その4 結果発表 烏山side

 迷いなく提出する烏山に白鳥が遅れる事10分。この選定に時間制限はなかったが、さすがに遅いので大木がマダー? と急かしたところ慌てて選んだのだ。


 そうして二人ともが提出し、その間後ろを向いていた大木が神妙な顔で腕組をしながら振り向いた。


「うむ。それでは審判を下す! ちょっと待っててねー」


 大仰に宣言してから、普通にさっきまで座っていた座布団に再び座りなおし、目の前に無造作に置かれた二枚を手に取る。


「はぁー。なるほどね、うん」


 気楽な様子で見ている大木を机越しに見ている二人はごくり、と唾を飲み込み迫真の様子だ。しかしそんな二人を見て軽く微笑んだ大木は、全く気負うことなく、時間をかけて審査することもなく口を開く。


「わかった。じゃあ結論言うね? 栄えある部長職に選ばれたのはー、こちらの作品です! ででん!」

「!」

「え!? 私!? え!? マジで!?」


 両手で掲げられた作品は間違う余地なく、烏山のものだった。思わず机に手をついた中腰になる烏山に、大木はすっと右手を出す。


「うんうん。おめでとう、みーちゃん」

「! ありがとう! 蓮姉! 私頑張るね!」


 昔からずっと呼ばれなれた、柔らかい緊張感のない呼び名。だけどそれが現実感となって、烏山は喜びで立ち上がり、飛びつくように大木の右手を両手で握って上下させる。熱い握手に大木はうんうん、とまた頷いた。

 烏山はてっきり負けると思っていたので、その喜びもひとしおであった。負ける覚悟をしていたとはいえ、勝ちたかったのは感情としてもちろんあるので嬉しい。


「……」


 そして喜びをかみしめてからはっとして振り向く。白鳥はまるで受験に落ちたかのようにしょんぼりした、普段の自信満々の凛とした姿からは想像もできないほど、とても見てられない

落ち込んだ姿をしていた。

 勝った後のことまで考えていなかったので、何と声をかけていいのかわからない。しかし、勝負に勝った! 完! と言うわけにはいかない。むしろここから二人で部活をやっていくのだから、なんとか立ち直ってもらわなければならない。


 烏山は握手をやめて大木を見る。大木はいつもの優しい微笑のまま、だけど何も言わない。烏山になんとかしろと、それが新部長の仕事だと言いたいのだろう。

 うん、と頷いて白鳥の前に立つ。下を向いていた白鳥がゆっくり顔をあげるのに合わせて、前にしゃがみ込む。


「……えっと、ざ、残念だったね、白鳥さん。でも勝負は勝負だから、私が部長だね」

「ええ……もちろんですわ」


 一度目があったが、しかしすぐに伏せられてしまった。顔は青白いほどで、めちゃくちゃ力ない姿だ。

 まさかここまでショックを受けるとは。しかしついさっきまでライバルだったのだから、安易な慰めは逆にNGだろう。何とか発破をかけたい。


「でももちろん、これ一回で完全に勝ったとは思ってないからね。いつでも挑戦待ってるよ!」

「……ありがとうございます」


 いや違う。えぇ。えええぇ。

 困って大木を振り向く。助けて! 部長! 現部長!


 必死で首だけ振り向いてアイコンタクトを贈ると、大木は苦笑して二人分の作品をもって机の横に立った。


「あのね、こんなことになると思わなかったから独断と偏見で決めてそれに文句をつけさせないつもりだったけど、言うね。うーちゃんのこんな作品を見せられて、部長には選んであげられないよ」


 そう言って白鳥の作品をそっと机に置いた。しかしそれを見て烏山は首をかしげる。


「え? これ? 蓮姉間違ってない? 白鳥さん、提出するとき私の間違って混ざったの持って行ってない?」

「みーちゃん、自分の字くらい見分けつけるようになろうね?」


どう見てもいつもの白鳥の文字ではない。自分の失敗作のうちの一つだと言われた方がしっくりくる。夢中で書いていたので、全部をもう覚えているわけではない。だからそう言ったのだけど、大木には軽く頭を撫でられてしまった。

