その3 白鳥の意気込み

 白鳥は必死だった。必ず、部長にならなければならない。そう自分自身に誓いをたてていた。


 誰が強制したわけでもない。そもそも緩い部活で、将来につながるようなものでもない、それでも白鳥は負けたくなかった。負けられないと自分を追い込んでいた。


 白鳥にとって、大木は心許せる数少ない存在だった。

 水泳をしているでも、もちろん染めているでもなく、髪も肌も目も色素の薄い、少々日本人離れした色合い。それでほんの少し距離を取られたりからかいの言葉をかけられるのが珍しくない幼少期だった。

 そんな寂しい頃に、声をかけてくれたのが大木だったのだ。雛が親鳥になつくかのように、当然の様に白鳥は大木について回るようになった。小学校はもちろん、中学だって大木と少しでも一緒にいたくて、大木の所属する部活も委員も一緒にした。

 残念なことに二つ年が離れているから、たった一年しか同じ校舎には通えない。それでも現代の利器で連絡をとれるし、たまに一緒に遊んでくれた。

 成長に伴って当たり障りなく、波風立てずに人と接するやり方も覚えたし、クラスメイト達も幼い頃のように露骨に接するようなことはなくなった。友人と呼べる人もちゃんといる。


 だから大木と多少距離があっても、年齢の差はどうしようもないから仕方ないのだと思えた。対等な友人にはなれなくても、二つ下の後輩としては一番仲がいいのは自分だと信じられたから、仕方ないことだと諦められたのだ。


 だけど高校に入学して、烏山を紹介されてそうではないのだと思い知らされた。

 たまたま学区が分かれていたけれど、白鳥よりずっと大木と家も近く家族ぐるみで仲が良く、実際の姉妹でもないのに年の差を無視してため口で姉と呼ぶ。


 どんなに悔しかったか。わかっている白鳥の勝手な感情に過ぎない。誰が悪いわけでもない。烏山は別に悪い子ではない。

 大木に対してなれなれしいのではない。ただ実際に親しいのだ。失礼なのではない。それだけお互いに心を許しているのだ。


 わかっているのに、公の場では、教師の覚えも悪くなる、などとそれらしい理由をつけて非難した。

 大木本人が許しているのに、何様だと言うのか。そんな白鳥を烏山が嫌うのは当たり前のことだった。


 だけど烏山は、大木が可愛がるのが当たり前の、とてもいい子だった。

 白鳥の言葉に違うと思えば言い返すし、そうだと思えば素直に頷いて、お礼もちゃんと言う。甘えるのだって、小柄で可愛らしい感じで絶妙にうまく、全く嫌な気持ちになんてならないどころか、ついやってあげたくなるし、大木の甘やかす気持ちもすぐにわかった。


 白鳥とは全然違った。

 勉強だってできないわけではなく、ほどほどに周りに聞いて教えて、と言うのが愛らしい。歩き方も妙にぴょんぴょんした上下運動の変わった感じなのだけど、本人の性格と相まって可愛らしく感じられ、体も柔らかくて動きのいちいちが小動物をほうふつとさせるのだ。

 白鳥とは全然違う。勉強はできるけど、そんなのはそればかりしていたからだ。それでいて誰かに優しく教えてあげたことなんてないし、甘えたことも、甘えられたこともない。隙を見せないよう、色素のことでからかわれないように、そんな風に思っていたから、全然可愛くない。

 自分でもわかっていた。白鳥は運動が得意ではなく体も固いし背だって高い。図体の大きなでくの坊だ。可愛げと言うのがないのだ。真面目にするしか生きられなくて、自分の感情を素直に出せない。わかっている。


 だからこそ、負けるわけにはいかない。絶対に勝って、烏山より上でなければならない。

 好かれないなら、友達でないなら、せめて目の上のたん瘤として、彼女の上でなければならない。そうじゃなければきっと、彼女は大木のいなくなった部活をいずれ飽きてしまうだろう。部長の責任感があったとしても、きっと一年後にはやめてしまうだろう。


