第33話 飛べ! クラエス!
翌朝、クラエスフィーナはまたもや最悪の目覚めを経験していた。
頭痛に悪寒、胃のむかつきに倦怠感。途中でダニエラが全部吐かせて水を飲ませていたとはいえ、そもそも前回とは飲んだ酒の量が全然違う。吸収したアルコールに攻め立てられ、クラエスフィーナはもう枕から頭が上がらない状態になっていた。
ただ、前回と違うのは……。
「あうう……」
「大丈夫? クラエスちゃん、辛かったら言うのよ?」
「はいぃ……」
ラルフ母の腕の中に抱きあげられ、頭を持たせかかるクラエスフィーナの額に冷たい濡れタオルが乗せられる。火照った頬やあごの下にもタオルが当てられ、ダウンしているクラエスフィーナは清涼感にウットリする。
「すみません、ラルフ君のお母様……初めてお邪魔したのにご迷惑をおかけして……」
うなされながらも律儀に謝るクラエスフィーナの遠慮を、ラルフの母は快活に笑い飛ばした。
「そんなことを子供が気にするんじゃあないの! 困った時はお互いさまよ? クラエスちゃんは一人暮らしだし、王都に親戚もいないんでしょ? 寂しいわよねえ……本当のお母さんだと思って頼ってちょうだい」
「ありがとうございます……うう、うちのお母さんより優しい……」
ラルフ母の優しさにクラエスフィーナが涙ぐんでいると、ラルフ妹も様子を見に来てくれる。
「クラエスお姉ちゃん、大丈夫? 井戸で冷やしたレモン水を持って来たんだけど、飲めるかなあ」
「あ、ありがとうジュレミーちゃん」
酸味と甘みの効いた冷たい液体を少しずつ飲ませてもらいながら、クラエスフィーナは赤の他人の優しさにほんのり胸が温かくなる思いだった。
(ああ、ラルフのご家族みんな優しい……素敵なお家だよね。いいなあ)
レモン水を半病人に飲ませて器を片付けに廊下に出たラルフ妹は、戸口からそっと覗いている愚兄を肘でどついた。
「こんな所で何をやっているのよ。見舞うのか学校に行くのか、はっきりしなよ」
「いや、なんていうか……」
室内を覗いたままのラルフは、流れる冷や汗を拭きもせず目を瞬かせている。
「まるで聖母みたいに振る舞う母さんの背中から、ドス黒いオーラがメチャクチャ湧き出ているんだけど」
「当たり前じゃない」
母と同種のオーラをまとった妹が、目だけ笑っていない完璧な笑顔でニコリと微笑む。
「まるで女に縁が無いお兄が初めて連れて来た女の子が、超美人でナイスバディで素直で可愛くてちょろいクラエスちゃんだなんて……これはもう逃がすわけにはいかないわよ!」
思いっきり下心アリアリの母子に、善良なラルフは震えが止まらない。
「いや、クラエスは別に彼女というわけでは……」
弱弱しく反論するも、妹はピシャっと叩いてくる。
「お兄の好みピッタリじゃん。美人で巨乳」
「何故知っている!?」
「コレクションの隠し場所に捻りが足りないのよ」
妹はドス黒いモノをダダ漏れにしながら、両手を合わせてニタリと笑った。
「モテない子の奇跡的な嫁・初孫・次の跡継ぎ・看板娘・給料の要らない従業員を全部ゲットできるチャンス! 絶対逃がさないって、お母さん張り切っているわ」
「母よ……!」
怖い。
兄の考えている事なんか露知らず、妹もくぐもった笑い声を立てる。
「うふふふふ……クラエスちゃんがお兄と結婚してくれれば私も跡継ぎにされるかもなんて心配しなくて済むしぃ、優しくてちょろいから嫁小姑の確執なんて心配しなくて済みそうだしぃ、ねだればお小遣いもくれそうだしぃ……クククククッ!」
「妹も怖い!」
なんか愚妹の背後に黒い羽根が見えてる気がする! この家の女性陣はみんなどうかしている! ……と、そう言えば。
「そ、そう言えば。母さんもう店に出る時間じゃないのかな? そっちをないがしろにしたら、父さんがキレるかも!」
