第85話 ラルフ危機一髪(笑)

「まあ家族の期待はともかくさ」

 ホッブが前を見ながら続けた。

「そもそもおまえがクラエスを好きなんだろ? 高嶺の花だからって、アタックもせずに諦めるのは無しだよな?」

「わかってるよ」

 クラエスフィーナから見るとラルフはただの友達かもしれない。

 一方のラルフは……クラエスフィーナにそれ以上の関係を望んでいるのだ。

「具体的にはエロいことだよな」

「それは否定しない」

 まだ明るい空に昇り始めた月を見ながらラルフは長々と息を吐いた。

「クラエスも頑張っているんだ。僕も、ダメもとでアタックしてみせるよ」

 友人の決意を込めた横顔を見ながら、ホッブが念押しした。

「わかっているな? 想定問答シミュレーションを繰り返して、どんなパターンで返されるかも予測しておくんだぞ」

「わかってる」

「何を言われたってくじけないで、反論して食らいついて行けよ?」

「おうさ! 大丈夫、何を言われたって僕の気持ちは折れたりなんかしない!」

 珍しくも男らしくハッキリ返事をした友人をホッブはまぶしそうに見つめた。

「そうか……じゃあ、おまえの決意のほどを試してみるか」

「へっ!? まあ、いいけど……?」

 首を傾げるラルフに、何かを思い出しながらホッブは……。

「行くぞ? 『そんなつもりじゃなかった』」

「なんの!」

「『友達でいましょう』」

「ふっ、それぐらい!」

「『男としては見てなかった』、『弟みたいに思ってた』、『ごめん、誤解させちゃったかな』」

「いや、おい……」

「『君とはいい関係でいたいの』、『あなた、イイ人だとは思うんだけど』、『え? 笑えないよ、その冗談』、『あはは、あんた鏡を見たことある?』、『私、そんな安い女に見えるのかな?』、『ふふ、ちゃんと言った方が良かったね』、『……二十メートル以上近づかないでくれる? 警邏呼ぶわよ?』、『あんた、そんな目で見てたの……キモッ!』。後は、えーと……」

「それ以上あげなくていいよ!? 何、そのネガティブな反応のオンパレードは!?」

 一つ一つはともかく、まとめて言われるとクラエスフィーナに言われたわけでもないのに心にグサグサ突き刺さる。

「法論学科の授業で習った追い回しストーカー事案を発生させた被害者の炎上回答上位だな。珍回答は他にもあるぞ? 『あなたのことはうちのパパイヤ(犬。オス、三歳)の次ぐらいに好きかな?』とか」

「それ以上は言わなくていい! ダメな方ばかり考えないで、前向きに行こうよ! なんでダメな場合ばかり想定するんだよ!?」

 他人事の例文集ですでに心が満身創痍なラルフが耳をふさいでのたうち回るのを、ホッブはジト目で眺めた。

「だって、おまえだし」

「余計なお世話だ! 僕は付きまといストーカーにもならないし、振られないでビシッと決めて見せるから!」

「でも、おまえだし」

 あくまでも疑いの目を向ける友人に、ラルフは目に涙を浮かべてはっきり宣言した。

「心配するな! 僕は男らしくクラエスに正面からアタックして、絶対彼女に“はい”と言わせて見せるから!」

「ホントに正面突破だけで行けるかぁ? 芸が無さ過ぎてクラエスでも落とせないと思うが」

「イケるイケる! 下手な小細工をするより、誠心誠意好きだって気持ちをぶつけるんだ! 今までの付き合いもあるし、クラエスだって熱烈に愛してるって言われたらまんざらでもないと思う!」

「そうかあ? 」

「間違いないよ! 押しに弱いクラエスだもの、グイグイいけば勢いに呑まれて絶対断れなくなるから!」

「おい、誠心誠意はどこへ行った」



   ◆



 ラルフはぶつぶつ言いながら家の敷居をまたいだ。

「まったくホッブったら。あいつはどうにも僕の評価が低すぎるな……ただいま!」


 結局町内に入る木戸を越えて別れるまで、ホッブはどうにもラルフの決意を信用してくれなかった。

 もちろんラルフだって、自分が決断と度胸に不足があるのは分かってる。

 それでもクラエスフィーナと付き合いたい気持ちはとても強いし、ありったけの勇気をかき集めて告白するつもりだ。

「クラエスの気持ちがまだ友情的なアレだっていうのは僕だってわかってるけど……クラエスはさみしがり屋だし、うちの母さんやジュレミーに懐いているから家族ぐるみの付き合いがプラスに働くと思うんだよな。だからクラエスを狙っている男たちの中で、誰よりも僕がクラエスに近い! はず……」

