その5 結果発表 白鳥side
大木は二人の提出作品を見て、笑顔のままうんうん、と嬉しそうに頷いた。その顔に、白鳥が烏山の文字を真似ていることへの戸惑いは感じられない。
その対応に、白鳥の方が焦ってしまう。何故? 白鳥の行動は読めていたとでもいうのか? 大木は何を考えている? 何を感じている?
季節は秋なのに、季節外れに汗が湧き出てくるのをとめられない。
「はぁー。なるほどね、うん」
その呑気な声音は、怖い位いつも通りだ。いつもの、優しい声。白鳥は、今初めて大木を怖いと思った。
大木にはいつも誠実に接してきた。だから気付かなかった。大木の大らかな優しさは、その包み込むような大きな柔らかな態度は、小細工を弄した時も一切変わらないのだ。何を考えているのか、察することができない。
そんな白鳥の緊張を知ってか知らずか、大木は全く気負うことなく、あっさりと口を開く。
「わかった。じゃあ結論言うね? 栄えある部長職に選ばれたのはー、こちらの作品です! ででん!」
両手で掲げられた作品は間違う余地なく、烏山のものだった。全て、大木にはお見通しだったのだ。
白鳥を絶望が覆う。なりふり構わず、烏山と一緒にいられるように手を尽くしたつもりだった。だけどそれは届かなかった。
運なんてあやふやなものではなく、明確に差を持って断じられているのが分かる。白鳥の小手先の悪知恵なんて何の意味もなかったのだ。
烏山が純粋に喜びで飛び上がるような声をあげるのを聞きながら、白鳥はもう二人の姿を見ていられなくて、顔を伏せた。
結局全て無駄だったのだ。どんなに白鳥が取り繕ったところで、姑息で薄汚い性根は大木には丸見えだったのだ。
「……」
今、烏山は純粋に喜んでいる。部長職を光栄だと思っている。だからすぐにやめることはないだろう。だけど大木が卒業してしまえば、すぐに気まずくなる。
大木がいるからこそ、たまに二人きりで過ごしたって口論をしながらも一緒にいられたのだ。毎日二人きりになれば、きっとすぐに嫌になってしまうだろう。
烏山と、もっと一緒にいたかった。この高校に入ってからずっと、この部室にさえ来ればいつだって烏山がいてくれた。
それがどれだけ白鳥の心を楽しくさせてくれたか。
大木とは学年が違うから、毎日のように一緒に過ごすなんてできなかった。烏山と一緒にいて、本当に対等な友達のようだと思えたのに。
高校を卒業して、進路が分かれて疎遠になるのなら、それは自然なことだと受け入れられただろうに。もう一年ももたずにさり気なく距離をとられて疎遠になるなんて、辛すぎる。
まだ離れたわけではないとはいえ、ここから白鳥の行動で烏山を引き留められるだなんてそんな自惚れられるわけがない。
すでに嫌われているのだ。ここで仮に今までのことを謝罪して、仲良くしてほしいと言ったところで烏山はどう思うだろう。何を企んでいるのか、らしくない、気持ち悪い。そう思うに決まっている。
普通の何もない状態からだって、クラスメイトたちを一人も友達にできなかった白鳥が、嫌われている状態から友達にできるわけがない。白鳥は何も、面白味も可愛げもない、何もない人間なのだから。
そうしてうなだれ、絶望していると、ふいに前に誰かが来た。顔をあげた白鳥と目を合わせるように烏山がしゃがんだ。
「……えっと、ざ、残念だったね、白鳥さん」
得意げな、だけどどこか戸惑ったような表情だ。わかっている。こんな風にうなだれている白鳥は、いつもとは違って、らしくないと思っているのだろう。
白鳥はいつだって、誰にも馬鹿にされないように、誰かに貶められないように、気を張っていた。だけどもう駄目だ。烏山が離れていくのだと思うと、頑張るための力が抜けていく。
いつもみたいに、無理に眉を寄せられない。感情を怒りに変えて踏ん張ることができない。
そんな白鳥に、間違いなく勝ったのは烏山なのに、まだ勝負はついていないと、そう言って白鳥に元気を出させようと、いつもの調子を出させようと、そう発破をかけてくれる。その優しさが嬉しくて、だからこそ、辛い。
涙をこらえるため、当たり障りなく言葉少なに反応することしかできない。
そんな白鳥に大木は苦笑して、二人分の作品をもって机の横に立った。
