第84話 最後の最後に積み残した課題をどうしよう

 カレンダーを何度めくり直しても、書いてある数字は変わらない。

「あと三日か……」

 何度も見直しているクラエスフィーナがため息をついた。

「何があと三日なの?」

 呑気に昼飯をかじりながら聞いて来るラルフに、向かいのホッブが別の意味でため息をつきながら教えてやる。

「おまえは本当にアホだな……課題審査会まであと三日に決まってんだろ」


 一日四、五回試験飛行を繰り返し、クラエスフィーナは八割の確率で合格ラインまで飛べるようになってきた。今の状況なら、合格は決して無理な願いではない。

 ただし、八割の確率で到達できているということは……。

「あー……あと少しが追い込めないんだよねえ」

 嘆くクラエスフィーナは、耳を力無くへんにょりと垂らしながらパンにかぶりついた。

 “必ず”という為の、あと一歩の壁を破れない。

「もう少しで確実になるんだけどなあ……」

 クラエスフィーナは意気消沈しているけれど、口だけはリズミカルに動いている。

 軽くなる為に食事制限中のはらぺこエルフ。心がつらい時でもごはんは美味しい。


 ダニエラが渋い顔でつむじの辺りを掻いた。

「ちょっとでも向かい風だともうダメなんだよなあ……体力の回復はかなり早くなったけど、それでも飛んでる最中のスタミナ切れはなかなか改善できねえよな」

 毎日の練習のおかげか、体力の回復は早くなって来た。“地上で一回休めば”という但し書きが付くけど。

「飛びながらリチャージできれば、もう合格は確実なんだけどな」

 気力や体力的な面での持久力はともかく、生来生まれ持った魔力はそう簡単に保持力が変わったりはしない。

「要求されている飛距離を魔力だけで飛ぶには、あと少しが足りないんだよな」

「“飛び方の効率化”もこれ以上は考えつかないしねえ」

 つまりクラエスフィーナが合格できるかどうかは、もう風向きがどうなるかという運任せの勝負になっていた。


「当日の風はどうなのかな」

「予測から言えば最悪だ」

 ラルフの疑問にホッブがため息で答える。

「敢えて言ったら午前中の方が順風の可能性が高いな。だいたい昼過ぎくらいから完全に逆風になる」


 他のチームみたいに風を切り裂くタイプの飛び方なら、向かい風が強いのも悪くない。

 だけどクラエスフィーナの場合はそうはいかない。彼女の場合は自分で作った風に後ろから押してもらう、エルフにしかできない飛び方だ。逆風は全て障害にしかならない。

「風剥きを考えると、早い順番に回されるのを祈るしかない」

「研究発表の順番って、どうなってんだ?」

「当日の朝に審査会本部でくじ引きだよ」

「クラエス、くじ運は?」

「いいと思う?」

 ここまで、嫌なくらいに予想通り。


 ラルフとホッブ、ダニエラが視線を交わし合った。

(これはやっぱり)

(うん。最後の手段の出番だね!)