 と言いつつ断言し切れないのが、ラルフ。


 そういう点を自覚している自分に苦笑いしながらラルフがキッチンに入ると……食卓を囲んで、家族がすでに勢ぞろいしていた。

「あれ? もうみんな食卓についているなんて、早いね……」

 ラルフはそこで違和感に気がついた。

 普段なら長方形の食卓の長辺に夫婦と兄妹で別れて座るのに、今日は父母と妹は三方を囲むように座っている。そして、何か審問が始まるようなピリピリした空気が……。

 無言だったジュレミーが不意に口を開いた。

「お兄が帰ってきたので」

「え? な、何?」

 知らず知らず直立不動になったラルフを、爛々と光る三対の鋭い眼光が射貫く。

「課題審査まであと三日しか残っていないのに、クラエスちゃん捕獲計画の進捗がはかばかしくない件について。ヘタレで優柔不断なお兄の査問会を開催したいと思います」

「それはっ!?」

 いきなり言われて言葉に詰まるラルフに……飢えた肉食獣のような三人は無言で顎をしゃくり、被告人席に座るよう促した。



   ◆



「……と、言うわけで。五時間も吊し上げをくったうえに、口説き落とせなかった時どうなるかでも延々脅されて……このままじゃ、僕の学院生活と将来が危ないよ! もしかしたらリアルに生命もヤバイかも……」

 べそをかきながら昨日別れてからの事を話すラルフに、ホッブは肩を落としてため息をついた。

「だから言わんこっちゃない。クラエスの心配をするのもいいけど、おまえも悠長に構え過ぎてんだよ。なんだ? クラエスの代わりに学費を停められるってか?」

「それもあるけど……クラエスをモノにできなかったら、父さんは僕を退学させて親戚の大豆農家に送り込むつもりなんだ……」

「かかった経費を働いて返せってか?」

 しょぼくれているラルフの肩が、さらに小さくなった。

「……そこの大叔父さんちには四十を超える今まで全く嫁の口がかからなくて、独り身を持て余して見境無くなっていると評判の叔母さんがいて……」

 この時代、平均年齢は五十ぐらい。

「その女に既成事実に持ち込まれるまで帰れないって言うわけか? 怖えな……」

 思わず震えるホッブに、下を向くラルフはゆっくりと首を横に振って見せる。

「怖いのはそこじゃないんだ……その人、女に飢えまくった戦場帰りの傭兵がまたいで通ると評判の……」

「……そんなに凄い御面相なのかよ」

「重くてねじくれ曲がった性格してて」

「内面の方がヤバいのか!?」

「しかも七十近くなのに二人とも健在の大叔父さん夫婦は未だに彼女を猫可愛がりしてて、『我が家のエンジェル♡』と呼んでチヤホヤしてるんだ……」

「嫁ぎ遅れなうえにモンスターペアレント付きかよ!?」

「成婚の暁には、『持参金だけもらってけいひかいしゅうして縁を切るから』って父さんに言われてる」

「おまえんちも負けず劣らず修羅の家だな……」


 バッと顔をあげたラルフが泣きながらホッブの襟をつかんでガクガクと揺さぶった。

「このままじゃ僕、僕……ホッブ、どんな汚い手を使ってもいいからクラエスにプロポーズをOKしてもらうぞ! 協力してくれ!」

「“誠心誠意押しまくる”から随分後退したな、おい」

「なんだよ!? おまえが僕の立場だったら、綺麗事なんか言ってられるか!?」

 ホッブはちょっと考えた。

「そんな家に婿入りするぐらいならクラエスとは言わねえ、この際ダニエラでもおまえの妹でも、相手を妥協してでも自宅にしがみつくに決まってんだろ」

親戚の変人エンジェルさんたちが山ほど付いて来る役立たずのダニエラや、うちの両親が付いて来る上に本人も飛ばしてるジュレミーと結婚するのもたいがいだと思うけど」

「この世の中、進む先には地獄しかねえのか……」

「だからクラエスとの未来一択だけが希望なんだよ!」




 俄然真剣味を帯びた検討をしながらラルフたちが研究室棟の前までやってくると、ラルフと同じブラウニング研究室所属のアントンが駆けてきた。どうもラルフが登校するのを待っていたらしい。

「ラルフ! 来るのがおっせえよ!」

 のんびり屋のアントンにしては、今日はずいぶん慌てている。

「どうしたアントン。導師が何か怒ってるのかい?」

「もっと大変だよ! 導師の件は脇に置いとけ!」

「え? 導師が怒っているのもあるの?」

 ラルフとしてはそっちの話も気になるんだけど、アントンはそれどころじゃないらしい。彼は大講堂のある方を指さし、呆気にとられている二人に唾を飛ばしながら訴えた。

「前に話しただろ!? うちの学院でもイケメンの一、二を争う工造学科のステファンがとうとう行動を起こしやがった! あの野郎、『クラエスフィーナさんを今日こそ落とす』って朝から気合入れてたんだよ! さっきクラエスフィーナさんの姿も見たから……今頃ヤツはアタックしているぞ!」

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