終章 昼間の後夜祭

第98話 戦い終わって日が暮れて、一晩経てば日がまた昇る

 クラエスフィーナの課題合格おめでとうパーティーは審査の日の翌日、特別に昼間から開けた「黄金のイモリ亭」で行われた。

 夜だと盛り場にラルフ妹ジュレミーやお手伝い五人組など未成年が入れないのが理由だが、店主オヤジが夜は夜で普通に営業するつもりなのもある。店員も常連客も全員昼間の方に来ているのだが……それはそれ。儲けにシビアなオヤジは機会損失を許さない。


 そして当日ではなく翌日に開催になったのは、クラエスフィーナがゴール直後に魔力体力の限界で完全にのびてしまったから。一昼夜寝続けて、開始直前の昼前にやっと起きたところだ。

 ちなみに着水に巻き込まれたラルフも一緒に施薬院へ運び込まれたが、こちらが回復するかどうかはどうでもよかったので祝宴の開催にあたり特には考慮されなかった。まだ包帯を巻いているが、本人も参加しているので大丈夫だろう。




「それでは皆さん、ご一緒にお願いします!」 

 テーブルの上に立った文章学科二年のアントン(ブラウニング研究室)が何故か音頭を取って、開会宣言兼乾杯を唱和する。

「クラエスフィーナさん、合格おめでとう!」

「おめでとう!」

「ありがとー!」

 店内いっぱいの招待客が一斉にジョッキを振り上げ、店内は「おめでとう!」の怒号と飛び散る飲料の飛沫で物凄いことになったが……すでに酒の入った雰囲気なので誰も気にしない。一本脚の卓上で勢いよく飛び跳ねたアントンがテーブルもろとも倒れたが、一杯目を飲み干すのに忙しい皆は誰も気にしない。

 クラエスフィーナは芋が納品された時の木箱の上に立ち、“あんたが主役”と書かれたたすきをかけていた。

 次々にお祝いを言いに来る人々に、強張った笑顔で「ありがとう!」と返している。自分の立場にかなり戸惑っているようで、表情がガチガチになっている。


 思えば故郷でも学院でもはみ出しっ子ポジションだったクラエスフィーナは、これだけ集まったパーティで主賓を務めるなんて初めてだ。

 そんなパーティーを開催できる結果だったことも、クラエスフィーナの為に集まってくれる人がこんなにたくさんいることも嬉しい。

 クラエスフィーナは途切れずやってくるゲストたちと、いつまでもグラスを合わせ続けた。




 三十分ほどすると客の挨拶が一巡したとみて、すでに三杯目に入っているダニエラがクラエスフィーナに寄って来た。

「にしてもクラエスが無事に回復して良かったぜ。まさかおめでとうパーティーの主役が意識不明で来れませんでしたじゃ、話になんねえもんなあ」

 いつものような会話に、気が張り詰めていたクラエスフィーナもホッと息を吐いた。

「ホントに回復して良かったよ……私も、昨日は限界を超えた感じだったもの」

「どこまで覚えているんだ?」

「えーとね……合格ラインの手前で、向こうで手を振るラルフが見えたところかな?」

 クラエスフィーナの返事を聞き、横からホッブが口を挟んできた。

「クラエス、それはアレだ。幻覚だ。危ないところだったな」

「えっ?」

 目を丸くするクラエスフィーナとダニエラに、ホッブが深刻そうな顔で先を話す。

「王都じゃ有名な都市伝説だ。死にそうな者がふと気がつくと川のそばにいて、向こう岸から死んだはずの親しい人が『こっちにおいで』と誘ってくるという……」

「ってことは」

 ダニエラが息を呑んだ。

「すでに単位が足りなくて留年が決まったラルフが、合格できるかスレスレの状態にあったクラエスを留年へと誘った……?」

「ああ、呼び声に誘われてついて行ったら……良かったなクラエス、生還できて」

「あ、危ないところだったよ!」

「人を死霊かなんかみたいに言うなよ! そもそもクラエスの課題は奨学金の話だろ!? 僕だってまだ留年なんか決まってないっての!」

 トロいエルフがとんでもない嘘にまた簡単に騙されるのを見て、慌てて駆け付けたラルフが間に割って入った。

「ホントに留年じゃねえのか?」

「今は決まってない!」

 今後の予定は未定。




「でも良かったよ。合格ライン直前のクラエス、もう意識朦朧って感じで前も見てなくてさ」

 ラルフが言えば、クラエスフィーナもコクンと頷く。

「ホントにゴールにラルフがいてくれてよかったよ……私、あのままじゃ後ほんの少しを残して着水しているところだったよ」

「身を呈した甲斐があったというものだな、ラルフ」

「まさか一直線に機体ごと飛び込んで来るとは思わなかったけどね……」


『クラエスフィーナの課題達成に多大な貢献を成し遂げたものの、達成を確認した直後に危うく殉職するところであったラルフ。彼を救ったのは皮肉にも、散々研究チームを苦しめた湖の上という立地だった。

 不安定なボートという足場に乗っていたので、ぶつかった衝撃をそのまま転倒で相殺できたこと。“翼”の転覆防止につけてあった前翼に引っかかったので、直撃したのが固い金属フレームではなかったこと。そして機体が上にのしかかったとき、ボートも一緒に挟まれたのでラルフが直接引かれたのではなかったこと。これらのおかげで、奇跡的にラルフは軽傷で済んだのだ……』


