第3章 そうだ、答案を見せてもらおう

第14話 追いつくためには発想の転換が必要だ

 ラルフは夢うつつの中、どこか遠くで重たい物が床に落ちる「ゴッ!」という音を聞いた気がした。

(何の音だろう?)

 ラルフの意識がはっきりする前に、続けてこめかみに激痛が走る。

「……って、痛いっ!?」

 跳ね起きて、謎の衝突音は自分の頭が床にぶつかった音だと気がついた。覚醒した途端に罵声も飛んでくる。

「バカ兄、いつまで寝てんのよ!」

 これは寝ぼけていてもわかる。妹のジュレミー(十五歳、たぶんヒト種メス)だ。

 目を開ければ二本おさげの類猿人が、ラルフが寝ていたベッドの上で仁王立ちになっていた。ジュレミーのくせに近頃妙に色気づきやがって、おさげの先端にリボンを結んでいるとか笑わせてくれる。思春期はつじょうきだろうか?


 気持ちよく寝ている兄の毛布を手荒に引っぺがしたうえ、ベッドから蹴り落とすという言語道断な悪行に……不肖の妹へ、頭が資本の「賢者見習いがくいんせい」ラルフは当然抗議した。

「このバカ! 僕が頭を打ってバカになったらどうするんだ!?」

「心配ないでしょ。いくら何でもそれ以上はあり得ないから」

 思わず怒りも凍り付くような冷めた答えが加害者から返って来た。

(くっ、このやろう大した言い草じゃないか……が、落ち着けラルフ。しょせんジュレミーは世間知らずのお子様なんだ)

 こいつは物事に対する認識が甘いようだ。きちんと兄たる自分が教えてやらねばなるまい。

「ふんっ、おまえは物を知らないな! 下には下がいるってことがわからないのか」

「呆れたわね。バカ兄、まだ下を目指すの? マジもんでバカなのに、さらにクラスダウンするの?」

 妹のゴミを見るような視線をラルフは鼻で笑い飛ばした。

「ハッ、僕が下がるまでも無い。元より僕の下にはホッブがいるからな!」

「バカ兄より、よっぽどマトモな人だと思うけどなあ」




 ラルフが妹と喧嘩しながら台所に行くと、父はすでに食事を終えて店に行っていた。残っていた母が温めていたスープを出してくれたので席につく。

 煮え滾って湯気どころか気泡がポコポコ浮かんでくるスープ皿を前に、ラルフは触ることもできずに母に尋ねた。

「母さん、父さんと喧嘩したの?」

 “粉屋横丁のオーガ”とあだ名される筋肉馬鹿の父に比べ、頭一つ小さい華奢な母は下町の女にしては落ち着いていて品が良い。お嬢様とは言わないが、大商家のメイドぐらいは過去に経験してそうだ。今でも隣近所のおっさんのアイドルで、子供から見てもあの父と何故結婚したのか不思議で仕方ない。喧嘩の一つぐらいしてもおかしくないだろう。

 エプロンを取って一緒に食卓についた母は、子供のおかしな質問に眉をしかめて額に手を当てた。

「朝からいきなり何を言うんだい、この子は。父さんと喧嘩なんかしちゃあいないよ。昨晩だって“仲良く”したぐらいさ」

 長年連れ添えば朱に交わって赤くなるのかと、マトモと信じていた母のあけすけな暴露発言に息子としては落涙を禁じえない。

「お母さん、子供の前で生々しい事を言わないで……」

 さすがのジュレミーも、げんなりした顔で手が止まっていた……いや、これは沸き立つスープに手が出せないだけか。

 母は自分のスープ皿を乱暴に掻き回し、熱を空中に逃がしながら事も無げに答えた。

「父さんは関係ないよ。これは竈の火を落とす前にスープを温め直しただけ。まさかラルフが予想の三十分も前に起きてくるとは思わなかったから、想定の温度まで下がってないだけさ」

 母の的確な想定に、横から睨んでくる妹の視線が痛いラルフだった。


 今日のご飯、店の古くなった麦粉(不良在庫デッドストック消費の為なので、小麦とは限らない)を使った自家製の平たいパン。付け合わせは肉屋でもらってきた骨と我が家の野菜くずを一緒に煮込んで出汁を取った具の無い塩味のスープ。かつて「残飯を集めたようなメシだ」と言ったら、父に「残飯じゃねえ、廃物利用だ!」と殴られた我が家自慢の朝ごはんである。

