第18話 Let's fly high!
「ちょっとホッブ、先輩が!」
「さすが
慌てて追いかけた男四人が、手を伸ばしたのがギリギリ間に合った。
空へとダイブしたマイキー先輩の足首をホッブと助手が窓から身を乗り出して必死に掴む。一瞬遅れたラルフともう一人が続いて補助に入り、何とか彼は転落を免れた。
その代わり足を掴まれてそのまま下へ落下した先輩は、壁に勢いよくビタンと叩きつけられたけど……薬のおかげか、本人はなんともないようでけろりと叫んでいる。
「おお、やはり大自然の力は偉大だ! 凄い、身体が軽い! 僕の身体がドンドン上空へ引っ張られる気がする! もっと飛べるぞ、空高く!」
「それは浮力じゃなくて重力だ!? 上に上がってんじゃなくて下へ落ちてんだよ!」
「ハハハハハ、行くぞ空の彼方へ! 雲間を覗いて天上界を探して来よう!」
「そんなの下に落ちたって見に行けるぞ!? 一方通行だけどな!」
ラルフとホッブ、助手の二人がそれぞれ二人づつで足首を掴んでいるけど……マイキー先輩が空を飛ぼうと平泳ぎをしやがるので、捕まえにくくてしょうがない。
「くそっ、引き上げるどころか落とさないので精いっぱいだ……」
全体重をかけて足が動き回るので、暴れる足首を掴んでいるのが本当につらい。手汗が出て来てぬるぬる滑り始め、四人がかりでも抑え込めない。
ラルフが絶望に染まった顔でホッブを見やる。
「なあホッブ!」
「なんだ!? 喋ってる余裕なんかねえぞ!?」
「先輩が平泳ぎで屈伸運動しているから、さっきから僕の眼前で男の股間が剥き出しで行ったり来たりしているんだけど!? なんでこんな目に遭わなくちゃならないんだと思うと、僕もう力が抜けて落としちゃいそうだよ!?」
裸エプロンの先輩が逆立ちになって平泳ぎをしているわけで、足首を掴んでいるラルフとの位置関係を考えると……後はお察し下さい。
「奇遇だな、俺もだ! 軽く地獄だぜ、チクショウめ!」
「助けてホッブ! この苦行を続けるぐらいなら、手を離してしまえと内なる悪魔が囁くんだ!」
「が・ま・ん・し・ろ! 気持ちはすんげえわかるけど、手を離したらこのバカ四階の高さから真っ逆さまだぞ!」
「研究室の見学に来ただけなのに、なんでこんな事になってるんだろう!?」
「俺に聞くなよ!」
「くそう、埒があかねえ……」
ホッブは小さく呻いた。歯を食いしばりながら先輩を引っ張るけど、一向に上に引き上げられない。ラルフじゃないが、多分全員限界が近い。
ホッブももう持ち堪えられないと我慢が切れかけた、その時。
「お、あれは……」
先輩の上下する尻越しに、希望の灯になる物が見えた。
「おい、おまえら! あと三分、いや二分持ちこたえろ!」
「なに!? ホッブ、なんか策があるの!?」
「向こうから荷車が来るんだ!」
研究室棟の脇の通路を、飼育している動物に喰わせるのか飼葉を満載した荷馬車がやって来る。あの荷馬車が真下に来た時にぶん投げれば……。
「おおっ!」
「なんとか、なんとかあと二分……!」
ラルフと助手たちも小さく歓喜の声を漏らした。明確な目標ができたことで、あと少しを頑張る気力が湧いてくる。
あと少し。
あと少し。
あと少し。
四人の期待が高まる中をだいぶ近づいて来た荷馬車が、いよいよこの建物の真横に差し掛かるというところで……いきなり停止した。
「なんだっ!?」
「どうして!?」
愕然とした四人が見つめる中。
荷馬車が止まったのを見て、代わりに高級そうな箱馬車が学舎の角を曲がってこちらへとやってきた。荷車の御者は、身分の高そうな外来客がいたので一旦停止したらしい。
経緯を理解したホッブとラルフ、そして助手二人は力の限り叫んだ。
「人の命がかかっている時に、呑気に道を譲っているんじゃねぇぇぇぇぇぇぇ!」
その瞬間。
「あっ」
怒りで手元が滑ったラルフの手の中から、先輩の足が消えた。