「いや、いい話風に言われても困るんだけど」

 ホッブのまとめた筋書き風の語りナレーションをラルフは打ち消した。

「それ、『いいヤツだけどイイ人止まりで、序盤の主人公を育て上げた後の最終決戦の前にカッコよく死んで終盤の踏み台にされるキャラ』に捧げる決まり文句だよね? そこで一回助けておいて、もう一回ピンチの時に今度こそ命を投げ出しちゃう定型セオリーの前振りだよね?」

 ホッブが心底不思議そうに訊き返した。

「おまえには過ぎた御身分だったか?」

「僕の輝かしい人生はこれから始まるんだっての!」

「十八年もかけて始まらなかったんだ。今一瞬に燃え尽きても見せ場があっただけマシだろう」

「冗談じゃない! 僕にはこれから……!」

 クラエスフィーナと一緒になって楽しい人生を……と続けかけて、後の言葉をラルフは慌てて飲み込んだ。

 まだ告白もしてない(正確には告白と思われずにスルーされた)相手がそこで笑っているのだ。気持ちも伝えていないのに二人の未来を語るとか、バカにされるを通り越して引かれてしまう。

 ホッブが馴れ馴れしく肩を抱いてきた。

「『これから……』の先を未だに言えねえのは致命傷だぞラルフ」

「……わかっているよ」

「ホントにわかってんのか? 今まさに、ラストチャンスが通り過ぎようとしているんだぜ?」

「……」


 そう、ラルフたちの研究生活は今この祝賀会を持って終わる。

 後の奨学金の更新手続きだの会計の後始末だのは別に皆が集まってする事じゃないし、明日からはそれぞれの学科に分かれた学院生活が待っている。

「振られるにしても避けられるにしても、告白して爆散するなら今しかないぜ? 明日になって勇気が出ても、もう先に向かって歩き出しているクラエスは今日の余韻から覚めているかも知れねえ。逃げられるにしたって引かれるにしたって、この祝い事に酔ってる空気の中で言わないでどうする」

「待って! ホッブ、貴様のセリフの中に成功パターンが一つもないんだが」

「気休めは言わない主義だ」

「僕は悪口と辛口を混同する評論家が嫌いでね。だいたいそういう奴ほど自分自身の中身がない上に、二目と見れない外見なんだ。近所の印刷屋の次男がそういう奴でさ」

 ラルフとホッブの殴り合いが始まった。




 バカ二人が殴り合っているのを横目に、ダニエラが五杯目を空けながらのんびりクラエスフィーナに昨晩のことを聞いている。

「昨日は結局施薬院に泊まったのか」

「泊まったというか、意識不明だったっていうか……」

 昨日は下敷きになったボートに乗っていたラルフともども、救出された時にクラエスフィーナは意識がなかった。怪我こそしていたけど意識がはっきりしていたラルフが実行委員に事情を説明し、施薬院に急患として担ぎ込まれ……今日の昼まで丸一日近く寝ていたのだ。

「でも意識がなくって良かったこともあるよ」

「ってーと?」

「魔力回復と体力回復と滋養強壮の特効薬をしこたま飲まされたらしいんだけど、私、意識が無いから苦くなかったんだよね。クラウディア導師がすっごい悔しがっていたって。だから私、かなり回復しているのにつらい記憶がないんだよ!」

「あのババア、いい加減施薬院の担当から外されねえかな……なんでもいいけどクラエス、それラッキーな体験じゃねえからな?」

「そう?」

「当り前だ。そもそも、あのイカレた導師が構えている施薬院に運び込まれること自体がアンラッキーなんだからな?」

「でもラルフはさらに一晩中投薬されて、終わらない苦みにのたうち回っていたって話だよ」

 その話をしていた時のクラウディア導師の喜悦の表情は一生忘れられないだろうな、とクラエスフィーナは思った。

「あれは……学究に魂を売った人でなしの顔だったよ……」

「なんの話だよ?」


「ま、なんにせよ治って良かったわ」

 ダニエラのおざなりな慰めの言葉に、クラエスフィーナもほにゃっと笑った。

「そうだねえ。おかげでパーティーも出られたし!」

「……入院していたおかげで助かったのかも知れねえしな」

「え? 何か言った?」

 結果良しでニコニコ笑うエルフ。ただ、多少別の事情も知っているダニエラとしては他に思うところもあったりする。


 審査終了後。クラエスフィーナとラルフがともに施薬院に担ぎ込まれたと聞いて、ラルフの妹が側近コーリンと悔しがっていたのだ。

『ちっ、セッティングが裏目に出たわね……最後の最後にバカ兄が感動のアシストをして、いい雰囲気で祝賀会突入・泥酔してからのベッドインで既成事実を狙っていたのに!』

『泥酔してたらグデグデでしょう。そううまくいきますかね?』

『うまく仕向けるのよ、コーリン。興奮剤と精力薬をキツイ酒に混ぜて二人に渡す算段まで付けてあったの。それに最悪前後不覚になっていれば、二人の服を脱がせて同じベッドに放り込んでおけば目的は達成できたわ。施薬院に入院じゃ手出しできないじゃない』


 ダニエラは他人の会話を盗み聞きしていて、あれほど震えが止まらなくなったことはなかった。

「あの妹やべえ……あたしもラルフなら反対はしねえけどさ……ラルフはいいけど、あれと義姉妹かよ……でも、逃げようにも絶対逃さない気迫だったよな……」

「どしたの? ダニエラ?」

 何かを思い出してガタガタ震え始めたドワーフ。心配したクラエスフィーナが声をかけるとダニエラは振り返り、妙に慈愛に満ちた目でにこりと笑った。

「クラエス……強く生きろよ?」

「……ホントにどうしたの!?」

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