 それは嫌だった。ずっと一緒に、なんて我儘は言わない。だけどせめて、あと二年、一緒に部活をしたい。

 書道になんて興味はなかった。大木がするから始めただけだった。だけど今は、少し好きだ。


 読みやすくしっかりと書くことしか考えていなかった白鳥の字は、固く男性的だった。そう、烏山の可愛らしい文字を見るたびに思い知らされる。

 文字だけではない。烏山を前にすると、自分があらゆる面で女性的ではないのだと思い知らされる。みじめな程だ。


 だけどだからこそ、猛烈に彼女に憧れた。自然体で飾らず弱さも甘えも出すことをいとわず、だけど弱いわけではなく自己主張をはっきりして譲らない彼女。その姿はむしろ、虚勢を張ってばかりの自分よりずっと強いのだと思えた。

 どうせ素直になんて慣れなくて、今更彼女と仲良くなんてなれないのだ。それでも、今のままでも、烏山は白鳥に友達みたいに気安く声をかけて接してくれる。

 嫌っているはずなのに、白鳥から話しかけたり触れようとしても嫌だと拒否をしたことがない。友好的ではなくても、会話がとぎれることはない。


 今のままでいい。だからせめて、部活をやめるその時まででいいから、一緒にいたい。


 負けられない。勝てば、他の誰でもない大木に認められて部長になれば、烏山は白鳥をますますライバル視して、やめるなんて言わないだろう。部長命令だと言えば、本当はそんな権限がなくても、やめさせずに思いとどまらせる力にだってなるだろう。

 だから絶対に、負けるわけにはいかなかった。大木の跡をついで、彼女との関係を続けたいと言う気持ちだってもちろんある。だけどそれ以上に、白鳥は今、烏山と一緒に学校生活を送りたいのだ。


 今回、勝負は無記名で行われる。だけど白鳥と烏山は全然字が違うのだ。お互い基本から練習していて、同じ教本を見て同じ字を正確に書いたつもりでも、全然字の雰囲気が違うのだ。まして習字に慣れ親しんでいる大木には一目瞭然だろう。

 白鳥だって大木と親しいつもりだ。だけど習字の実力も似たり寄ったりでどちらが勝ってもおかしくない状況なら、より甘やかしてあげたい可愛い烏山を選ぶだろう。

 白鳥ならそうするし、建前上勝負の形にしてくれただけに違いない。


 だからこそ、白鳥は努力した。烏山に似た文字を書くために努力した。お題は自由だったし、隠すようなことでもない。だから本人から聞いたのと同じ『日々精進 一栄一辱』を選んだ。

 そして過去の作品を見返して、烏山の文字の癖を研究し、同じように書けるように繰り返した。


 そうすれば、勝てる可能性は二分の一だ。ほぼ確実に負ける勝負から、運任せまで持っていけるなら十分賭ける価値がある。


「っ……」


 何度も繰り返して同じ文字を書くと、文字がゲシュタルト崩壊を起こす。頭に焼き付けたはずの烏山の文字を見失いそうになって、目を閉じて記憶を呼び起こす。

 そして一度、烏山を見る。真剣で、でもどこか楽しそうですらある。そんな顔を見ただけで、彼女が部長にふさわしいとわかってしまう。だって他ならぬ大木と、とてもそっくりなのだから。


 烏山と親しくなれなくてもいい。だけどせめて隣で書くこの時間を失いたくない。

 白鳥はぐっと筆を握った。


『日々精進 一栄一辱』


 まだだ。烏山はもっと、可愛らしい文字を書く。


『日々精進 一栄一辱』


 まだだ。まだ、烏山はもっと、技術と両立した可愛らしさだ。こんな馬鹿っぽい感じではない。


『日々精進 一栄一辱』


 違う。こんなんじゃない。


『日々精進 一栄一辱』


 違う。違う違う違う! 全然違う!


 ぴぴぴぴ――


「そこまで! じゃあ今書いている中から、一つ選んで」


 絶望の音が鳴った気がした。


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