エッチなご褒美


 吾輩の額を冷や汗がしたたる。


 撃つ?

 撃つってなんだ?

 それは脅しになり得るのか?

 

 吾輩は背後にいるだろう脅威をそうそうにエイメンダースに処理させるか逡巡する。


 が、やめておいた。


 匂いからして相手が傷ついていることが分かったからだ。

 かなり出血している。


「皇女様を離し、両手を上に、ゆっくりとこちらへ振り返れ……!」

「安静にしたほうがいい」

「いいから言う通りにしろ! 

「…わかった、言う通りにしよう」


 吾輩は意識のない皇女を優しくおろして、言う通りに手をあげて振り返る。


 吾輩の背後にはひとりの少年がいた。

 皇女と同じくらいの、まだまだ子供というべき年齢で、黒いスーツを着ている。最近、魔界の若手エリートたちが着ているやつだ。何が良いのだか。


 手には何やら黒筒の機械が握られている。

 武器だろうか。そうは見えないが。

 ただ、少年の覚悟がその機械に委ねられている気がするし、なんとなく無骨で威圧感がある。うん、たぶん、武器なんだろう。


「それはなんて言う道具だ?」

「はぁ、はぁ……訳のわからないことを…」


 人間界ではたずねる事がおかしいくらいには常識的な道具、ないしは武器らしい。


「皇女様からゆっくり離れろ!」

「少年よ、何か勘違いしている。吾輩はたった今、君たちを襲った輩を退治したところであり、いわば英雄的立場にあってだな──」


 ──バァンッ


 撃鉄音が響き渡った。

 鼻先をくすぐる火薬の匂い。

 

 吾輩の視覚はとらえていた。

 爆発によって生じたガスが、鉛の玉を高速で黒い機械から弾き出した瞬間を。

 

 なんと、やはり武器だった。

 最新の弾きだ。


「魔術ではないな」

「喋るなッ! はやくそっちへ行けッ!」

「わかったわかった。落ち着くんだ。皇女を傷つけたら大変だろう」


 吾輩はエイメンダースが少年を潰してしまわないように、いさめながら傍へと寄る。


 少年が皇女の元へより、胸ポケットから素早くポーションを取り出して彼女へとかける。


 その間も少年は黒い筒の機械を、油断なく吾輩へ向けてきている。


「む?」


 ふと、治療中の少年と皇女の背後の車に異変を感じた。


 魔神の魂にそなわった危機察知能力──ごく短い先の未来ならば、予見してしまうパッシブ能力が発動したのだ。


 吾輩の瞳は5秒後の危険をうつす。

 そこには、内側から破裂する車体、その鉄破片によって貫かれる少年と皇女の姿があった。


「そこは危険だ」

「っ、動くなと言ってるだろうッ!」


 吾輩はすぐさま2人に駆け寄る。

 少年は恐怖に耐えかね、再び発砲した。


 撃ってくるのはわかっていたので、あらかじめエイメンダースの不可視の手を吾輩の前方に置いておき、その硬い皮で受け止めさせた。


 少年は空中で静止して、吾輩に届かない弾丸に目を見開いて驚愕する。


「な……ッ?!」


 吾輩はその隙に近づいて、素早く筒の機械を持つ手首を手刀でたたいて落とさせ、少年と皇女を小脇に抱えて車から離れた。


 すぐのち、車体は火炎を吹いて爆発し、あたりには鉄片が飛び散った。


「恐ろしいものだ。自動運転車には火薬が積んであるのか」

「ひぃ、ひぃ!」

「む、少年、平気か?」

「ぃ……ッ! へ、平気に決まっている!」

「それは結構」


 吾輩は少年と皇女を降ろして、再び2人から離れてあげることにした。

 少年はキョトンとした顔でこちらを見てくる。


「お、お前、なんで襲わないんだ……」


 吾輩は先ほどの説明を繰りかえし、自分が2人を助け、粗野な連中を追い払ったのだと告げた。


 少年は今度こそ吾輩の言葉を信じたらしく、深く頭を下げて謝罪してきた。


「申し訳ない……! 突然のことで、いきなり前の車両が爆発して、それで気がついたら、あんたが皇女様のそばにいて……」

「非礼を許そう」

「あ、ありがとう、助かる」


 この後、少年のほかに数人の黒スーツたちが倒れた車から出てきた。

 わらわらと出てくるな。それほどたくさん護衛が付いているなんてな。

 さすがは皇女だ。

 

 彼らはすぐのちに吾輩へ、銃、なる武器を向けてきたわけだが、その敵意はまったくの誤解であると、少年から彼らに伝えてくれた。

 