「うぉっ!?」
急に負担が大きくなったホッブも取り落とした。
「うわっ!?」
「ひっ!?」
片足が急にすっぽ抜けたので、もう片方も弾みで滑り落ちた。
「あーっ……」
四人が言葉もなく眺める中、望み通り平泳ぎで空中を泳ぐマイキー先輩はグングンと地面へと落ちて行き……ちょうど真下を通りかかった箱馬車に激突し、屋根を突き破って上半身が中へとはまり込んだ。
◆
王立エンシェント万能学院へ貴族の
……という口実を利用して、鬼嫁の目を盗んで愛人と仲良く半日デートを楽しんだ後に最低限の義務で申し訳程度に学院の視察に今到着したところだった。
伯爵は学院の敷地内だというのに、にやけたツラで愛人のスカートに手を入れてご満悦だ。
「ふふふ、野暮用はサッサと済ませて帰ろうか。君の部屋で夕方まで楽しい時間を過ごすほうが大事だからな」
「そんな事を言って伯爵様ぁ。もう、この手は何ですかぁ?」
「おっと、この手が待ちきれないようだ。しかし君も、期待しているようだな?」
「いやん、伯爵さまったらぁ」
もうすぐ玄関につくというのにおっぱじめた伯爵が愛人に覆いかぶさったところで……。
ズドゥンッ!!
「なんだ!?」
馬車が普通に走っている分にはありえないほどの衝撃で揺れた。段差を踏んだとか、脱輪したなんてレベルの話じゃない。車体がバラバラにならないのが不思議なほどのショックで、上下左右に大きく揺れる。
「くっ、何事か!? ……はっ!?」
揺れが収まり伯爵が思わず閉じていた目を開くと……車内の様相が一変していた。
いや、車内がそんなに変わったわけではない。ただ、今までなかったものが天井から生えていた。
「……えっ?」
目を見張る伯爵と愛人の目の前に、天井から裸の若い男の上半身が逆さに突き出ている。
彼は物珍しそうに車内を見回すと、キンキン声で叫び始めた。
「うわーお、ここが天国ですかぁ!? これが天界の部屋? 意外と狭いね? 馬車みたい! だけどさすがは天界だね、神様は天井に座って逆さに暮らしているんだ!? すげえ! ていうか今なに? なんと、もしかして二人してイイことしている最中だった? 昼間っから!? さすが天国、やることが違う! ウッヒョー、僕も混ぜて!」
急停車した馬車の御者が、自分の車の屋根に剥き出しの男の下半身がガニ股で生えているのを見て御者台から転がり落ちた。
彼が腰を抜かしながらも客室の扉を開けると、中から立派な服装の紳士と着衣の乱れた若い女が這い出てくる。馬車の開いた戸口からは、はしゃいでいるマイキー先輩の甲高い声が響いていた。
「……無事みたいだね」
ぽつりと漏らしたラルフに、渋い顔でホッブも同意する。
「ああ……だが、転落死と大して変わらないピンチな気がするな」
多分あの馬車の客は、迷惑をかけたら色々ヤバい相手じゃないかと思われる。しかもあの姿を見るに、馬車の中で人に言えない事をしている真っ最中だったようだ。
窓の下では緊急事態発生と見て、職員や学院生がわらわらと現場に駆けつけつつある。
それをしばし、四人は無言で眺め……一旦背筋を伸ばしてマイキー先輩の今後を神に祈ったホッブが、手を叩いて皆を追い立てた。
「よし! 各自、自分の居た痕跡を消して三十秒で退去するぞ!」
「えっ?」
まだ呆然としているラルフと助手たちに、ホッブが窓の下の騒ぎを指し示した。
「にぶい奴らだな。おまえら、アレがうやむやで終わると思うか? 巻き込まれたくなきゃ、職員が調べに来る前にここを出て知らぬ存ぜぬで押し通すしかないぞ」
「……あぁっ!?」
ラルフが床に伸びているクラエスフィーナを担ぎ上げ、ホッブがダニエラを小脇に抱える。助手二名も私物を回収して、全員撤収を完了して遁走したのは十七秒後のことだった。
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