第17話 製薬学の俊英 マイキー先輩

 ラルフとホッブが注目する中、老人にしか見えないゴブリンがファンシーなダンスを踊りながら杖を振り回す。


『テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、お空が飛べるようになぁれ!』


 ラルフは覗くのを止めて後ろを振り返った。

 げんなりした顔の三人が揃って首を横に振り、親指を立てた拳で「次へ行こう」とジェスチャーをしている。

 ラルフも頷き、立ち去る前に扉を開けて中に声をかけた。

「先輩。その踊りだと呪文が違ってますよ。『ピピルマ、ピピルマ、プリリンパ』です」

 部屋の中から『ギャー、誰かに見られてた!? もう死にたいっ!』とか阿鼻叫喚の雄叫びが聞こえてきたが、四人は気にせず次へと向かった。


   ◆


 二つのチームを見ただけで、ホッブはもう帰りたそうだ。

「うちの魔導学科、どいつもこいつも投げるの早すぎるだろ!? まともに研究しているヤツがいねえじゃねえか!」

 ダニエラも深くため息をついた。

「始まって二週間で神(?)頼みってのも、逆にスゲエなあ」

「い、いやいや!? 魔導学科全部があんなのじゃないからね!? まだ他にもいるから!」

「そうかなあ……?」

 本人も魔導学科所属のクラエスフィーナが慌ててフォローするけど、他三人の不信はぬぐえない。

「こんな奴らしかいねえなら、もう審査会がどうなるかも見えてるじゃねえか」

「待って待って、まともな人もいる筈! たぶん!」

 魔導学科の名誉のためにも、クラエスフィーナはリストの中からマトモそうなのを必死に探した。

「あ、この人! 四年生のマイキー先輩は製薬学専攻だって! 製薬学なら、おかしな儀式に頼ったりしてなさそうだよ!」

「判断基準が“おかしな儀式に頼らない”ってなんだよ……」


   ◆


 マイキー先輩の研究室にたどり着くと、また扉越しにしゃべる声が聞こえていた。「……また呪文か?」

「いや、今度はちゃんと議論しているみたい」

 たったそれだけの事で、四人は(ちょっと)安心する。

「いや、それはともかく扉が安普請すぎだろ。どこ行っても音漏れしてて、研究内容が廊下に丸聞こえじゃねえか」

「今はそんな事どうでもいいだろホッブ。よし、ここに入って話を聞かせてもらおうぜ」

 ダニエラがノックすると、中から能天気そうな甲高い声で返事があった。来意を告げると、気軽な感じで入室の許可が出た。思わず四人は顔を見合わせる。

「良かったな。今度は話の通じそうな相手だ」

「さっきの二部屋がおかし過ぎるだろ」

「なんでもいいよ。フレンドリーでマトモな人なら」


 ダニエラを先頭に入っていくと、片付けられた部屋の中央に酷い天然パーマの小柄な青年が立っていた。さっきの声は彼らしい。陽気なタイプのマニアっぽい、妙な馴れ馴れしさとまるで筋肉の無い貧弱な身体を持っている。

 小柄な青年はそばかすだらけの顔を満面の笑みにして、両手を広げて叫んだ。

「やあやあ、ようこそ若人たちよ! 僕の研究を見たいんだって!? 君たちは運がいいぞ! 僕の第一回実地試験に立ち会えるんだからね!」

 なかなかの大歓迎だ。

 それはありがたい。ありがたいのだが……。


 ダニエラがものっ凄い顔で硬直していた。


 クラエスフィーナは一目見るなり卒倒した。


 呆然としたホッブの目が点になっている。


 仕方がないのでラルフが代表して叫んだ。


「変態だッ!?」


「えっ⁉ どこに変態が!?」

 と、が辺りを見回した。


   ◆


「いやいや君たち、この格好にはワケがあるんだ!」

 マイキー先輩は事情を聴いて笑い飛ばした。ラルフたちとしては、そのワケとやらを聞かせてもらう前にパンツをはいて欲しい。

 一応の礼儀として……本当に一応の社交辞令としてラルフが聞き返す。

「ワケと言いますと……?」

 ラルフの気分としては“言わされた”んだけど……よくぞ聞いてくれたという悦びの笑顔で、“前掛け一丁”先輩が胸を張った。

「僕の研究の肝はね、ポーションに依る身体強化なんだ。今度の特待生審査では、その培った技術を応用して合格を狙おうと思っている」

 理屈は有ってる。

 ただ、聞きたいのはそこじゃない。

「……それと、その格好がどう関係して……」

「うん、つまりだね! 僕の新開発のこのポーション! コイツは腸内運動を活性化して体内で猛烈な勢いでガスを生成するという凄いヤツなんだ! しかもその活動は長時間持続する! どうだい、こんなポーション聞いたこともないだろう!?」