「あのね、こんなことになると思わなかったから独断と偏見で決めてそれに文句をつけさせないつもりだったけど、言うね。うーちゃんのこんな作品を見せられて、部長には選んであげられないよ」
そう言って白鳥の作品をそっと机に置いた。ドキリ、と心臓がざわめく。
やはり、大木には見分けがついていたのだ。自分が恥ずかしくなる。パッと見ただけなら大丈夫だ、と自惚れていた。何を調子に乗っていたのか。始めたばかりの素人の癖に。
同じく素人の烏山は騙されてくれているらしく不思議そうにしていたけれど、ここまで来て嘘をつくことはできない。
白鳥は懺悔のつもりで、正直に自分の文字であることを告白した。
「どちらか好きな方なら、大木部長はあなたのものを選ぶと思った。だから見分けにくくなるよう似せた。それだけよ」
「そんな……」
少々やけっぱちな言い方になってしまった。そんな卑屈な白鳥に、さすがに烏山も面食らったのだろう。言葉を失った。失望されたのだ。
だけど、もうこの際だ。それでいい。いつ、烏山が白鳥に興味を失い去っていくのか。それを恐れながら日々を過ごすくらいなら、もういい。白鳥の本性をさらけ出し、ここで決別してしまえばいい。
そう鬱屈していく白鳥に、大木が座って目線をあわせた。目の前に大木の、珍しい真剣な表情。何を言われるのか。今更怖くなる。
烏山を引き留めるために、あんな無様をさらした。だけどそれもかなわなくなった今、大木に辛辣な言葉をかけられると思うと怖かった。
烏山にはどうせ最初から嫌われているのだと開き直れた。だけど大木は、一番ではなくても、優しくしてくれて、後輩として多少なりとも好意的にみてくれていたのだ。
それを自分からめちゃくちゃにしたのだ。烏山を引き留められたなら、大木に失望されたとしても耐えられた。だけど、そうではないのだ。ならもう、本当に大木しかいないのだ。
そんな恐怖に染まる白鳥に、大木はふっといつもの笑みを浮かべて言った。
「二人がいつも通りの文字を書いてくれたなら、二人ともひっくり返してシャッフルして、天の神様の選ぶ方を部長にするつもりだったよ」
そして部長に白鳥を選ばなかった理由を説明してくれた。その言葉に、嘘はないだろう。もう失望し見捨てる白鳥に気を使う必要なんてないのだから。
だからこそ、白鳥は恥ずかしくてたまらなくなった。
何を見ていたのだ。大木の何を見ていたのだ。大木は確かに、烏山を一番に可愛がっていただろう。だけどそれだけで選ぶような人ではなかったのだ。
なのに勝手に邪推して、勝手に暴走したのだ。姑息なことをしたとか、それよりずっと恥ずかしい。何も見えていなかった。自分のことしか考えていなかった。
その挙句が、これだ。そもそも、こんなのは書道に対する冒涜だろう。人の猿まねをする人間を部長になんて選ばないに決まっている。
部長なんて形だけで、とてつもない名誉や権力があるわけでもない。だからこそ、こんな風にして試験をすり抜けようとする人間が部長にふさわしいわけがないのだ。そんな当たり前のことがわからなかったのだ。
言わなくてもいいことを言わせたのは、白鳥だ。白鳥が何もわかっていないから、あえて言ってくれたのだ。本当に、大木はやっぱり、優しく明るく人を導いてくれる素晴らしい人だ。
改めて尊敬すると共に、自分のみじめさが浮き彫りになって余計に小さくなってしまう。
泣いてしまいそうになった。でもそれは、もっと自分をみじめにするから、ぎゅっと目を閉じて耐えた。
大木に、そして烏山に謝罪しよう。せめて最後くらい、潔く締めよう。それがせめて、白鳥にできる責任の取り方だ。
「ごめんなさい、大木部長。私は、書道を冒涜したようなものですね。烏山さん」
「う、うん。何かな!?」
烏山は場違いな明るい声で促してくれる。その心遣いに、ゆっくりと目を開ける。なんとか涙を耐えることができた。烏山の目を見る。せめて対等な彼女にだけは、目を見て謝罪しよう。
「こんな私では、副部長だってふさわしくないでしょう。申し訳ございませんでした。書道部をやめますわ」
「ええ!?」
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