 しばらくして、ボロボロの黒スーツたちが見守る中で、皇女様とやらが目を覚ました。


 吾輩はすこし離れた位置で、少年以外の黒スーツたちわずかな警戒をされながら、その光景を見守る。


 少年たちが心配そうに言葉をかけ、皇女は存外に元気そうに受け応える。

 その後、ちいさな機械を操作してどこかと連絡を取っていた。

 遠距離連絡の手段として人間界では魔術ではない科学が発展しているとは周知の事実。きっとアレも便利な機械なのだろう。


 すこしして、吾輩の方へ彼女は視線を向けてきた。

 立ちあがり、黒スーツたちを引き連れながら近寄ってくる。


「あなたが、わたし達を救ってくださったのですか…?」

「通りがかったところ、ならず者たちがおりましたので追い払っただけです」


 魔界的には「そうだ、俺が救った! エッチなご褒美をよこせ!」と言うのが正しい。

 ストレートこそ典型的な魔人に好まれるから。


 だが、ここは人間界。

 そうはいくまい。


「うっすらと覚えてます、あなたがあの野党団を追い払ってくれたところを…なぜか人が宙に浮いてたような気がしますけど……」

「うむうむ、それはよかったです」

「こほん、もう知ってるとは思いますが、わたしは火の国インフェルノの皇女、名をアリス・ウォールケンと申します。命の恩人さま、あなたの名を覚えておきたいので、教えていただけますか?」

「名前? ふっ、吾輩の名はアディア……んっん! ……アディ、アディ……そう、アディだ。吾輩の名はアディである」


 危ないところだった。


「アディ様……ええ、確かに、その名前、このアリスしかと記憶に刻みました。先程は本当にありがとうございました」

「礼に及ばないですとも。でも、もし何かあるなら……ほら」


 魔界だったら「一発やらせるんだ」でオーケーだ。


 流石に魔王なので、もしここが魔界だとしてもそこまで低俗に要求しやしないが。


「えっと……あ! わかりました!」


 ピンときたかのような顔で皇女アリスはポンッと手を打つ。


「貴方のような方にはお礼をしなくてはいけませんね!」

「ほほう、お礼をくれると。なんと気前の良い、皇女様だ」

「当然です。ウォールケン家、ひいてはインフェルノはあなたを客人として、インフェルノ城へお招きしますとも!」


 城へ招待?

 美味しい料理でもてなしてくれる、と。

 そっかぁ……うーん。


「それより、もっと、情熱的なやつはありませんか?」

「え?」

「情熱的な……その、ほら…」


 魔界では美女に何かしてあげたら、お礼としてよくベッドに連れ込まれていた吾輩であるが、どうにも人間界ではあのような事は常識ではないのかもしれない。


 あるいはあれは吾輩が魔神だったからか。

 ああ、そうだな、そうに違いない。

 魔神という肩書きを失った吾輩など、所詮はなんの魅力もないボンクラなのだ。


 やめよう。

 ボンクラはボンクラらしくだ。


 吾輩は消沈して肩を落とす。


「やっぱり、結構です、アリス様。吾輩ごときは城に招かれるような事──」

「っ! 情熱的ってまさか?!」

「あれ?」


 アリス様はここに来て顔を真っ赤にしてこちらを見つめてくる。

 

「にゃにゃ、にゃんと破廉恥な要求を……っ、うぅ、し、しかし、命の恩人が求めているのなら、仕方ありません……っ」

「アリス様?」


 もしかして、今更言葉の真意が伝わった?


 うう、やめてくれ、今更ながら恥ずかしいぞ!

 吾輩が下半身でしか損得を考えていない野獣だと思われてしまうではないか!

 魔界の常識を盾にした変態だとばれてしまったのか……!


「アリス様、じょ、冗談です……っ、冗談ですとも、よくよく考えれば皇女様に吾輩はなにを頼もうとして──」

「動かないでくださいっ!」


 アリス様はそう言って、吾輩の目の前に寄ると、手で吾輩の目元を隠してくる。

 されるがままにしておくと、ほっぺたに唇の柔らかい感触が数秒押し当てられる感覚を得た。

 吾輩の目元を隠していたアリス様の手が引かれる。


 アリス様の顔は真っ赤に染まり、まわりのボディガードたちは驚きの表情を浮かべている。


「まさか、皇女にエッチなご褒美を求めるなんて……! で、で、でも、仕方ありません。あ、アディは割と、割と、タイプなので特別にしてあげたのです。か、かか、感謝してくださいねっ!」


 アリス様は早口にそう言い終えると、タイミングの良いことに、森を貫く向こうの方のから彼らを迎えに来た空飛ぶ機械がやってきた。プロペラがくるくる勢い良く回っている。物がよく切れそうだ。


 救世主を得たり、といった表情で「で、では、これでご褒美はおしまいですからね!」と言ってアリス様は逃げるように空飛ぶ機械のほうへ走っていった。


「うむ。人間界でのエッチはプライスレスなものなのかもしれないな」


 吾輩はふたつ学んだ。


 皇女に情熱的な褒美をもとめるとチューがもらえること。

 加えて皇女、ないしは麗しい乙女にご褒美をもらうと、黒スーツ達に睨みつけられるということ。

 

 期待したほどのエッチではなかった。されど、魔界にいては経験できなかった体験に吾輩はえらく充足した気分になるのであった。


「あ、ところで、吾輩、車というものを運転してみたいのだが、一台くらい貸してくれたり──」

「ダメだ。死ね」

「命の恩人ポイントがまだ残ってたり──」

「しない。死ね」


 さっきまでめっちゃ優しかったはずの少年に、超辛辣な言葉を浴びせられた吾輩は、早々に引き上げていく皇女アリスを乗せた空飛ぶ機械──後に知ることになるヘリコプターを見つめ、深いため息をついた。


 

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