第87話 ほーらクラエス、コレが例のアレだよ

「クラエス!」

 ホッブとアントンを引き連れて中庭に転げ出ると、ラルフはクラエスフィーナに向かって叫んだ。

「あっ、ラルフ!」

 よくわからないヤツにまとわりつかれて対応に苦慮していたエルフがホッとして叫び返してくる。

 モテ男より好感度が高い様子にちょっと優越感をくすぐられながら、ラルフはできるだけ大声でクラエスフィーナに注意を喚起した。

「クラエス! そいつが例のヤツだ!」


 例のヤツ。


 すなわち。


 一瞬、何のことだとキョトンとしたクラエスフィーナは……ちょっと前にラルフとホッブに注意された事を思い出した。

(例のヤツって……まさか!?)

 エルフの顔色が目に見えて青くなった。

 頭の中で巧く繋がらなくて引っ張り出せなかった情報が噛み合い、以前もらった警告が目の前の男に音を立てて繋がっていく。

「こ、この人が……」

 震える声でそれだけ言葉を絞り出したクラエスフィーナは、ベンチから慌てて飛びのいた。そして後ずさりながら、恐怖のあまりあらん限りの音量で絶叫する。


「この人が、女の子の周りで全裸でフォークダンスを踊るのが趣味の変態さん!?」


「なぁっ!? な、いきなり何を!?」

 ステファン氏は突然想定もしていない事を大声で叫ばれて慌てているけど、自己完結した理論に納得したクラエスフィーナの叫びは止まらない。

「ラルフに聞いたわ! 爽やかな顔で『一緒にご飯に行こう』って誘った女の子にへべれけになるまで酒を飲ませて、逃げられないようにしてから全裸ダンスを最後まで鑑賞させるトンデモな変態が学内にもいるって!」

「なんだよそれっ!? そ、そんなの嘘だ! 変態だなんて冗談じゃないぞ!?」

 ステファンが驚いて必死に打ち消しにかかるけど、学院では超有名人のクラエスフィーナの悲鳴の方が先に周囲へ伝播する。

 遠巻きにしてステファンのナンパする様子を見ていた人々へ、エルフのインパクトのある言葉が突き刺さった。

 周囲に次々と動揺と囁きが広がっていく。

(変態!?)

(変態だって!?)

(ナンパした女の子にそんなことをしていたのか!)

(やべえ、ステファンて変態!?)

 周囲のやじ馬がざわついて静まらない。

 ステファンが違うと一生懸命に言っても、普段の貴公子然としたモテ男ぶりとのギャップで面白すぎる不名誉な噂は収まらない。

「違うっ、それは俺じゃない!」

 いくら本人が否定しても、囁き合う声は広がるばかり。


 実際問題人間は、面白おかしい方を喋りたいのだ。

 しかもステファンは普段の“選ばれしイケメン”の態度から、モブな男子諸君の嫉みを買っていた。だから自然と、観衆もゴシップの方に飛びつくわけで……。

 本人が弁解しているのに皆が後から来た者に説明しているのが告発ネタな辺り、彼の普段の人望が窺い知れよう。

 

 場がパニックになっている隙に、ラルフたちは二人の間に割り込むことに成功した。

「クラエス! もう大丈夫だからね!」

「ああ、ラルフ! 怖かったよお……」

 涙ながらに抱きつくクラエスフィーナをよしよしと撫でるラルフに、

「おまえ、なに後から出て来て美味しいところを持って行くんだよ!?」

 我に返ったステファンが指を突きつけ抗議をするが……。

「おまえこそ明後日に課題審査を控えていっぱいいっぱいのクラエスに、余計な負担をかけようってのはどういう魂胆だ? ああ!?」

 文系のくせにガタイだけは良いホッブに凄まれた。

「な、なんだと!?」

 顔色を無くしつつも、ステファンもホッブに食ってかかった。プロのナンパ師として、ステファンも言われっぱなしではいられない。

「心理的な負担って、俺はむしろリラックスさせてあげようと飲みに誘って……」

 だがモテの論理など、言い争いが得意な法論学科本職のホッブには通じない。

「口もきいたことも無い男にいきなり酒に誘われて、神経がほぐれる女がどこにいるってんだよ!」

「そうだそうだ!」

「しかも人見知りのクラエスはとびっきりのチキンハートなうえに、誘ったのが全裸ダンサーときた! 迷惑な話に決まってるだろう!」

「そうだそうだ!」

 アドリブのきかないアントン、合いの手だけ入れている。


 お邪魔虫ばかり湧いて出てきてどんどん話をおかしい方向へ持って行く状況に、ステファンは頭を掻きむしってヒステリックに叫んだ。

「おいこら、誰が全裸ダンサーだ!」

 常に人気者序列スクールカースト最上位にいた彼は、こんな思い通りにならない状況なんか初めてだ。

「おまえらこそウブなクラエスフィーナさんになんて途方もないウソを吹き込んでいるんだよ!? 名誉棄損で訴えるぞ!」

「ほう?」

 キレたリア充様ステファンの言葉に、ホッブが指を鳴らしながら凄みのある笑顔を見せる。

「市民法典も読んだことなさそうな工造学科が、俺らを相手に法廷で白黒つけようってか? そいつは結構、実に愉快な話だ。動学系と違って俺ら静学系は結構ヒマしてるんでね。法論学科総出でお相手してやろうか? ああ?」

