第90話 寝付けない一夜
今ラルフたちにできるのは、それぐらいしかない。
ガタつきはないか。
ヒビや折れはないか。
可動部は滑らかに動くか。
素材が弱くなっているところはないか。
特に布やロープは負担がかかるせいか、場所によっては三、四回飛べば穴が開くようなところもある。元々使い捨てにする素材を充てているせいか、品質にもばらつきがある。
指先でさまざまに
帰って来たクラエスフィーナが手伝おうかとぐずぐず言うので、ダニエラがエルフを無理矢理寝床に押し込んだ。
それでも起きてきてしまうので、ラルフが「黄金のイモリ亭」のオヤジからもらった寝酒を飲ました。これはこれで明日の朝ちゃんと起きて来るか心配な事態になったけど、とりあえずはぐっすり寝てくれたので十分な休息が取れるだろう。
一通り納得するまで整備作業ができたので、ラルフは額の汗を拭って二人に声を掛けた。
「クラエスもちゃんと寝られたみたいだし、僕らも仮眠をとろうか」
「寝るのは良いけど、明日の朝はちゃんと起きられるか? 全員寝坊で不参加はやべえぞ?」
「いやもうマジで、あたしも限界だわ……正直早朝に起きられる自信がねえ」
ダニエラが言うように、あと少しと思うと急に体の疲れが表面化してきたような……全身をむしばむ倦怠感をラルフとホッブも感じている。
ホッブが腰を下ろした。
「実は俺も起きれそうにねえと思ったんでな。幼年学校の連中に、朝早めに来て起こしてくれるように頼んどいた……疲れが溜まりに溜まりまくってるからな」
「おお、ホッブよくやった!」
ラルフとダニエラも崩れるように座り込んだ。
さっきまでクラエスフィーナの手前、徹夜も全然いけるみたいな顔をしていたけど……実際にはこの三か月のツケがこの瞬間にも襲い掛かってきている。
「あー……何時間寝られるかわからないけど、今は少しでも休みたいや」
「なんか飲み物残ってねえか?」
「夕方に買ってきた果実水の瓶が、振るとまだチャプチャプ音がするよ」
「門前の青髭親父の店のヤツか? 味どころかほとんど香りもしねえじゃねえか……あそこのって、本当に果汁入ってんのかよ?」
つくづく近所にロクな店がないエンシェント万能学院であった。
「前に『これ無果汁じゃないのか!?』ってクレームつけてた学院生がいたけど、親父さんに『てやんでぇ、たらい一杯に一滴でも垂らしてありゃあ果汁入りだバカ野郎が!』って怒鳴られて謝っていたっけ……あいつ何学科だったかな?」
「そいつ法論学科だったら退学もんだぞ……そんなロジックで論破されてる事実の方がバカ野郎じゃねえか。要するにほぼ無果汁だろ、これ」
「
ラルフとホッブが“ほぼ無果汁の果実水はジュースに入るのか”論争をしている間、やけにドワーフが静かだと思ったら……見たらすでにダニエラは胡坐をかいたまま、よだれを垂らして寝落ちしていた。
「おいホッブ、よく見とけ。これが“花も恥じらう年頃の乙女”の寝姿だぞ」
「花も恥じらう“年頃”だろ? それはきっと年代の話で、ダニエラ自身がそういうわけじゃないんだろ」
藁束に背中を預けたホッブがランプを手に取って、ツマミを捻って明るさを最小限まで落とした。倒して引火しないように、柱に刺さっている釘に引っ掛けて宙に吊る。
ラルフも同じように横になった。薄暗がりの中、ホッブの声が小さく囁くように耳に入ってきた。
「なあラルフ。確か前も聞いたんだが」
「なんだい?」
「なんでクラエスの研究を手伝おうと思ったんだ? これだけ面倒でつらい作業、今までのおまえは単位の為にだってやるようなガラじゃなかっただろ? しかも他人の研究だから無給の上に成績がプラスになるわけでもねえ」
「まあねえ……その時、僕はなんて言ったっけ?」
質問に質問で返され、黒いシルエットが身じろぎするのが見えた。ホッブもすぐに思い出せなかったのか、ややあってから答えが返ってくる。
