魔神にうかつに触れるなよ

 魔界の空をドレッドルードに乗って飛ぶこと数時間後、吾輩は暗い空の彼方に天にも届く大峯と、澄み渡る青空を見つけた。


 あそこが世界境界線。

 1,000年前の人間と魔人との戦争を最後に、吾輩が強大な魔術でもって地上に描いた数万キロにもおよぶ地上絵である。


 あそこから向こう側が人間界。

 吾輩の故郷であり、まだ知らぬ世界だ。


「このまま乗り込むわけにはいかないな」


 ドレッドルードは翼を広げた状態だと横に300メートルもの幅を誇る暗黒竜のなかでも最大サイズの子だ。


 こんな大型竜は人間界にはいないらしいし、魔界との縁を一旦切り平穏な隠居生活を得る──という、吾輩のポリシーにも反する。


 ゆえにドレッドルードとはここでお別れだ。


「忠竜、大義であった」


 吾輩はそうつげて、ドレッドルードの立派なツノを撫でてやる。

 彼女は「くわぁあ」と魔界の空を震えさせるほどの咆哮をあげた。喜んでいるんだ。


「故郷に帰って、良い雄を見つけ、たくさん子どもを産むのだぞ。強い子を育て、そしてまた、偉大な竜の一族を繁栄させるんだ」

「くわぁあ」

「では、またいつか会おう。友よ」

「くわぁあああ〜!」


 吾輩は彼女のうえから飛び降りて、重力の任せるままに大峯の山肌へと降りていった。

 大峯の頂上を目指して歩くことしばらく、吾輩はついに頂にたどりつき、光の『壁』へやってきた。

 物理的な障壁というわけではない。

 吾輩は一旦立ち止まり、深呼吸をする。

 そして境界線をまたいだ。

 やった、ついにやり遂げたぞ。


「魔界脱出、だ」


 吾輩は空を見上げる。

 世界境界線をさかいに、綺麗に青い空と黒い空にわかれている。


 世界境界線に指定してある標高15,000m超の山脈『世界山脈』の雪化粧した頂上から、吾輩は遥か下方へと広がる豊かな森林、川、その先につながる湖、向こうの景色となり、もはや霞んでよく見えない都市を見渡す。

 

 ああ、なんと美しいのだろうか。

 吾輩が求めていたのはこれだ。

 殺伐とした魔界ではない。

 吾輩の魂はこの平穏を欲していた。


 いささか酸素の薄い気がする空気を胸いっぱいに吸いこみ──ふと、思いだす。


「魔神の身体のままでは人間社会に馴染めないのではあるまいか?」


 5,000年生きてきた。

 長命である魔人のなかでも、ここまで長生きな者もそうそういない。

 

 吾輩の身体は、魔界の過酷な環境と時間によって裏打ちされた『世界最強の肉体』だ。


 現に世界山脈の最高峰K4の頂上で深呼吸してしまっている。

 人間なら工夫なくして、この真似はできまい。


「魔神アディアンの名は人間にも知れ渡っているはず。吾輩は人間界でその名を語る気などない。とすれば──」


 吾輩は『永世魔王』『闇の帝王』『魔神』──エトセトラ、さまざまな二つ名を付けられてしまったアディアンという皮はここに置いていこう。


「【探知】」


 魔力の奔流をを波動として放射し、辺りを調査、吾輩は雪のしたに氷漬けにされた人間の遺体を発見する。


「身体を貸してもらうぞ──【夜明け:霊魂乖離】」


 およそ推定400年前の登山家っぽい遺体は、鮮度が抜群の状態で保たれており、すこし修繕して、魂さえ吹き込めば、まだまだ使えそうだった。


 吾輩は氷を炎で溶かして、登山家の死因である頭部や損傷を治癒魔術で完全再生させ、そこへ吾輩の本来のカラダ『魔神の形骸』から、吾輩の自我とも呼べる魂を移し替える。


 同時に『魔神の形骸』は亜空間へ投げ込んでおいて、誰にも見つからないようにする。


 魂の移し替えなど、吾輩以外に行える者がいるのかは疑問であるが、よからぬ輩に『魔神の形骸』が見つかれば、最悪の場合、悪用されてしまうかもしれない。


 にしても、


「めちゃ寒ッ!」


 人間の身体に乗り移った瞬間、恐ろしいほどの冷たさに襲われた。


 それもそのはず。

 この身体は400年間冷凍保存されていたのだ。


 吾輩は急いで炎を使って体温をあげようと試みる。

 しかし、魔術が発動しない。

 人間の身体での魔術行使は、これまでとはまったく要領が違うらしい。

 と、冷静に分析してみた吾輩であるが、そろそろ本当に死にそうだ。

 

