第60話 瓢箪から駒……とでも思わないとやってられない

 イイ気分でクラエスフィーナが風にあたっていると、急に路地から出て来た男が前に立ち塞がった。黒いコートに帽子を目深にかぶり、もう暑い時期なのにマフラーを巻いている。

「やあお嬢さん、今夜はいい天気だね。満月で遠くまで実に良く見える」

「ほへ?」

 急に声をかけて来たけど、どう見ても知り合いじゃない。

「あのぅ、どなたですか……?」

「なに、名乗るほどの者じゃないよ」

 受け答えは紳士的だけど……服装といい、名乗らない事といい、何か……怪しい。


 急に怖くなったクラエスフィーナは後ずさりながらチラッと後ろを見るけれど、浮かれてだいぶ先に歩いてきてしまっていた。串焼き店の店頭で口論している三人がはるかに遠い。

「こんな良い晩は、どうにも自分を押さえられなくてね……ちょうどお嬢さんが通りかかって助かったよ」

「え? あの、どういう意味……?」

「なあに。ちょっとの時間、お付き合いして欲しいだけさ」

 何を言いたいのかよく判らないけれど……怖い。

 クラエスフィーナはじりじり距離を取るけど、どう考えても不審者の方がラルフたちより遥かに近い。

「クラエス!?」

 後ろでラルフが異常に気がついたみたいだ。

 だけど、距離がまだ遠すぎる。男が今すぐリアクションを起こせば、走り出したばかりのラルフが間に合うとはとても思えなかった。斜めに走って閉めている商店の鎧戸に激突しているし。

 男も後ろの同行者が気がついたことに気がついたようだ。そこだけ見える口元がニヤリと歪んだ。

「お嬢さんも忙しいだろうから、あまりお時間を取らせるのもなんだ。急ぐとしよう……それでは、失礼して」

「ひっ!?」

 クラえすフィーナが一歩下がる。

 黒づくめの男が一歩踏み込んできた。

 恐怖で足がすくんだクラエスフィーナの目の前で、男が……バッとコートの前を広げてみせた。

 その下は、


 全裸。


「ピギャーッ!?」

 本能的に絶叫したエルフの様子に、恍惚としている男が高笑いを上げる。

「ハーハハハハハ! いい! 実にいい反応だ!」

「ヒギャアアアアア!」

「いいぞ! さあさあお嬢さん、ぜひとも良く見てくれたまえ!」

「い、いやああ!? ラルフぅ!」

「アーッハッハッハッハ! そら! そーらそーら! ウハハハハ!」

「どうしたクラエスッ!?」

「クラエス、状況を説明して!」

 非常事態に後ろから血相を変えたラルフたちが呼び掛けて来るけど……。

「説明できるかーッ!?」

 この状態、乙女に説明できるはずがない!

「ハハハハハハハ! じつに爽快! 実に愉快だぁ!」

「どうなってるんだ、クラエスゥ!?」

「ちゃんと説明しろ。クラエス!」

「言えるかバカぁ! 勘弁してぇぇっ!」


 思いっきりコートの前をおっ広げたまま夜空に哄笑を響かせる変態紳士と、しゃがみ込んで頭を抱えるクラエスフィーナ。そして駆けつけようと努力して、千鳥足で走るラルフとホッブ、ダニエラ。

 状況を説明しにくい光景が広がる、そんな中……不意に一陣の突風が吹いた。


 それはしゃがみ込んだクラエスフィーナにはほとんど関係はなくて、駆けつける三人には向かい風で足を瞬間止めさせるような代物だったのだが……強く影響を受けた人間が、一人。

「ぬおっ!?」

 自分でコートをしっかり全開にしていた変態は、後ろから吹き付けた突風に耐えることができなかった。

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 急に背中を突き飛ばされた男は立った格好のまま風に巻きあげられ、そのままの姿勢で地面すれすれを舐めるように飛んだ。つまり。

