第91話 緊張の朝、本番の朝
不意にラルフは腹になかなかの鈍痛を感じ、暗闇の中から意識を取り戻した。
「な、何だっ!?」
跳ね起きた瞬間は自分の部屋でない場所なのに驚いたけど、すぐに自分は昨日作業小屋で仮眠したんだったと思い出した。
そこまで思い出して周りを見回せば、すぐ横に幼年学校の制服を着た妹が立っている。
「ジュレミー……?」
妹は同じ制服の少年少女二人を後ろに侍らせ、腕組みして冷ややかな目で
「声をかけたらサッサと起きなさいよ、ダメ兄が。つい足が出ちゃったじゃない」
普通そこは、“手が出ちゃった”じゃないだろうか?
今の痛みは、愚妹が革靴のつま先を勢いよくラルフの腹にめり込ませた為らしい。手荒すぎる起こし方について抗議……は無駄に違いないので、別の疑問を聞いてみる。
「なんでジュレミーがこんな所に……」
妹は肩に流れた髪を様になるしぐさで後ろに払いながら、至極当然のように言い放った。
「クラエスちゃんの一大事なのよ? 人任せにできないじゃない。フィッチャーたちがホッブさんに起こすよう頼まれたって聞いてたから、念を入れて私が自ら見に来たに決まっているでしょうが」
十四歳にしてこの
そのクラエスフィーナはまだ眠そうな目をごしごしこすりながら、ペタンと座り込んでぼんやりしている。ホッブも何とか起きられたようで、眠気が勝るのかのろのろ身を起こしているところだった。ダニエラは昨晩胡坐をかいたまま猫背で熟睡していたものだから、四つん這いでプルプルして「痛てえ!? 体中がバキバキ言ってる!?」と悲鳴を上げていた。自業自得だ。
起きるのに妹が手を貸してくれるなんてことはありえないので、ラルフは自分で地面に手をついてよろよろ立ち上がった。
動くとちょっと頭がハッキリしてきて、見える光景に何か違和感を感じた。
「あれ? 何か……昨日と景色が違うような?」
どことは言えないけど、何かがおかしい。
「おまえの脳ミソはホントに呑気でいいなあ」
まだ床に座り込んでいるホッブが、広く開いたスペースを指し示した。そこには確か、大きなものが……。
「……何か、無い?」
「何か、じゃねえよ。実験機が無いんだよ」
ホッブが頭をガリガリ掻きながら独り言のように話すのを聞いて、ラルフは血の気が一遍に下がる気がした。
「なんだって!? この期に及んで盗まれひぎゃあっ!」
思わず驚きに叫びかけたラルフのセリフが途中で悲鳴に代わる。後頭部を
「いい加減にシャンとしてよ。起こすのに結構な時間がかかりそうだったから、手伝い組がもうとっくの昔に湖畔へ運搬中よ」
「あ、ああ……そうか」
道理で起こしに来たはずの幼年学校生たちがいないわけだ。はっきり見下した目で(お礼の言葉は?)と視線で要求している妹に、兄はバツの悪さを感じながら謝った。
「重ね重ね、お手間かけます……」
情けなさそうに頭を下げるラルフに深くため息をついた妹は、後ろを振り返ると同級生らしい二人に声をかけた。
「応援の方は大丈夫?」
「はい、ジュレミー様。ホッブさんから指定された辺りで、無事スペースが取れたと先遣隊から連絡が。本隊もすでに学校から移動して合流しつつあると伝令がありました」
「よろしい。さっき頼んだものは?」
「すでに寸法を携えてコーリンが準備に走っています。間に合うかどうかは……くじ引きの順番次第になるかと」
「そうね……わかった、ご苦労様。それじゃ貴方たちも本隊に合流して」
「はっ!」
いつの間にかにじり寄ってきていたホッブがラルフに囁いた。
「以前手伝いの連中の態度でも思ったんだけどよ……おまえの妹、学校でどういう立場なんだよ?」
「僕に聞かれてもわかんないよ! ……ただ、僕の幼年学校の頃と、ちょっと違う学園生活してるのは確かっぽいね」
おそらくちょっとどころではない。
「家で見た時は偉そうだったが、ここまで背筋伸びてなかったじゃねえか。
「本人は別に上昇志向は無くて、家業を継ぐつもりなんだけどね……僕を見て、商売するのに何の足しにもならないからって学院も行く気はないらしいよ」
「遊んで飲んで留年に怯えて。妹から見りゃ完璧な反面教師だもんな、おまえ」
「ハハッ、偉大な兄の背中を見て育った自慢の妹さ!」
「兄の方が自慢になれよ」
「おまえんちの家庭環境でそれを言うか、ホッブ」
手配りを終えたラルフ妹が兄を見た。
「もう開会式まで時間がないわよ? 早く待機場所へ行って」
「ああ、それは大丈夫だよジュレミー」
この慌ただしい時に呑気な兄に、自分も出ていこうとした妹は鼻の頭に皺を寄せた。
「……なんで?」
「学院長のこういう時のスピーチ、まず一時間はかかるんだ。毎回貧血で何人か倒れるぐらいなんだよ。終わるまでに配置についていればいいから、まだ朝飯食って風呂入るくらいの時間はある」
「そういう根拠もない皮算用でギリギリな事ばっかりしてるから、“一生補欠止まり”なんて言われるの! さっさと行きなさいっ!」
「ごめんなさいっ!」
「もういっそさ……妹のことを“お姉ちゃん”って呼んだらどうだよ、ラルフ」
「末っ子のダニエラには、デキる妹を持った兄のつらさなんかわからないよ!」
「おまえん家のは、デキるデキねえ以前の内容だろ、ラルフよう……」
「そうそう、お兄がつべこべ言うから忘れるところだったじゃない」
小屋を出ていきかけたジュレミーが振り返った。
「さっき空飛ぶ機械を見て思いついた
「はぁっ!?」
急に妹が言い出した話に、ラルフ(と他二人)は面食らった。
今まで課題研究にかかわったこともないラルフ妹が、初めて機体を見ただけで何か思いついたらしい。
三か月も開発に携わって来たメンバーが気付かない問題点を、一発で見抜いただなんて……。
「おいおいジュレミー、吹かしちゃいけないよ」
「なにが」
「そんな、今朝一目見ただけで改善箇所がわかるだなんて……僕らクラエスの学院生チームはともかく、専門家であるおまえの同級生が一人も気づかなかった改善策だなんて、ありえないよ!」
今さら言うまでもないことだが、チームの立場が逆である。
情けないことを胸を張って言う兄に妹は目を細めたが、
「お兄たちが気付かないボンクラぶりもどうかと思うけど、私が派遣したメンバーじゃ気づかないこともあるのよ。まあダメもとでやってみる価値はあるから、コーリンが帰って来るまで引き延ばして」
それだけ言ってジュレミーは出ていく。少女の背中を見送り、ホッブがラルフの背中を叩いた。
「もし一番を引いちまったら、どうやって引き延ばすよ?」
「そうだなあ……」
妹の無茶ぶりに、不出来な兄は頭を抱えた。
「ホッブを湖に突き落とすか。いくら何でも審査会の進行より救助を優先してくれるだろ、多分」
「うちの導師たちじゃ、どうかなあ……」
ダニエラが否定的に呟いた。
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