 吾輩は急ぎ人間にとっての世界山脈最高峰『絶死の霊峰』K4を降りる事にした。


 圧倒的な不便さを誇る肉体とはいえ、魔神と呼ばれた吾輩であるので、山を死に物狂いで駆け下りれば凍死だけは回避できた。


 とはいえ、数刻も下山にかかったものなので、この肉体はもうボロボロで、吹けば意識を失うほどに衰弱してしまった。


 気がつかなかったが、この身体はまだまだ少年の肉体だったらしく、身長2メートルである元の吾輩の体との齟齬も、肉体への順応を邪魔した。


「しかも、魔術使えねぇじゃん…うぅ、変なところで肉体乗り換えてしまったか」


 これまでは溶岩のなかを泳いだり、毒沼の中で生活したり、なかなか無茶をして来た。貧弱な人間とは感覚がかけ離れてしまっている。


 人間は、か弱い存在だ。

 5,000年生きた魔人のように丈夫じゃない。


 吾輩はその事を思い知らされながら、何かひとつくらい魔術が使えないものかと、昼下がりの森で焚き火をたいて休憩しながら、試行をつづけた。


 吾輩の魔術ボキャブラリーは約55万個。

 そのうち54万2,539個は、すでに前世代の魔術であり、効果の上位互換モデルが存在しているので、使う機会もなければ意味もない。

 

 吾輩はもう何百年も唱えていない魔術から、よく使う定番のものまであまさず試した。


 結果、使えそうな魔術は0だった。


「仮にも魔術の王がこの様とはな」


 悲しい事だ。

 とはいえ、何にも焦ってはいないが。


「今は人間の生活圏を目指すとしよう」


 休憩したら、体が温まった。

 気分もすこしよくなった。

 吾輩は山の上から遥か遠方にちょっとだけ見えた人間の都市を目指して歩く事にした。


「ん、なにやら、争いの匂いがするな」


 人間の臭覚というものは、なかなかに優れているらしく、風に乗ってくるわずかな香りを拾うことが出来る。あるいはこの少年の体がすごいのか。


 吾輩は殺気の匂いがする方向へと駆けた。

 獣道をかき分けて進むと、突如として、巨大な破裂音聞こえてきた。


「爆裂魔術か」


 吾輩は興味深々に音の聞こえたほうへ向かった。


「囲め。皇女を逃すんじゃねえぞ!」


 厳粛な声、排気音とともに高速回転する車輪が、コンクリートの地面を擦るキュ、キュという高い音。


 間違いない。

 これは自動車輪の音。

 魔界では聞けない人間のもつ機械エンジンから生み出される胎動だ。


 吾輩は、わくわくしながら、木の影から様子を見てみる事にした。


 自然あふれる森の真ん中を、黒いコンクリートの道が一着線に貫通するように伸びている。


 整備された道のうえには、久しぶりに見た数台の自動車が転がっていた。

 車輪が弾け、底に損傷している。

 爆発があったのは間違いない。


 して、爆裂魔術の使い手はどこに?


