第46話 池ポチャの後始末

 全速で走る二人の見ている前で。


 カップルの男がボート屋に金を払い、


 彼女に向かって力こぶを見せてカッコつけ、


 揺れる小舟をわざとらしく怖がる女に気取って気休めを言い、


 抱き合ってイチャイチャして、


 呆れているボート屋にキザったらしく別れの挨拶をし、


 芝居がかったしぐさで手を出して女の乗船をアテンドして、


 ……る間にホッブが間に合った。

「ちょっと! そこの君……!」

「はい? 俺のこと?」

 遠くから声を掛けられて振り向きかけた若い男は、血相を変えて走ってくるラルフとホッブにギョッとして動きを止めた。そんな彼の様子に構わず、ホッブは走りながら一気にまくしたてる。

「……ボートの順番を譲ってくれないか? そうかハイと言うことは良いんだな! ありがとう感謝するよ! それではどいてくれたまえ! 君の協力は忘れないよ、さよなら!」(と一息に)

 ホッブは走り込んだ勢いそのままに男を付き飛ばし、そのままボートに飛び乗ってがむしゃらに漕ぎ始めた。

 続いて到着したラルフは不運な青年カノジョ持ちが宙を飛んでいる間に、ボートに乗りかけて固まっている女をそっと桟橋に押し戻し、お詫びにポケットに入っていた飴玉を握らせ、唖然としているボート屋に空中の青年を指差しながら「コイツが払ったから」と言い残して出港していくボートの尻に飛び乗った。


 大きな水音と悲鳴が立ち昇るのを後ろに、ラルフとホッブは墜落した三号機を目指す。

 ボートを借りるのにマナーと手順をすっ飛ばしたので行儀が悪かったしれないが、友の命がかかっている状況なので関係諸士には御勘弁いただきたいところである。

「こっちが人命救助で必死こいている時に、何やってやがんだバカップルどもめ」

「まあまあホッブ、あのカップルクズどもが呑気に茶番劇をイチャイチャしていたおかげでボートがたんだし」

「ああ、レンタル代を負担してくれたことは評価してやろう」

 ラルフとホッブは、ボートを提供してくれたカップルに感謝呪詛しながら、一路残骸が見えている水面を目指した。



   ◆



 現場に到着したはいいものの、クラエスフィーナの救助は意外に難航した。

「なんか、これ……牡蠣の養殖筏みたいだ」

 ほぼ飛行状態の形で実験機は湖面に浮かんでいるのだけど……ほとんど水没している。

 三号機は軽量化には成功したけれど、木材が細いので浮きの代わりにはあんまりなっていない。表面に張った帆布はすっかり水を吸って逆に重しになってしまい、それにプラスしてクラエスフィーナの重さで“翼”はほぼ水面と一緒の高さになっていた。

 つまり浮いているというより、沈んでいないだけである。


 救助に来るのにこれだけ時間がかかって、そんな状態でクラエスフィーナがまだ生きていたのは……正直。実験機の“翼”の前にクラエスフィーナの頭が出る形で肩紐が装着されていたので、首を伸ばせば何とか呼吸ができていたようだ。

 喋ることもできずに、必死に息継ぎをしているクラエスフィーナ。今すぐボートに引きずり上げたいが、それにはまず大きさがボートの何倍もある実験機からエルフをはずさないといけない。