 それ以前にそんなポーション、使い道が思い付かない。


 正気に戻ったホッブと顔を見合わせた(ホントにこの学院、この動作ばっかりだ)ラルフは、先輩に結論をまとめてくれるように求めた。

「あの、それで……それが課題とどう関係するのでしょうか?」

「おいおいおいおいおい、もちろんここまで聞けば帰結は明白じゃないか!」

 陽気なイカレ薬師は、曇りなき瞳で力強く宣言した。


「おならを噴き出して空を飛ぶのさ! だから極限まで体重を軽量化した上にガスの噴射を妨げないよう、服を脱いでスタンバイしているってわけだよ!」




「ありがとうございました。お邪魔しました」

 丁寧に頭を下げて後ろを向いたラルフの肩を先輩が掴む。

「ハッハッハッハッ! おいおい実験はこれからだぞ? 理論を聞いたって実験を見なかったら意味ないじゃないか!」

「いえ、絵面の想像さえしたくもないのに現物を見る勇気がですね……」

 見切りをつけて女性陣を引きずり帰ろうとしたラルフとホッブを、先輩が親切に引き留めてくれる。全く本人に悪気は無いのだろう。しかし、全くもって余計な親切心としか言いようがない。

(フレンドリーなキャラでも、時と場合によっては殴りたくなるんだね)

(ああ、人生に大事なことを学んだな。そう、まさに今、コイツを殴り倒して帰りてえ!)

 ラルフとホッブは一つ賢くなった。


   ◆

 

 全然乗り気じゃない観客二名とチームの助手二名が見守る中、準備運動も万端なマイキー先輩は右手にフラスコを持って左手を腰に当てた。

「さあ、歴史的瞬間だぞ諸君! 偉大なる人類の第一歩を君たちは目撃するのだ!」

「どちらかというと、人類にとっては黒歴史なんじゃないですかねえ……」

「神の御技に近づかん、いざ!」

 自分が作ったとはいえ、澱んだ沼色のポーションを躊躇なく飲み干す先輩の勇気は本物の探究者の証なのかも知れない。でもその姿は、まるっきり公衆浴場で湯上りにジュースを一杯やる姿にしか見えない緊張感のなさだった。


 緊迫の数瞬が過ぎる。

 ……特に何も起きない。


 助手の二年生が恐る恐る声をかけた。

「先輩……どうですか?」

 返事はない。

 代わりに。


 無言のマイキー先輩の全身が、いきなりくすんだ紫色になった。

「うおっ!?」

 周囲が驚く中で数秒で色が引き……光り輝くような蛍光グリーンに!

「なんだっ!?」

 さらにテラテラしたピンク、目に眩しいレモンイエローに切り替わり……最後は頭から足元に、四色が交互に縞になって流れるように落ちていく。

「……おい、これどういう原理なんだ!?」

 ホッブが横の助手に聞いたが、彼らも初めて見るらしくブンブンと首を横に振る。

「このポーション、ついさっき出来たばかりなんだ! 理論は僕らも知らない!」

「動物実験もしないで自分で飲んじまったのかよ!?」

 学者の鑑である、なんて褒めてる場合じゃない。医者を呼ぼうか周囲が慌てる中……先輩のイルミネーションは始まりと同様、唐突に終わりを告げた。

「あ、戻った」

 事務局へ緊急で通報しようとラルフが部屋を飛び出しかけたところで、マイキー氏の身体が肌色に戻った。そのまま色も固定されて変色の気配もない。

 恐々近づいたホッブが声をかけてみた。

「おい先輩、大丈夫か……?」

 しばし黙っていたマイキー先輩は、不意に動いてバッと両手を上に広げた。

「何たることだ! 僕は回り道をしていた!」

「……はあ。まあ、発想がもう駄目だと思うけどな?」

 ホッブの呆れたツッコミも聞こえていない様子で、先輩は喜びに満ちた叫びを上げる。

「人間にはそもそも秘めた力がある! 空なんかそのまま飛べばいいじゃないか!」

「……えーと?」

「そう! 僕らは生まれながらに両手を持っているじゃないか! 僕らはただ羽ばたけばいい! この両手で大空へ!」

 イカレたことを言い出す四年生をどうしようかとホッブがラルフを振り返ると、ラルフが先輩の顔を指差していた。

 ホッブも顔を戻して演説する先輩の顔をよくよく見てみると……。

「ああ、イッちまってるな」

 目つきがおかしい。焦点が合ってない。

「なあホッブ、やっぱり薬って用法・用量を守らないと大変なことになるね」

「それ以前にポーションの出来自体が怪しいけどな……」

 ひそひそ話をしている間に、マイキー先輩は一生懸命両手をバタバタ上下させ始めた。当然ながら人間が秒速二回ぐらい羽ばたいたところで、宙に浮く揚力なんか得られるはずがない。完全におかしくなっているチームリーダーへ助手たちが駆け寄った。

「先輩、ちょっと医者に行きましょう! ねっ!?」

 しかし。

「為せば成る! 為さねば成らぬ、何事も! いざっ、空中散歩だ!」

 止める後輩を振り払い、ラリッた先輩はひときわ高く叫ぶと。

「イイヤッホォォォォォ! 私はカモメ!」

「いや、待ってぇぇ!?」

 大きく開いた窓に向かっていきなり走り出した。

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