母や妹から露骨に話題を切り替えたラルフ……だった、けど。
「バカだね、お兄は。あんなにお母さんがのんびり構えているのは、お父さんも先刻承知だからに決まっているじゃない。お父さんも『未来の義娘を逃すな! 今日は店はいいからあの娘を口説いてろ!』って鼻息荒く母さんに言ってたから」
「オゥ、パピー……!」
そう。母と妹がおかしいのなら、
妹がビシッとラルフの胸に指を突き立てる。
「クラエスちゃんは今二日酔いでフラフラなんだから、落とすなら今がチャンスよ? お兄もなにか頼りがいのありそうな、優しい言葉をかけてあげなよ。絶対グラッとくるよ!」
「女子に縁が無い僕に難しいことを……歯が浮くようなキザなセリフを言えと?」
ラルフは無茶を言うな! と続けようとしたけれど……。
「言・う・の! “鉄は熱いうちに打て”って言うでしょ? 女は弱っている時が一番ほだされやすいんだから。いい? 絶対うちで囲い込むのよ! それぐらい当然でしょう?」
妹はハイライトの消えた目で、ラルフに突き立てた指をグリグリ捻じ込んでくる。そのあまりにマジな顔に、不肖の兄は言葉を飲み込むしかなかった。
我が家は修羅の住む家だった。
消極的な兄に、妹がジト目で確認した。
「じゃあお兄は、クラエスちゃんと結婚したくないの? あんな嫁欲しくないの?」
「欲しいに決まってるだろ!」
自信は無くても興味はある。ラルフだって男である。
「欲しいならなんとかしなさい! お兄に男の魅力なんかかけらも無いんだから、その分悪だくみで何とかしなさい!」
壁の向こうで恐ろしい会話がされているとも知らず、クラエスフィーナはラルフ母に遠慮なく甘えながら思うのだった。
(あー、素敵なご家族だよ。ラルフの家に転がり込んで良かったなあ……)
◆
「それでね、ラルフのお母さんがホントに優しく看病してくれて……妹ちゃんも可愛いし、お父さんも胃のむかつきに効くからって豆乳をわざわざ作ってきてくれたり……素敵なご家族だったよ。いいなあ……ああいうおうち、いいなあ」
宴会の翌々日。昨日一日ラルフの家で上げ膳下げ膳だったクラエスフィーナは、ちょっと夢見心地に思い出を語る。
延々ラルフ宅の居心地の良さを話に聞かされて、ダニエラとホッブ(ついでにラルフ)は思った。
(ちょろい……)
(ちょろいな)
(ちょろ過ぎだ)
ラルフの家族の意図を正確に読み取ったホッブとダニエラだけど、二人は敢えて何も言わない。だって、“自分に関係ないからどうでもいい”話だし。ラルフは言わずもがな。
最後の点検を終えたダニエラが、まだしゃべり足りなさそうなエルフに声をかけた。
「そんじゃ二号機の風洞試験と行こうぜ、チョロエスフィーナ」
「何、その名前!?」
今度の“翼”は格段に軽い。前回の四分の一の太さの木材を使い、その気になればホッブ一人でも持ち上げられる重さになった。
ダニエラが深く頷く。
「今度こそ期待ができるぞ。この軽さなら、あれだけの風があれば浮き上がるだろ」
釘打ちもラルフとホッブが手伝い、木材に割れが出ないように頑張った。前回クラエスが苦しいと言っていたので、ベルトも二本増やして腹だけに体重がかからないようにした。屋根の補修部材に生まれ変わった一号機より、格段に進歩している(はず)。
「よし、準備はいいか? それじゃあ始めてよし」
管理の助教に言われ、ホッブとダニエラが扇風機のペダルを漕ぎ始めた。観測係のラルフが見守る中、どんどん強くなる風を受けた実験機は震え、小刻みに動き出し、ふわっと“馬”から浮き上がって空中へ……。
「おおっ! 浮いた!」
バキッ!
落ちた。
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