第45話 順調な時こそ油断大敵だよね

 凧あげを甘く見ていた。


 クラエスフィーナを飛ばした実験機はとても三人だけで地上に繋ぎ止められるものじゃなかった。

 手は痛いしロープは滑るし、風が実験機を引っ張り上げる力は文字通り人間業じゃない。

「くそう、風が……強すぎる!」

「ホッブ、ダニエラ、もう……ヤバいよ!」

「ああ……クラエスの体重が加算されたみたいな重さだ!」


 もう踏ん張りがきかない。

 エルフに勘づかれないよう、ごく普通の声色でホッブが上空に叫んだ。

「クラエス! そろそろ魔法で推力を試してみてくれ!」

「もうー!?」

 上のクラエスにとっては今上がったばかりだろうけど、下の三人にとってはすでに破滅のカウントダウンが終わりかけだ。

 準備無しに地上組が手を離せば、実験機はコントロールを失ってどうなるかわからない。けれど……それをまさか、すぐにパニクるクラエスフィーナに馬鹿正直に伝えるわけにはいかない。

「もう夕方だ、いつまでも時間をかけていられねえぞ!」

 なんでも無いことみたいに言えるだけ、ホッブは役者かも知れない。ラルフとダニエラは声も出せず、三人でロープの最後五十センチを必死に掴んでいる。今もじりじり数ミリずつ手の中をロープが逃げていくのがわかる。一人が片手を外せば終わりだ。

(早くしてクラエス!)

(ダニエラ、あと何秒もつ!?)

(サービスして……三十秒?)

(盛ってんじゃねえ! 正直に言え、バカ!)

(今すぐだよ、コンチクショウ!)

「それじゃ、やってみるよー!」


 小声でやり取りしていた地上班の悲鳴が聞こえたわけでもないだろうけれど。

 破綻まであと僅かのところで、のんびりしたクラエスフィーナの決意表明が上から降ってきた。

「た、助かった……」

「クラエスがな」


 思っていたより強い向かい風の中、クラエスは地上を見ないようにしながら“翼”が水平になるように努力する。

 ただ、努力すると言っても手で掴んだ“翼”の前縁を持ちあがらないように下向きに体重をかけて引いているだけで……正直これでいいのかクラエスフィーナにもわからない。とにかく凧の要領で風を受ける実験機を作ってみただけのダニエラの知識に、“方向舵”などという発想はない。