「確か……『多分俺たちが静学系だから』って言ってたな」
「……ああ、そんなことを言ったっけか」
ラルフも寝返りを打つ。
さっきまで体の疲れで意識が飛びそうだったのに……今は重たい意識の中でも頭の芯がなんだか熱を持っていて、妙に目が冴えた感じがする。
「僕たち静学系ってさ、一人で資料調べて一人でレポート書いて一日終わるじゃないか。それが毎日続いて、期末試験も論文で、卒業試験も論文で……いや、自分でそう望んでそういう学院生活しているわけなんだけどさ」
さっきまで頭上は全くの暗闇に見えていたけれど、僅かな光源に段々目が慣れて来た。ラルフの目は、今は小屋の梁と屋根の裏板が見分けられる。
「だらだら暮らす言い訳で進学しただけだから、別にそれは良いんだけど」
「堂々言うんじゃねえ」
「ホッブは違うのかよ」
「こんな学院に来るんだから違うわけが無いに決まってるだろう。本音を剥き出しにするんじゃねえって言ってんだよ」
「おまえごときに取り繕ってられるか」
ホッブが寝転んだ辺りで、黒々した影が足を組み替えた。
「で?」
「ああ」
ラルフも再び寝返りを打って横を向いた。
「そういう生活でいいんだけど、クラエスに泣きつかれた時にちょっと……ちょっとだけ思ったんだよね。みんなで難しいことに挑戦して、みんなで工夫して努力して、みんなで泣いて笑って、無理だと思ったことをやり遂げて達成感を分かち合うって……僕にもそういう人生もあったのかなって」
「……確かにそいつは静学系では味わえねえわ。動学系の特権かも知れねえな」
ホッブが長々と息を吐きだした。
「祭りは見るだけの見物客より、準備している方が楽しいって聞いたことがあるな。あれと一緒か」
「おまえ実は町内の祭りの準備に出たこと無いだろう?」
「俺は学院で忙しいんだ。一日中家にいる兄貴にも出番を用意して置かねえとな」
「おまえんトコは兄貴も出て来ないよ」
ラルフは手を挙げ、暗がりの中で掌を顔の前にかざしてみた。
「いよいよってなってみると、信じられないよね。工造学のことなんて一つも知らない僕たちが、たった三か月で一から“空飛ぶ技術”を作ったんだよ? 僕たちのこの手で」
ホッブの声にもわずかに弾んだ雰囲気が混じる。
「ああ。それもただ作ってみただけじゃない。ちゃんと何度も飛ばして試験して、本当に人間が乗れるヤツを作ったんだ。クラエスに研究室に連れ込まれた時は即座に無理だって言ってたのにな。空を飛べる理屈なんかまったく知らない俺たちの設計した“翼”が、今じゃこの空を飛んでる」
設計は幼年学校のフィッチャー五兄弟。
「……なんか自分で言ってて、“自力で作った”ってところにちょっと引っかかるものがあったんだけど?」
「こまけえことを気にすんな。こういうのは大体企画を立てた監督がえらいってことになってんだ」
「明日、ていうか今日ついに結果が出るんだね」
それを思うとラルフの胸が高揚感でいっぱいになる。心配な気持ちももちろんあるけど、クラエスフィーナと自分たちの努力の終着点を早くこの目で見てみたい。
「望んだ結果になればいいがな」
ホッブが憎まれ口を叩くが、それでも口調に滲む期待は隠しようがない。
「おら、さっさと寝るぞ。朝一でもう一回実験機を湖まで運ばなくちゃならないんだからな」
「わかってるって」
そう。全部は寝て起きてから。
今はどんなに気分が逸ったって、前準備に過ぎないのだから。
「お休み、ホッブ。聞こえてないと思うけど、クラエスとダニエラも」
「ああ。ちゃんと起きろよ?」
ラルフに返事をしたホッブが、一回言葉を切ってからもう一言付け加えた。
「あとこのドワーフ、せめていびきは止められねえのかな」
「結構派手にかいてるね……僕らの方が寝れるかなぁ」
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