「ラルフ、とにかくクラエスを機体からはずせ!」

「そうしたいんだけど……ホッブ、クラエスを縛ってある場所が機体の下だよ!」

 クラエスフィーナを実験機に固定しているのは、両肩と腹部二ヶ所の四本のバンドだ。肩はともかく胴体を締めているバンドは、下に潜らないと切ることができない。

「クソッ! 下に飛び込んでもいいが、この濁った池の水で直ぐに探し当てられるかどうか……」

 そこまで考えて設計していなかった。何しろ作ったのはダニエラだし。


 ホッブが歯噛みしていると、ラルフがハッと機体全体を眺めた。

「おいホッブ、一つ手を考えた!」

「マジか!?」

 ラルフが真剣な顔で“翼”の全幅の三分の一ぐらいのところを指す。

「実験機を壊してしまうけど仕方ない。ホッブ、合図したらその辺りに勢いよく飛び乗ってくれ!」

「了解!」

「行くぞ!」

 ラルフの叫びに合わせ、二人が機体に飛び乗る。中央付近にふわっと飛び乗ったラルフは両手でクラエスフィーナを挟んで反対側の“翼”を掴む。

 ラルフとほぼ同時に、もっと外側に派手に飛び乗ったホッブは……そのまま構造材を破壊し、湖の中に爪先からダイビング。

 勢いがついていたこともあり、ホッブが“翼”に着地した衝撃とその後の貫通のショックで、実験機の残った部分は派手に揺れた。その揺れを利用してラルフは破砕側に体重をかけて反対側を引っ張り上げ……機体はラルフをカウンターウェイトにして、クラエスを中心にグルッと回ってひっくり返った。

「クラエス! 大丈夫!?」

 裏返った機体と一緒に一旦水中に沈んだラルフが翼によじ登り、急いでクラエスフィーナを固定していたベルトをナイフで切る。

「ラ、ラルフぅ……」

 ずぶ濡れで手を出すラルフに、同様のクラエスフィーナが起き上がりながら抱きついた。弱弱しく胸の中で泣きじゃくるエルフを、ラルフは柔らかく抱きしめる。

「もう大丈夫だよ。よく頑張ったね」

「うん! うん!」

 不安定な半水没の“翼”の上で、抱き合う二人……の後ろに、水草を頭に引っかけたホッブが浮き上がって残骸にしがみついた。

「……おい、美味しい所を独り占めで満足か? このクソ野郎……」

「なんだよホッブ。とっさの作戦にしちゃ、うまく行っただろ?」

「作戦内容を先に言えよ!? 結果が一緒でも心構えが違うだろうが! アッと思う間もなく踏み抜いて水中に沈んだと思ったら、上からひっくり返った“翼”がかぶってきて水面に出ることもできなかったんだぞ!? 死ぬかと思ったわ!」

 ラルフは憤るホッブに、澄んだ瞳で優しく微笑みかけた。

「大丈夫だ。ホッブは簡単に死ぬようなヤツじゃないよ、僕は信じてる」

「本人の立場から言わせてもらえば、ソイツは買いかぶり過ぎもいいところだ! テメェ、次の機会を楽しみにしてろよ……」

「同じ失敗を繰り返さない。それがトライアル・アンド・エラーの基本だろ?」



   ◆



 途中で馬鹿過ぎるドワーフも回収し、ボート屋に舟を返す時に一悶着……激怒する若者を法論学科のホッブが筋道立てて人命救助の優先性で論破し、しかも濡れネズミのクラエスフィーナの艶姿に男もボート屋も目が離せなくなってカップルの女が怒って痴話喧嘩が発生、おかげでボート強奪がうやむやになってしまうというある種計算した事態……があったものの、四人は何とか研究室まで帰って来れた。


 室内に入るとダニエラがフラフラと会議卓にもたれかかり、崩れるように椅子へ腰を落とした。

「やっと帰って来た……生きてここに帰って来れたのがいまだに信じられねえ……」

「おまえのは自業自得だと思うがな」

 クラエスフィーナはフラフラと部屋の隅に行き、狭い範囲を囲っているカーテンを閉める。研究室が一人だけになってからは半分住んでいたので、ここにも着替えを置いてあるらしい。

「うう、たっぷり魔力を使った後に濡れた服を着て歩いてきたからすっごく疲れた……もう寝ちゃいそうだよ……」

「一発で脱水乾燥できるような魔法は無いの?」

「そんな物があったら、エルフの里に物干し場なんか存在しないよぉ……」


 ラルフとホッブも一応現場で絞っては来たけれど、濡れた服を着たままなのは変わりない。

 疲れた顔でホッブがペンを持った。

「実験結果がどうあれ、重要な発見をしたな」

「なんだい? 『実権の前に救命ボートを用意する』かい?」

「それもそうだがな、もっと基本的なことだ。準備リストその一、『着替えを用意する』」

「……幼児園の“お泊り会のしおり”みたいだ」

「そんなレベルのヤツしかいねえじゃねえか、ここには」


 初めての実地試験は、散々な結果に終わった。

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