 三人は咳ばらいをすると、クラエスフィーナに向き直った。

「クラエス、抱き込めそうな実行委員に心当たりは?」

「実行委員は導師たちへんじんどもで構成されているのよ? いるわけないじゃない」

「じゃあまずは、くじの形状を調べないとな」

「偽造してもダブったら一発でバレるよう」

「残念会&新たな旅立ちを祝う会は『黄金のイモリ亭』でいいか?」

「すぐ諦めるのは禁止だよ!?」

 仲間の提案にダメ出ししまくるエルフに、他の三人が口を尖らせた。

「搦め手がダメだって言ったって、技術的にはもうできることなんかないよ?」

「あと少しの決め手に欠けるのはおまえの能力の問題だろうが」

「反対するけどクラエスは何か代案があるのかよ?」

「うっ……」

 集中砲火にクラエスフィーナはしばし視線を彷徨わせ……。

「審査会まで毎日、神殿でお百度参りをするのはどぐふっ!?」

 クラエスフィーナが言い終わる前に、鳩尾にダニエラの手刀がめり込んだ。

「あと三日だって初めに言ったのはおまえだよな⁉ たった三日お参りしたぐらいで神頼みの効果が出るか、アホ!」

「しないよりマシだよ、きっと!」

「そもそも運に見放されてるおまえが、何を寝ぼけたことを言ってんだ」

「見放されているとか言わないで!? ちょっと後ろ暗い研究室に入っちゃって、ちょっと逃げそびれちゃって、ちょっと大事な場面で不利な課題が出ただけだよ!?」

「“ちょっと”も重なれば“かなり”って言うんだよ!」

「口にしたらダメっ! ホントになっちゃうでしょ!?」

 ダニエラの指摘に傷ついてクラエスフィーナが言い返すも、ほとんど反論になってない。

 そこへラルフが仲裁に入った。

「まあまあダニエラ、あんまり言い過ぎちゃ可哀そうだよ」

「ラルフ」

「クラエスが特に運が悪いわけじゃないよ」

「そうかあ?」

 首を傾げるダニエラに、ラルフがまじめな顔で頷いた。

「今までの事を思い出しなよ。万能専門家なんて名乗る導師に疑問を持たなかったり、指導できる人がいなくなったところで研究室の異動願いを出すのを考えつかなかったり、役に立たない古文書をアテにして時間を思いっきり無駄にしたり。クラエスの判断間違いの積み重ねがが一番厄介な事態を招いているんじゃないかな。だから運が悪いっていうより、ドンくさい」

「それな!」

「ラルフ!? ダニエラ!? 二人とも酷いよっ!?」

 みーみー泣き始めたエルフを見ながら、ホッブがため息をついた。

「クラエスの一番の間違いは、声をかけるメンバーを選ばなかったことだな」



   ◆



 泣いても笑ってもあと三日。

 本番直前となった今は、練習のやり過ぎも良くない。幼年学校生手伝いを帰したら、自分たちもまだ陽があるうちに学院を出ることにした。

 家が同じ方向のラルフとホッブは肩を並べて歩いていく。

「明後日かあ……クラエスの事だから本番が心配だなあ」

 クラエスフィーナの完成度を心配するラルフ。

「確かに安心できる状況ではないよな……それでさ、ラルフ」

 そんなラルフに、ホッブがさりげなく切り出した。

「ん? 何?」

「残り時間がすくねえのはおまえも一緒だろ? クラエスを口説き落とす嫁取り作戦の方はどうなったんだよ」

「……」


 そう。

 クラエスフィーナの奨学金確保と同レベルで、ラルフにもまた切実な難題が残っている。

 家族の期待を一身に受け、どう考えても無理筋な「学院一の美女」クラエスフィーナを口説き落として嫁にするという……考えようによっては“空を飛ぶ”よりよほど難題なんじゃね? というプロジェクトである。

 「ダメだった。テヘッ!」とは言いにくい重圧を、ラルフは日々家族から受けていた。

 それが一歩も進んでいないのは、毎日一緒にいるホッブにはお見通しだ。

「いい加減、もう腹をくくれよ」

「……わかってるよ」

「いっぱいいっぱいのクラエスに、余計な事を考えさせたくないのもわかるがよ。それならそれで、審査会直後には告白できるように自分の準備は初めてねえと」

 重ねて言うホッブに、渋い顔のラルフがそっけなく返す。

「わかってるよ」

 クラエスフィーナのチャレンジがどう転ぶかわからないけど、審査会が終わったら四人は一緒に毎日過ごす理由が無くなる。


 元々四人は全員別学科。

 今後は友達として遊ぶことはあっても、毎日集まるみたいな機会は無くなる。クラエスフィーナにラルフが気持ちを伝えるならば、いいタイミングはもう審査会から慰労会までの間しかない。

「家族からの期待圧迫だってスゲエんだろ? おまえの家があれだけ押せ押せなの、俺は初めて見たぞ」

「そうなんだよね……」

 クラエスフィーナが今感じている課題合格のプレッシャーも凄いだろうけど、ラルフが両親と妹からかけられている重圧もなかなかのものがある。

 ラルフが肩を落としてぼやく。

「不肖の息子に期待していいようなあいてじゃないと思うんだけどな……」

「自分で言うなよ」

 一言ツッコんで、ちょっと間を置いてホッブが付け加えた。

「ま、その現実認識はよく理解できる。クラエスは確かに、おまえごときのレベルで高望みしていい相手じゃねえよな」

「黙れ、穢れ無き魂ロリータしか愛せぬ男コンプレックス

「それは兄貴だ! 俺じゃねえ!?」

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