第88話 いよいよ明日
中庭での一件を聞いたダニエラは面白そうに口笛を吹いた後、クラエスフィーナに尋ねた。
「メシ奢ってくれるって言ってたんだろ? よくついて行かなかったな」
「初対面の妙に調子がいい人だよ? うさん臭いじゃない」
エルフは思い出しただけでも気分が悪くなったみたいで、長い耳をピコピコ上下させながらぶるっと震える。
「話しかけられた時からおかしな人だな、変なことを言うなあと思ったけど……まさか、ラルフに聞いていた
すでに一度、「ものぐさ狼亭」で
今回はいつも壊れている危険察知の感覚が、珍しく仕事をしたと言えるのかもしれない。相手は露出魔ではなくナンパ師だったので
「クラエスの事だから、高級食堂なんて言われたらノコノコ付いていくかと思った」
「ダニエラは私を過小評価しすぎだよ!? お菓子くれるって言われてもついて行っちゃいけませんって、子供の頃に習わなかった?」
「それを忘れるのが大人なんだよなあ」
一拍置いて、クラエスフィーナがダニエラの顔を覗き込んだ。
「……高級食堂はダニエラが連れて行ってくれてもいいよ?」
「ざけんなアホ。寝言は寝て言え」
遅れて研究室にやって来たラルフとホッブも、話を聞いてクラエスフィーナに尋ねた。
「
これはステファンを過剰評価し過ぎだろう。クラエスフィーナが頭のゆるい食いしん坊なのは、今ここにいるメンバーぐらいしか知らないトップシークレットだ。
「アイツ顔だけは良いから、女の子もフラフラついて行っちゃうみたいなんだよね。そういう点でクラエスはよく警戒したね」
皆の視線を集めて、クラエスフィーナは問題点がよくわからないと言うように首を傾げた。
「顔が良い?」
反応がいまいち薄い。
「普通じゃない?」
「そう?」
「あの人、ラルフやホッブと大して違わなかったと思うけど」
訝し気なエルフを置いて、ダニエラが男二人を手招きした。
「なあおい、もしかしてさ……クラエス、エルフを見慣れているから
言うまでもないけれど、エルフ族は人間から見ると神像レベルの美形しかいないことで有名な亜人種である。
「それで学院で一、二を争うモテ男にも普通に返してたのか……」
逆に言えば、人間はイケメン程度ではエルフの興味を引けないという事でもある。「一つ勉強になったね……」
「“人間中身が大事”って、まさか
ニヤニヤ笑いながらホッブがラルフの肩を叩いた。
「クラエスの感性が麻痺しているとは希望が見えて来たなあ、ラルフ。おまえの抜けたツラでもステファンと同格に見えてんだってよ」
「わあい。うれしくって涙が出てくるなあ」
「まあ毎日飛んでるから、今さらコースの説明はいらないと思うけど」
ラルフが隣の自然公園の情景を思い描くようにポイントを指し示しながら話を続ける。
「注意するのは当日は観客が多数来ているってことだよ……ダニエラ、この場合の問題点は?」
「そりゃ、おめえ」
ドワーフはニッと笑って親指を立てた。
「
「周囲の歓声や騒音に惑わされるなってことだよ!」
しょげているダニエラを放っておいて、ラルフがクラエスフィーナに向き直る。
「クラエス、上から見ていてさ。下の風景とか物音って結構気になるもの?」
「そうだねえ……」
クラエスフィーナが斜め上を見てむーっっと唸った。
「見回す余裕はないんだけど、意外に景色は見えているかな。正しい方向に飛んでいるかも確認しちゃうし。音は……さすがに地上の音をなんでも拾うわけじゃないけど、子供がはしゃいで叫んでいる声は結構上空でも聞こえるね。だから当日観客が騒いでいれば聞こえるんじゃないかと思う」
「なるほどねえ」
ホッブが地図に描かれたキャロル湖の中心辺りをなぞった。
「そうなると、“騒音”をシャットアウトするにはできるだけ中心部分を選ぶように飛んだ方が良いのか? 距離で言えば当然一番合格ラインに近くなるが……横風が吹いていた場合、前半で風上側に寄らねえと後がきつくなるんだがな」
「その事なんだけどね」
クラエスフィーナが申し訳なさそうにメモを出した。
「事務局前に追加の告知が貼ってあったんだけど……地図でいう所の、ここと、この付近はできるだけ岸辺に寄れって指示が実行委員会から出てるの」
「あ? チェックポイントがあるのか?」
「ううん……貴賓席と有料観覧席だって」
「……もしかして、これマジメな課題審査じゃなくて
「そんなので奨学金打ち切られたら、やらされる方は笑うに笑えないよね……」
◆
住んでいる地区が違うので、学院の門を出た所で普段なら男子組と女子組に分かれるのだけど……今日はダニエラとそれ以外に分かれることになった。
「いいなー。クラエスいいなー」
ぶうぶう言うダニエラに、クラエスフィーナがげんなりした顔で反論する。
「変態さんが襲って来ないようにって緊急避難なんだよ。ダニエラも二回も狙われたら怖さがわかるよ」
ステファン、容疑者から未遂実行犯にランクアップ。
「それ言ったらあの晩一番被害を受けたのはあたしだぜ?」
ダニエラが頬を膨らませた。
確かに「ものぐさ狼亭」の前で突風による不可抗力により、真っ裸の変態とくんずほぐれつして気絶したのはダニエラの方である。
「あたしもお泊り会に参加してえ」
むしろこっちが本音で、ドワーフがねだるが……。ラルフが頭を掻いた。
「二人はさすがに部屋がないな……元々うちの商売じゃ、客が泊まるようなことはなかったから」
「クラエスと一緒でいいぞ」
「ベッドは一人で使わないと疲れが取れないよ。クラエスは審査会前なんだから」
ダニエラがホッブを見た。
「ホッブんちでもいいぞ」
「お前もう一人暮らしの部屋に帰りたくないだけだろ。エンジェルじじいの家に行けよ」
「鍛冶屋の飯場でまともに寝れると思ってんのか」
「騒音で?」
「夜中まで飲んで騒いでいるから」
「鍛冶屋は身体が資本だろうが。寝ろよ」
ホッブがあくまでダメだと手を振った。
「うちにダニエラを連れて帰るわけにはいかねえんだよ」
「なんでだよ」
ダニエラの抗議に、今度はホッブが死にそうな顔になる。
「……うちの
つむじ風が過ぎ去るまで無言だったダニエラがラルフの方を向く。
「なあ、クラエスをホッブの家に預けたら……」
「それもダメだ。クラエスがうちに泊まったりなんかしたら、
「おまえんち、社会の歪みを一身に背負っているじゃねえか……」
「凄いでしょ、ホッブの家。コイツがこれで一番まともなんだよ。笑っちゃうよね」
「中の人間には笑えねえこと言うんじゃねえよ」
「笑うしかないじゃないか、こんな話」
エルフも大掃除で捨て忘れた去年のゴミを年明けに見つけたような顔になっている。
「一番凄いのは、こんなお家を出ていかないお母さんだよね」
クラエスフィーナの意見に尽きるな、とラルフとダニエラは思った。
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