その2 烏山の意気込み
二人の間には机が見えない程度の高さに衝立が用意されていいる。どうしても相手を見てしまうと影響を受けてしまうような素人同士だからだ。
お題はない。どんな言葉でもいい。大きさは普通の半紙より大き目の部室に一番多く置いている用紙サイズにしているが、基本的に指定はないので変更は可能だ。
大きければインパクトもあるが、書きにくいのを選んでも仕方ない。ここは堅実に普段から使っているサイズが望ましい。なので白鳥が用意しているサイズで烏山も始める。
書く文字については二人とも事前に決めていたようで、迷うことなく書いていく。慎重に一枚書き終わり、じっくりそれを眺めて全体の雰囲気をつかんでから書き直す。
そうして静かに時間がすすむ。空気を読んだ大木は、スマホでゲームをしながら待っているがちゃんと音を消しているので、グラウンドからの音が聞こえるくらい室内は静かだ。
烏山が書いているのは、「日々精進 一栄一辱」だ。人生はいい時もあれば悪い時もあるので、精進していこう。と言う意味で考えて選んだ。
烏山の文字は、以前は何とも思っていなかったのだが、習字を始めてからややコンプレックスになっている。極度の丸文字だったからだ。筆を持っていても変わらず、意識していてもどうしても丸みを帯びてしまう。
それに比べて白鳥の文字はとてもかちっとしたもので、烏山が思う如何にも習字、と言う印象と一致しているのだ。なのでひそかに白鳥の文字が羨ましかったり、だからこそ白鳥が少しばかり厳しい物言いをすると反発したい気持ちになったりもするのだ。
そもそも烏山は白鳥と仲良くしたくないわけではない。白鳥は背が高く髪もサラサラの美人で成績も優秀で、普通なら憧れるし仲良くしたい系の女子なのだ。
なのに仲良くできないままきたのは最初の出会いが悪かった。
最初に入部して大木が二人を紹介してすぐに、いくら幼い頃からの知り合いとはいえ、高校内ではちゃんと先輩後輩として敬語を使って部室では部長と呼ぶべきでは? などと難癖をつけてきたのだ。
大木はまあどっちでもいいじゃーんと言う風だったのに、白鳥はいいえ、公私混同するようでは烏山さんの為にもなりません、などと言ってしつこいのでついついイラッとしてつんけんした態度になってしまった。
そもそも烏山にとって大木は大好きなお姉ちゃん枠で自分が一番甘えていい相手だったのだ。なのに白鳥は普通に大木と仲が良くて慕っているのが丸わかりで、それも烏山にとっては面白くない点だった。
そして同じ素人同士ではあるが、より習字らしい格好いい文字を書くのだ。これで対抗心を燃やさないと言えば嘘である。
そんな感じでついつい争い合う仲になってしまったし、負けず嫌いなのも災いしてこうして部長の座も競っている。
姉貴分の大木の後を継ぎたいと言う気持ちだってもちろんある。誘われて始めたし、今ではそこそこ習字も楽しいと思っている。臭いも好きだし、何度も試行錯誤しながら書いて、自分が思い描いたようなものが書けると達成感もすごい。
だけどじゃあ実際に部長をやりたくてたまらない、部長じゃなきゃプライドが許さないか、と言われるとそうでもない。
元々そんなに積極的に人前に出るタイプでもないのだ。ましてよい字を書き真面目でマメな白鳥だからこそ、部長になっても全くおかしくないし、自分よりふさわしいとすら思っている。
だけどついつい、負けたくない一心でここまできた。だからこそ手を抜くつもりはない。烏山らしい文字で、烏山なりの全力でぶつかりたい。
そしてその上で負けたなら、もう諦めもつくと言うものだ。
はっきりと白鳥が上だと示されたなら、今度こそ素直に、白鳥のことを認められるだろう。そしてちゃんと、今が悪いわけではないけど、普通に友達のように仲良くなって、副部長として彼女を支えよう。
それが偽らざる烏山の思いだった。だからこそ、自分の負けず嫌いでつい反発してしまう子供っぽい心を納得させるからこそ、大真面目に、全力で取り組むのだ。
『日々精進 一栄一辱』
ほんの少し、まだバランスが悪い。日々精進が全体的に少し低い。
『日々精進 一栄一辱』
一、の二つが微妙に違う気がする。
『日々精進 一栄一辱』
進の払いが気に入らない。
『日々精進 一栄一辱』
栄の一画目に力を入れすぎた。
何度もやり直す。根を詰めすぎると、文字が文字で見えなくなって、記号のように感じられ急にバランスが分からなくなる。一度目を閉じて深呼吸する。
そして感覚をリセットしてからやり直すのだ。ちらり、と深呼吸の合間に隣を見た。
隣の白鳥は鬼気迫るほどの表情で書いている。自分はそれほど真摯に向き合えているだろうか、と自戒したくなるほどだ。
これだから、どんなに厳しくお小言を言われても憎めないのだ。誰より本人が努力をしているから。なにくそ、と反発心が頑張る力になるから。
「ふぅ」
息を吸い、もう一度目を閉じる。
想像する。一番いい、理想の自分の文字。
目を開けて、ゆっくりと筆をとる。肩の力を抜いて、そっと筆を走らせる。
普段の丸文字とは違う、しっかりと基本を守って、だけど誰かの真似ではなく、自分らしさを失わない。ただお手本通りでは面白くない。
素人だけど、今はコンテストでも何でもないのだ。なら基本を守る以上に個性を出したっていいのだ。今はまだ基本に忠実に、なんていううるさい審査員はいないのだから。
選ばれないにしたって、大木なら褒めてくれる。でも好きだよ。と必ず言ってくれるから。だから烏山は白鳥の文字に憧れても、真似はしない。素人で全然駄目でできないのだとして、それでもいつか自分にしか書けない自分だけの文字があって、それが烏山にとっては一番いい文字なのだと信じているから。
ぴぴぴぴ――
「そこまで! じゃあ今書いている中から、一つ選んで」
大木のスマホが音を立てて終了を告げた。烏山は迷うことなく、一番最後のものを選んだ。まだまだ、理想ではない。だけどこれが今書ける精一杯だと、胸を張って。
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