 訴えるんなら専門家の俺たちが反訴してやると言っているのだが、顎をしゃくりながらメンチを切るその姿はどう見てもチンピラのソレだ。態度としゃべる内容にいささか乖離があるホッブ。

 強面コワモテなんだか理論派なんだかわからないホッブに脅されてグッと詰まるイケメン男ステファンに、すっかりクラエスフィーナを手なずけている(ように見える)ラルフがトドメを刺した。

 エルフを胸で泣かしながらラルフは、闖入者に上から目線で厭味ったらしく言い渡す。

「おいおいステファンく~ん? せっかく僕たちが気を利かせて、クラエスには柔らかく言ってやったのに何が不満なのかな~?」

「……おまえ、何が言いたい!?」

「いやあ、僕らが濁して言ってるからファンタジーっぽいけどさ」

 一回言葉を切ったラルフが、握りこぶしから立てた親指で地面を指した。


「実際には酔い潰した女の子の周りで踊ってるんじゃなくて、踊ってるんだよね?」


 喉を鳴らして黙り込んだステファンの肩をホッブが馴れ馴れしく抱き込み、わざとらしいしぐさで顔を覗き込む。

「おやおやあ? もしかして図星だった? マジな話でしたあ? コイツはもしかして、市民法じゃなくて刑罰法の守備範囲にかかっちゃうお話だったのかなあ?」

 顔色が赤と青と目まぐるしく変わり、声も出なくなった遊び人ステファンの肩をホッブが勢い良く叩く。芝居がかったポーズで廊下への扉を開けるアントンの方を指し示し、ヒヤリとする猫なで声でホッブはステファンの耳元に囁いた。

「さあさ、ご退場はあちらからどうぞ!」



   ◆



 助かった(らしい)クラエスフィーナは、身の危険は感じているようだけどいきなりのことでまだポカンとしている。

「なに? あきらめてくれたのかな?」

「おうよ! 脳みそ下半身男の野望は阻止してやったぜ!」

「ヒャッハー! くたばれイケメン野郎!」

 どう見ても正義の味方じゃないホッブとアントンが気勢を上げる中、ラルフだけがしかつめらしく深刻な顔でクラエスフィーナの手を握る。

「ああ、今のヤツは撃退したけど……ああいう連中はしつこいからね。学外でもしつこく声をかけてくるかもしれない」

 ラルフのトークにハッとするホッブ。クラエスフィーナの肩越しに、ラルフとホッブの視線がぶつかる。

(ついにアタックするのか、ラルフ!?)

(ああ……勝負をかける!)

 ラルフは目線で頷くと、至極真面目な顔でクラエスに向き直った。

「クラエス、とりあえず課題審査会までうちに泊まったらどうだい? ああいう連中に目をつけられている以上、一人の下宿に帰らせるのは心配だよ! うちなら母さんもジュレミーもいるし、二人ともクラエスだったら大歓迎さ!」

 あれだけの存在感なのに、息子にいなかったことにされてる父。

「それに、もしよかったら……」

 一回言葉を切ったラルフの視界の端に、喉を鳴らして身を乗り出すホッブと状況を全く理解していないアントンの間抜けヅラが写る。

 緊張を隠しながらラルフはニコリと笑い、さりげなく……できるだけさりげなく、一番言いたかったことをクラエスフィーナに伝える。

「もしよかったら、その先もずっとうちで暮らしてくれてもいいんだよ……?」


 言った。


 ついに言った。


 やっとプロポーズの言葉を伝えた。

 時間がかかり過ぎたけど、何とか伝えた。

 小心者なラルフの、精いっぱいの勇気。


 このラルフの気持ちに、クラエスフィーナはどう答えるのか。

 ラルフが恐る恐るクラエスフィーナを見ると……ポンコツエルフは全く伝わっていない無邪気な笑顔で喜んでいた。

「わあ、ラルフの家に下宿させてくれるの!? お母さんやジュレミーちゃんと一緒に暮らせるんなら楽しそう!」



   ◆



 エルフが研究室に行ったので空いたベンチに、燃えつきたラルフが座っている。

「僕は……どこで間違ったと思う?」

 隣で遠い目をしているホッブが、独り言を呟くようにボソッと答えた。

「あんまり頭の回転が速くないクラエス相手に、言い方が回りくどかったんじゃねえかな」

「そうかあ……」

「あと、“つきあって”をすっ飛ばして“結婚して”は無いんじゃねえかな?」

「そりゃそうだ、ははははは……」

「ま、気持ちを新たに最初から頑張れや……」

「……あと二日で?」

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