 ちゃんと大木には見分けがついている。いくら似せようとしたって、様々な筆跡や技法を習得したプロが真似たならともかく、自分の書き癖と言うのは素人が簡単に直したり習得できるものではない。よく見ればわかるものだ。


「……烏山さん、確かにそれは私が書いたものですわ」

「え? な、なんで? 急に変えすぎじゃない?」

「どうしても、部長になりたかったのよ」

「だからそれがなんでこうなるのってことなんだけど……」


 尋ねると白鳥は悔しそうな、だけど同時に申し訳なさそうな、そう眉をしかめ口元もひきつったようになり、普段の冷静な美しさなどみじんも感じられない表情になった。

 そして力を振り絞るように烏山をにらんでゆっくりと答える。


「……私たちの間に、明確な技量の差なんてないじゃない。だからよ。だから、どちらか好きな方なら、大木部長はあなたのものを選ぶと思った。だから見分けにくくなるよう似せた。それだけよ」

「そんな……」


 そんなことはない。大木はそんなことをしない。だけどそれを烏山が言ったところでなんの説得力もないだろう。大木を仰ぎ見る。何とか言って、このわからずやをわからせてやって。

 大木はそんな期待を込めた眼差しに頷いて、そっと座って白鳥と頭の位置をあわせた。

 少しだけ顔をあげた白鳥の顔を覗き込むように、下から顔を寄せる。


「そんなことはないよ。私は、二人がいつも通りの文字を書いてくれたなら、二人ともひっくり返してシャッフルして、天の神様の選ぶ方を部長にするつもりだったよ」

「……」

「……蓮姉、それは言わなくてもよかったんじゃ?」


 天の神様って、どちらにしようかな。で選ぶと言う、もうそれ作品なしで目をつぶって選んでも同じである。頑張った50分はどこに行くのだろう。

 優しい声で言っているけど、まあまあひどいことではないだろうか。まあ実際にそうなったらなったで、もー、相変わらず緩いんだから、で流していたかもしれないけれど。


 だけどこんなにショックを受けて、烏山の筆跡を真似ると言うプライドを捨てた白鳥に対してわざわざ言う必要はなかったのでは?


「ううん。言わなきゃ。うーちゃん、あなたはそのままでよかったんだよ。そのままなら、ただの運しか二人の違いはなかったの。だけどこんな風にされたら、自分を殺した字を書かれたら、運でも選ぶわけにはいかないよ。だって、ここは書道部なんだから」


 手で、わざわざ墨と筆で文字を書く。今の時代にそんなのはもはや贅沢なのだ。自分の文字でないなら、印刷で十分だ。

 書道を印刷ではなく、文字の枠を超えて作品とするためには、そこには人間が無くてはならない。感情の死んだ物まねでは、それはもう作品ではない。

 だからこそ、技量も何も関係ないただのお遊びの部活でも、部長にこの文字では選ぶことはできない。それが大木の結論だった。


 それを白鳥は黙って聞いて、ぎゅっと一度目を閉じた。まるで涙をたえているような表情に、烏山は、言いたいことはわかるけど今言わなくてもよかったのでは? とハラハラした。

 もう少し時間を置いて、気持ちを落ち着けてから説明したっていいのに。


「……ごめんなさい、大木部長。私は、書道を冒涜したようなものですね。烏山さん」

「う、うん。何かな!?」


 だけど白鳥の口から出てきた声は一切の震えもなく、泣いているような動作は気のせいらしい。自発的に声をかけられ、ここでいい返事をすれば元気を取り戻してくれるかも! と元気な返事をする。

 そんな烏山に、白鳥は静かに続ける。


「こんな私では、副部長だってふさわしくないでしょう。申し訳ございませんでした。書道部をやめますわ」

「ええ!?」


 驚愕に声をあげて勢いよく机に肘をついて白鳥の顔を覗き込んだ烏山に、白鳥は一切動揺することなく、見たことのない静かで寂しげな笑みを無理やりつくった。

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