 ホッブに急かされ、クラエスフィーナは機体の保持もそこそこに推力に使う魔法の発動を行うことにした。

「もう、ホッブったら……次から次へとやれって言われても、けっこう魔法の発動って難しいんだよ? 失敗したらどうするつもりよ」

 下では今まさに破滅の足音が全力疾走で駆け寄りつつあるのだけれど、一人風に煽られているクラエスフィーナはそのことを知らない。

 うつ伏せになっている自分の足から、後ろに向かって風が噴き出す状態をイメージする。

「それじゃ、やってみるよー!」

 地上の三人に一声かけて、クラエスフィーナは前に向かってそろそろと進み出した。


 下から見るとクラエスフィーナの実験機は、初めは風に流されているように見えた。

 それが自力でその場に静止できるようになり……やがてそろそろと前に進み始めた。最初は見間違いレベルだったのが、明らかに前に進んでいるように見えてくる。

「……やった、か?」

「飛んでるね。うん。飛んでる」

 下からでも自力で飛んでいるように見える。


 三人はホッとしながら、急に軽くなったロープを手放した。

「これは、推力の試験も成功かな!?」

 ラルフが額に手をかざして仰ぎ見る。そんなに早くはないけれど、クラエスフィーナをぶら下げた“翼”は明らかに前へ前へと動いている。

「ふっふーん、どうよ! あたしの天才ぶりにも困っちまうなぁ!」

 失敗が続いた後に立て続けの成功で、ドワーフも初歩の初歩なのに図に乗っている。

「やったねホッブ! これは課題審査ももらったんじゃない!?」

 歓喜でガッツポーズをしながらラルフが親友を振り返ると……何故か彼だけが、難しい顔で腕組みしながら上空を見つめていた。

「……ホッブ? どうしたの? 何かおかしな動きが!?」

「ああ……いや、な」

 ホッブは上空の実験機に注視しながら、考え事をするように顎を手の甲でゆっくりこすった。

「だって、考えても見ろラルフ」

「何を?」

 それだけ言われても、ラルフもなんのことだかわからない。

「だってよ」

 ホッブがチラリとふんぞり返っているダニエラを見た。

「このポンコツドワーフが調子に乗っている時に、事故が起こらないはずがねえんだ」

「あんだと!?」

「真理じゃねえか」

「まあまあ。それこそ真理と言えば、そう言うのを気にしている時に限って失敗しやすいと……」

 言い争いが始まったのをラルフが止めようとした、その時。

「……あっ」

「ん?」

 ダニエラの間の抜けた声にラルフとホッブが顔を上げると。


 前に向かって安定して進んでいると見えた実験機が急に縦方向へ、上下に蛇行するような波打つ動きを繰り返した。

「あれ?」

 かと思うと急角度でストンと下を向く。

「あっ!?」

 そしてそのまま、岸から少し離れた湖面へと突っ込んだ。




 さざ波の立つ水面に、ひときわ大きく円形の波が起こる。

「……ねえ、ホッブ」

「……なんだ?」

 ラルフは横に並んで呆然と湖を見ているホッブに、前を向いたまま呼びかけた。

「あれ、もしかして墜落じゃない?」

「俺もそんな気がするな」

 二人は揃ってダニエラを見た。

「やっぱりダニエラが設計したから……」

「いやいや!? おまえらがこんな時に縁起の悪い話をするから! そもそも……」


 ホッブとダニエラが言い争いを始めた、そこへ。

 三人のすぐ後ろを、散歩中の老人が犬を連れて通りかかった。

「兄ちゃん、姉ちゃん」

「あ、はい?」

「今はそんなことより、乗ってたヤツを助ける方が先でねえかい?」

「……そうですね。ありがとうございます」



   ◆



 クラエスフィーナの落ちたところまでは、湖岸から五十メートルぐらいあるだろうか。

「くそっ! これが地面の上だったら、あっと言う間に駆けつけられる距離なのに!」

「水があるだけで、たったこれだけの距離がこんなに遠くなるもんなのか!」

「ホッブ、ダニエラ。意表を突かれたみたいに言ってるけど、これ予測可能な話だよね⁉」

「ラルフ、テメエだって考えつかなかったんじゃねえか!」

「僕の知能に何の期待をかけてるんだ!」

「そうだったな、その通りだよ畜生!」

 

 三人が慌てているあいだに、一回静まりかけた波紋が再び大きくなった。

 その中心では水面が乱れ波打ち、バシャバシャと音が響いてくる。

「良かった! クラエスは無事だよ!」

 ホッとしたラルフが叫んだ。

「いや、無事じゃないからあそこで溺れているんだろ?」

 ホッブがツッコんだ。

「あ、そうか」

「そうかじゃねえよ」

「うおおおおっ、クラエス待ってろぉ!」

 頭を掻くラルフの横から飛び出し、ダニエラが現場めがけてダッシュした。

「おいダニエラ、さすがにあれだけ岸から離れていると足が着く深さじゃねえぞ!?」

 慌ててホッブがドワーフの背中に声をかけるけど、突っ込むダニエラの速度は落ちない。

「大丈夫だ! 沈むより早く水面を走れば問題ねえ!」

 男二人が見ていると、ダニエラは自分が出せる限りの最高速度(つまり遅い)で湖へ走り込み……当然一歩も水面に浮くことはなく、頭より深い所まで勢いで入ってしまってアップアップと溺れ始めた。

「何が大丈夫だよ!? アイツほんとに工造学科?」

「理論が覚えられないどころか、幼児レベルの発想じゃねえか」

「今さら何言ってるんだ。ダニエラの脳みそなんかに、耳掻き一杯分だって期待なんかするなよ」

「ちげえねえ! ていうか、ダニエラも一分一秒を争う時に二重遭難するんじゃねえよ!?」




 ラルフとホッブは辺りを見回す。すでに実験をやっておいて言うのもなんだが、湖に落ちた場合の救助策を何にも考えていなかった。

「どうしよう……このあいだの工造学科の連中を笑ってられないね」

「あの姿を見た上で準備しなかった、俺たちの方がバカだろ……お、アレだ!」

 ちょっと離れたところで、小さいながらも貸しボート屋が営業しているのをホッブが見付けた。

 釣りや舟遊びをする者もいるのだろう。郊外のデカい湖とはいえ、さすが王都の公園扱いされるだけある。

 あそこで一台借りて救助に向かうのが一番早そうなのだけど……問題は、どう見ても最後の一台をカップルが今まさに借りようとしているというところだった。

「急げラルフ!」

「おうっ!」


 全力疾走で二人は走る。


 走るが、運動なんか全然していない学院生である。


「ホッブ……ダニエラを……笑えない、速度だぞ……」

「無駄口叩かず走れ!」

 二人は全力疾走(本人視点)でボート屋を目指した。

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