 味が無いくせに古いひねた臭いだけ残るパンを塩スープに浸し、スープを吸わせて匙で食べる。商品の廃棄を防いだうえに、臭いをごまかしつつ味付けと滋養分の補充を行える画期的な料理だそうな。

 一石四鳥の賢い喰い方だ、学院出ているのは伊達じゃねえと発案者の父は自画自賛しているけど……これが学院卒の実力かと思うと、ラルフは学院を卒業した後の自分の将来を悲観せざるを得ない。父は廃棄商品の食べ方を工夫するより、古くする前に商品を売り切る努力の方を頑張ってくれないだろうか。

 同じような事を考えていたらしいジュレミーが、匙を咥えてうんざりと呟いた。

「お兄、知ってた? パン屋で買うパンは味がついてるんだよ?」

 ラルフが答える前に、鍋を片付けていた母がピシャっと妹の不平を断ち切った。

「古くなったって小麦に栄養があるのは変わんないよ。黙って食べな!」

 どちらかというと父より母の方が学がありそうだ、とラルフは思った。


 生きる為に食べるという当たり前の事実を再確認する作業を終えて、ラルフは食後のお茶を飲みながら妹に尋ねた。

「そう言えばジュレミー、おまえ先週出された課題は大丈夫なのか? 難しくってわかんないって騒いでいたじゃないか」

 先週末に学校から帰って来た妹は、出された課題が難しくて解けないと転げまわっていた。ラルフが妹と血の繋がりを感じる瞬間である。

「なに? 宿題見てくれるの?」

「いいや、土壇場でアテにするなと先に警告して置こうと思って」

 学院の入学試験もはるか昔になった二年生の今、ラルフはもう幼年学校高等部の課題なんか解ける自信はない。学院生の学力低下が叫ばれる昨今、イケてるラルフが流行に乗り遅れるわけがない。

 その兄の予防線に対し、妹は。

「だと思った」

 自分で言い出したはずなのに……なぜだろう? ラルフは妹の断定に何故か鼻の奥がツンとする。泣きそうなのは妹の絶対の信頼感に感動したからだよ! 悲しいからじゃないんだからね!

 涙をこらえるラルフの前で、妹は余裕綽々の表情で言い切った。

「あれは大丈夫、もう解決したわ。なにしろ私はお兄より頭がいいんだから」

「まて。“解決”ってなんだ? “終わった”でも“解いた”でもなく」

「変な所にこだわるわね」

 お茶を飲み終わったジェレミーは胸を張って言い放った。

「クラスのできるヤツの答案を見せてもらったから、宿題の出来は完璧だわ」


   ◆


「うーん、我が妹ながら……アレの将来が心配だ」

 登校しながらラルフは首をひねっていた。

 朝一からイカした発言をかました妹は、「そんなのすぐバレるだろ!」と言うラルフを鼻で笑ってくれた。

「本当に駄目ね、バカ兄は。バレるって、そんなの答案を丸写しにするからいけないのよ」

「……と、言うと?」

「模範解答を見せてもらえば答えまでの筋道がわかるでしょ? 理屈が分かったら間違いでない程度に中間を書き換えるのよ。そしたらもう、それはオリジナルの答えなんだから!」

 あの時の妹は、小悪魔というより悪魔の高笑いをしていた。

「恐ろしいな、十五でああいう小細工に行きつくとは……アイツ、将来は絶対ロクな大人にならないぞ……」

 と、ロクな大人になりそうもないラルフは校門をくぐりながら呟いた。



 

 そんな妹の話をクラエスの研究室で話すと、真面目な顔をしたダニエラが身を乗り出してきた。

「答案を見せてもらう、か。中間を書き換えればオリジナルね……なるほど」

「どしたの、ダニエラ?」

 秘伝の古文書が役立たずと判明してから四日。あれから状況は何も良くなっていない。

 今こうして議論していても良い知恵は一つも浮かんでこないので、ラルフは作戦会議の手詰まり感を和ませようと今朝の出来事を話しただけなのに……。


 妹の呆れた解決策に、ダニエラは何か引っかかる部分があったらしい。

 しばらく一人で黙り込んでいたドワーフは、顔を上げると窓を開けて外を眺めた。外の喧騒から、早い研究チームはすでに実機のテストに入っているのがわかる。

 妙な笑みを浮かべたドワーフが振り返った。

「ラルフ。答案を見せてもらうってのは、結構いい案かも知れねえ」

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