで、やったー、好きーと言う感じなので本気さを感じられなかった。

 だけど真顔で、むしろ何を言っているんだと言いたげな訝しげな顔で言われて、その本気さを疑う余地はない。


 想像どころか、願望を持つことすらおこがましいと思っていた。こんな自分が、まして烏山に好かれるなんて。


「ほ……本気で言っているの?」

「こんなしょーもない嘘を言ったって仕方ないでしょ」


 わかっている。だけどそれでも信じきれない。それくらいありえないと思っていたし、それくらい、嬉しい!

 じわじわと足元からせりあがるように喜びが湧き上がる。体が熱くなり、現実ではないみたいだ。


「あ……あ。あの、ありがとう、烏山さん」


 嬉しくて、頬が緩んでしまうのを抑えられない。耳まで熱くなっているので、きっと顔は真っ赤になっているのだろう。

 それが分かっていても、嬉しいのが止まらない。烏山はあんな白鳥を好いてくれていて、ちゃんと友達だと思ってくれていたのだ。


 白鳥の一方的な思いではなかった。

 ただの付き合いだけで過ごした時間ではなかった。二人きりの時、喧嘩まではいかない軽い言い合いをしたり張り合ったりする気安いやりとりを、白鳥だけではなく烏山も楽しんでくれていたのだ。

 これで終わりではなかったのだ。もう、部長ではないのだからと、烏山が離れていくことを心配しなくてもいいのだ。負けてしまっても、単なる競い合うだけの相手ではなく、ちゃんと友達だったのだから。

 それは、努力すればもしかして、高校を卒業しても続くかもしれない。高校の時だけではなく、本当にずっと一緒にいられるのかもしれない。


 烏山の素直な言葉は、いつもと同じように、すとんとまっすぐ白鳥の胸に落ちた。

 そして自覚した。と言うか自分でもわかっていて、でも絶対に無理だから諦めていた。


 白鳥は烏山が大好きなのだ。だからもっともっと仲良くなりたいし、好きじゃなくて、大好きだって思ってもらいたい。今よりもっと、傍にいたい。


 だからまずは伝えよう。この思いを。ずっと言えなかった、言ったところで驚かれて気まずくなってむしろ距離ができてしまうと思い込んでいたこの思いを。今なら言ったって、不自然ではないから。


「そう言ってもらえて、嬉しいわ。私も、あなたのことが好きよ」


 烏山の目を見てそう言った。言葉に出す瞬間はなんだか、ドキドキした。自分の気持ちを素直に口に出すなんて、子供のころ以来かも知れない。

 だけど烏山になら伝えたい。きっと、嫌な顔はしないだろうと、今なら信じられたから。


「え、う……う、ん」


 白鳥の言葉に、烏山は眉を顰めたりしなかった。ただ驚いたのか目を見開いたけど、すぐに真っ赤になって目を泳がせながら曖昧に頷いた。

 その態度は好意的とは言い難いだろう。だけど烏山は今までだってそうだった。白鳥の態度に同じように反発して返していた。だけどそれでも、好きだと思ってくれていたのだ。


「そう……あ、改まると恥ずかしいね! ま、とにかく! 命令だからね!」


 視線を一度はそらした烏山だったけれど、白鳥がじっと見ているとやがて戻して、ぎゅっと白鳥の肩をつかんだ手に力を入れてそう、力強く言った。

 まるで白鳥の思いに応えるようなその命令に、胸が熱くなった。

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