 場をさらに観察すると何が起こってるのか、くわしく理解できてくる。


 大型バイクのハンドルを片手で握ってバランスを保ち、もう片方の手に剣をもって走行するならず者たちの姿。

 ならず者たちは壊れた自動車たちを取り囲むようにバイクを停車させていく。


 穏やかではない。


「アニキィイ、皇女を発見しやした!」


 下っ端臭がすごい男が爆破された車から、ひとりの少女の腕を掴んでひきずりだした。


 少女は額から血を流しており、意識は朦朧としているようだ。


「皇女さまぁ〜、みーっけ! ぐへへ!」

「ぅ…ぅ……」


 アニキと呼ばれた頭領格の男は、ぐったりとした皇女の腰に手をまわすと、たわわな胸を乱暴に鷲掴み、長い舌でその頬をベロっと舐めた。


 褒められた行動ではない。

 そこにモラルはなく、あるのは不秩序のみ。


 吾輩は不愉快な気分になった。


 5,000年間、魔王などやってきたわけだが、吾輩の根底にあるのは結局のところ、ひどく人間的な成分ばかりだ。


 これまでは吾輩の行動にはいつだって責任がついてまわった。

 しかし、今は違う。

 責任など考慮しなくていい。

 目の前で見目麗しい乙女が害されようとしているならば、それを助けてワンチャン、スケベなお礼がもらえるかもしれない事を期待したっていいはずだ。


「そこまでだ、ならず者どもよ。その美少女を吾輩へ渡したまへ」


「んぁ?」

「アニキ、ガキがなんか言ってますけど……」


「吾輩はその麗しい乙女が欲っしている。死にたくなければ即刻、吾輩に皇女? を渡せ」


「頭いかれてんのか」

「俺たちと同業者っすよ。追い剥ぎ稼業の一匹狼に違いないっす」

「ちげぇねえ、あいつも変態だ」


 なんだかとっても不名誉な認識をされてしまった気がする。

 魔界だとこういう風に用件はストレートに告げるのが好まれるのだがな。

 人間界では迂遠な言い回しをした方が良さそうだ。


「おほんおほん。──あまり、吾輩を怒らせるなよ、雑種ども」


「舐めてんのかクソガキぃい! ぶちのめしちまえ!」

「「「「うぉおお!」」」」


 交渉決裂。

 

 ならず者たちは剣をふりあげて斬り殺す気満々だ。


 剣で斬られたりしたら、この身体だと、たぶん普通に死ぬ。

 ので、吾輩はさっそく自己防衛に移らせていただく。

 とはいえ魔術は何も使えないので、ここは”長年の友達”に処理を任せることにする。


「な、なんだ……っ! か、体が勝手に…」

「なにかにッ、見えない何かにッ、掴まれてる……ッ?!」


 ならず者のひとりの身体が宙へ浮かびはじめた。

 その服は見えない大きな手に掴まれているように、しわが寄り、そこに何かが存在していることを暗示する。

 

「助けてくれぇえ! 何かがいる! なんか、デカイ、何かガァァァ!」

「んだよ、何なんだよ、それはぁ?!」


 パニックになった現場を吾輩は腕を組んでただ傍観するばかりだ。


「助けて、たしゅけてぇえ! 嫌だぁあ! やめ、痛ぃ! ぁ、が、う、うぎゃぁああ、潰れる! じゅぶ、れ、れぇぇ、ェエ──」


 宙に浮かんだならず者は、聞くに耐えない断末魔を残してグチャッと潰れた。


 空中には臓物をミンチのようにすり潰した肉片がジェル状に変化して″大きな手″の形を染めて浮かび上がらせる。が、瞬きのうちに、何もない空間に浮かび上がった臓物ペイントされた手は見えなくなってしまった。


 この場で今何が起こったのか、その実態を知るのは、およそ吾輩だけだろう。


「人よ、学べ。魔神にうかつに触れようとしてはいけない、という事だ」


「「「「「ヒィィああああ!?」」」」」


 ならず者たちは悲鳴をあげてバイクに飛び乗り、アクセル全開でこの場を逃走する。


「エイメンダース、もういい」


 吾輩は追撃しようとしていた不可視の多次元生命体へ攻撃を止めるよう伝える。


 この多次元生命体の名はエイメンダース。

 格子を繋ぎ合わせたような独特の頭部と、8本の細長い腕をそなえた全長50mもの大きさを誇る吾輩のガーディアンだ。

 目に見える世界だけを見ているだけでは、決して観測する事は叶わず、おそらく数千年の歴史を紐解いても、この生物に関する文献はそう多くは見つからない。


 吾輩の魂に紐付けられているので、自動的に守護対象を『魔神の形骸』からこちらへ移してくれたらしい。


 連れてくる気はなかったが、まあ、ついて来ちゃったものは仕方がない。

 結果的に別の手を使わずに済んだしな。

 この際、便利だからもうちょっと同行してもらうか。


「またしばらく、頼んだぞ」


 3,500年来の友人の頭部をぺちぺち叩いてニコリと微笑む。

 エイメンダースは懐っこく五メートルの頭部を擦り付けてお返ししてくれた。


「さてと。こちらの皇女様とやらをどうするか」


 吾輩は皇女と思われる少女を抱きあげ、気絶していることを確認する。

 治癒魔術をかけようと思い至るが、生憎と魔術が使えないことを思いだして、途方にくれてしまう。

 と、そんな時、


「動くなッ!」

「?」

「振り向いたら撃つ!」


 背後から威圧感ありありの恐喝が聞こえてきた。



 


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