第86話 ラルフは抜け駆けを許さない
アントンの急報を受けて、ラルフとホッブは顔を見合わせた。
急に言われて現実感が無いのもある。ただそれを置いても、二人はこの情報に懐疑的だ。
「えー……? 今、動学系はそれどころじゃねえだろ? 明後日は課題審査会なんだぜ? こんな時にそんなことやってる場合かよ」
いまいち信じられないという顔のホッブが指摘するが、アントンはそれを言われても引き下がらない。
「そこが女を口説き慣れたヤツと俺たちの考え方の違いだよ」
「まて、モテない方に俺を含めるな」
「ステファンは、クラエスフィーナさんが一番ナーバスになってる今をわざわざ突いて来たんだよ! あいつはどうせ自分は課題審査の対象じゃないし、先輩のお手伝いを休んででもチャンスを狙って来たんだろ」
「でもクラエスの方は思いっきり課題審査の前じゃない? 今そんなことを考えている余裕なんか全然ないよ? 言われても迷惑するだけだと思うけど」
ラルフの反論に、わかってないとアントンが肩を竦める。
「バカだな二人とも! モテどもが他人の迷惑なんか気にするはずがないだろ!? あいつらは基本的に相手の都合は考えない
多分にアントンの偏見が入っていそうな分析だけど、なかなかの説得力にラルフとホッブもなるほどと頷いた。だって二人とも
「くそう、なんて卑劣な手を考えるんだ! コレだから顔のいいヤツは!」
ラルフが卑怯な同期生の手口に憤慨する。さっき“どんな汚い手を使ってもいいから”と言っていたとは思えない正義感だ。
「全くだな! さすがイケメンは顔がいい分、肝っ玉が腐ってやがるぜ。社会のダニめ!」
ホッブも嫌悪感を滲ませて吐き捨てる。その理論でいうとクラエスフィーナが一番腐っていることになるが、そういう矛盾は考えない。
三人は興奮してこぶしを振り上げた。
「ラルフ、ホッブ! ステファンの陰謀を阻止するぞ! 俺たちの目の届く範囲でイケメンの思い通りにさせてたまるか!」
「おお、その通り! リア充死すべし!」
「遅れるな二人とも! 急いでクラエスを探すんだ! モテ男の野望を阻止してやる!」
義憤だか妬みだかわからない情熱を盛大に燃やし、急遽結成されたモブ男三人衆は急いで美貌のエルフを探して走り出した。クラエスフィーナの為というより、自分のひがみの為に。
◆
「うう、あと二日の我慢だよ……」
クラエスフィーナは空きっ腹を抱えて中庭のベンチに座った。
朝ご飯はちゃんと丸パンを二つと茸のスープを食べて来たけど、朝一からガッツリが当たり前だったエルフには思春期の女の子みたいな食事量では全く物足りない。
特に肉が足りない。
食事量に制限が付いていると言うだけで、思い切り食べたいという渇望感が湧いてくる。
「審査会が終わったら……結果がどうあれ、お腹いっぱい『黄金のイモリ亭』でお肉を食べるんだ……」
課題達成のための
そんな腹減りなエルフの前に、急に人影が立った。
「うん?」
怪訝そうなクラエスフィーナが見上げると……見覚えのない青年が、絵に描いたような爽やかな笑顔で微笑みかけてきた。
「ちょっと良いかな? クラエスフィーナさん」
「はい? どちら様?」
知らない人だったのでクラエスフィーナがまず誰何すると、彼は芝居がかったしぐさで大げさに詫びて見せた。
「ああ、失礼! 僕は工造学科二年のステファンだ。君とは一般教養で同じ講義も受けているんだけど……見覚えないかな?」
そう言われると、そんな気がしないでもないような。
「えーと……?」
クラエスフィーナの認識はそんなもの。
ラルフやホッブに声をかけた三か月前だったら覚えていたかもしれないけれど、課題の追い込みと空腹感に苛まれている今の精神状態だと付き合いもない同期生の顔なんて思い出すのも億劫だ。
「あの……そのステファン君が何か用?」
めんどくさいので単刀直入に用件を聞くクラエスフィーナ。
同じく三か月前なら友達もダニエラだけだったので、知らない同期生に話しかけられるなんて滅多に無いイベントにドキドキしてしまったかもしれない。
だけど今はラルフやホッブといった友達も増えたし、課題研究のおかげで「黄金のイモリ亭」や「エンジェル工房」、幼年学校生や常連のオジサンたちといった王都の人たちの
ステファン氏はクラエスフィーナのいまいち薄い反応にたじろぎながらも、カッコいい(らしい)決めポーズを作りながらクラエスフィーナにさらに笑いかける。
「以前から君とお近づきになりたいと思っていたんだけど、なかなか声をかけるタイミングが無くてね」
「はあ」
「どうだい? 課題合格の前祝に二人で食事でも。実はちょうど都合がいいことに、特別なコネが無いと入れない
「そうですか」
熱弁を振るうステファンに対し、クラエスフィーナは生返事を繰り返した。
自慢じゃないが
悲しいかな、ナンパされた経験は両極端な理由のおかげで一度も無い。
そこに加えて今の色々な事を考えられない精神状態だと、
(この人、なんで喋ったこともない私の合格なんて祝いたいんだろ? それにそんな珍しい店の予約、一緒に行く友達もいないのになんで二人分取ったのかな?)
になってしまう。
どうにもよくわからない。うさんくさい。
自然、クラエスフィーナの返事は身構えたものになってしまうわけで。
反応の悪さに焦りながらも必死に誘うステファン君と、警戒しつつ何かが頭に引っかかるクラエスフィーナのかみ合わない会話に周りが注目し始めた、その時。
「クラエス!」
中庭に、ラルフたち三人が転がり込んできた。
◆
「いたぞ!」
ホッブの叫びに、ラルフとアントンが窓から外を見た。中庭の木陰に、なにやら会話をしている男女の姿が……。
「間違いない、クラエスだ! てことはあの立ってるヤツがステファンか!」
「おいおいラルフ、ステファンの顔も知らないのかよ? 同期一の遊び人だぞ?」
「男の顔なんか覚える趣味は無い」
「それは道理だ」
遠くから見る限り、クラエスフィーナは一歩引いた受け答えに終始しているように見える。彼女がステファンのナンパに乗り気でないと言うだけで、ラルフは何か腹の底から勇気が湧いてくる思いがする。
「接触を未然に防ぐのは叶わなかったか! おいラルフ、どうする?」
ホッブに問われ、一瞬考え込んだラルフは……指を鳴らすと、質の悪い笑みを浮かべた。
「ホッブ、事前の仕込みがあるじゃないか」
「仕込み?」
自信ありげなラルフの言葉に、ホッブとアントンは首を傾げた。
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