「うわっ!?」

「ひぃっ !?」

「なんだぁっ!?」

 石畳の上を滑るように……コートを広げて仁王立ちの変態が、全開のまま馬よりも早く三人のところへ突っ込んできた。

「ウッヒョーッ!」

 奇声を上げる変態は、ギリギリ飛び退いたラルフとホッブをかすめ……呆然と突っ立っていたダニエラに激突する。

 全裸まっぱにコート一丁で。

「アンギャーッ!?」

 もつれ合って転倒した変態紳士のコートの下で、ダニエラがパニックを起こして暴れる動きだけが見える。

 一方の上からダニエラに覆いかぶさる形になっている男の方は……帽子もマフラーも外れて晒されている顔に、恍惚の笑みを浮かべて呆けていた。

「おお……若者四人にたっぷり見せつけた上に、年端も行かない幼女にのしかかって全身に拒絶ごほうびのイヤイヤ攻撃! 私は、私はついに……至上の天上界へ到達した!」

「いやおまえ、何言ってんの!?」

「ああ……蔑んだ目で見られながら衆人環視の中、全裸で幼女ダニエラを押し倒しているこのシチュエーションがご褒美過ぎる!? 性癖しょうじきに生きて良かったぁ! 変態生活わがじんせいに一片の悔いなし! ウホォオッ、カ・イ・カ・ンッ!」

「たすけてぇぇぇっ!!」

「おいこの変態、大人しくしろ! 誰か、誰か夜回りの衛兵を呼んでくれ!」

「ダニエラッ!? ダメだ、白目を剥いて気絶してる!」

 酔いも吹っ飛ぶ大捕り物? に付近一帯は騒然となった。付近の住民があちこちから顔を出し、「ものぐさ狼亭」の酔客が捕まえた変質者をボコボコにしている。

 路上にへたり込んだクラエスフィーナは、失神しているダニエラを膝枕しながら呟いた。

「……朝が明けたら、大神殿に行って厄除けの護符おまもり買って来よう」



   ◆



 駆けつけた夜警に変態を引き渡して事情聴取が終わった頃には、すっかり空が白んできていた。


「ひどい目に遭った……」

 げっそりした顔のダニエラが水を飲んで呟いた。横に並んで座るクラエスフィーナも死にそうな顔をしている。

「もうすっかりお酒も抜けちゃったよ……なんでこうトラブルが多いんだろ、私たち」

「夜に出歩くからじゃない?」

「今、正論はいらない」

「すみません」


 ラルフのくだらない意見に不機嫌なクラエスフィーナが釘を刺していると、一人立って何かを考えていたホッブが拳で掌を打った。

「これだ!」

 座り込んだ三人はお互いの顔を見回し、もう一回ホッブに注目した。

「どうしたのホッブ?」

 代表してラルフが尋ねると、ホッブが力強い笑みでニヤリと笑う。

「推力を得る方法だ! 考え付いた!」

「えっ!?」

 思わず身を乗り出す三人。

「クラエス、風魔法はどの方向からでも発動できるんだよな? 例えば、後ろから自分に向かってとか」

「え? それは、できるけど……」

 まだ何をしたいのかよく判らないクラエスフィーナに、ホッブが自分の上着をあの変態のように広げてみせる。

 それを見ただけでダニエラがひきつけを起こしたけど、ホッブは無視して話し出す。

「“翼”の構造を変えて、後ろから風を受けた時に帆船みたいに押されるように設計し直そう。そしてクラエスの風魔法で後方下から風を自分自身へ吹き付けて、斜め上へ押し出すようにするんだ。それなら風を送った時の手応えも十分あるし、オリジナルな推力の得方だろ? エルフのクラエスだからできるやり方だ。他の連中にはマネできねえ」

「あ……なるほど!」

 ホッブの提唱する推進方式を理解した三人に喜色が広がる。

「それなら僕らでも実現可能っぽいね! すぐに設計担当こうはいたちにも説明して検討してもらおう!」

「自分の作る風ならコントロールも容易だと思うよ! なるほど、そういう使い方もあるんだね!?」

「構造が簡単そうなのは良いな! 複雑になれば難しくなるし、壊れやすい。これは、いいな!」

 詰まっているところに嫌な事件が重なり、すっかり消沈していた三人の顔に生気が戻ってきた。

 やる気が出て来た仲間たちの様子に、ホッブは満足そうに頷いた。

「よーし、この“クラエスの変態淑女方式”で合格を狙うぞ!」

 意気を上げるホッブ……の前で、再び萎れる三人。

「思い出させるな、このバカ……」

「ネーミングの酷さでやる気失せたよ……」

「おっさんが、おっさんが飛んでくるっ!?」

「……あれ?」

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