第12話 謎の文字と意外な突破口

 沈黙の一瞬の後、三人はラルフの脇に駆け寄った。

「これがわかるのか!?」

「わかるって程じゃないけど……」

 首をひねっていたラルフが、やや経ってから指を鳴らした。

「そうだ! これ古典資料の読解をやった時に見たことがある。三百年ほど前のフォトン文字だ」

 ラルフが古文書の正体を解き明かした。まったく学力をアテにされていなかったラルフのまさかの大手柄に、ホッブとダニエラが歓声を上げる。

「マジかよ、すげえ!? ラルフが授業の内容を覚えているなんて!」

「やるじゃんラルフ! おまえに僅かでも学院に通った意味があったとは!」

「いや~、照れるなあ」

「……ねえラルフ。二人とも、一言も褒めてないよね……?」

 クラエスフィーナのツッコミも耳に入らず、興奮したホッブが手を打ち合わせた。

「よーし、どうしたらいいラルフ? 誰か読めるヤツがいないか?」

 ラルフが読める可能性は初めから期待しない。

「たしか、うちの導師が辞書を持っていたはずだよ! 僕、今から行って借りてくる!」

 そして期待を裏切らないラルフ。


 乱暴に扉を開けて飛び出していくラルフを見送りながら、ダニエラが晴れ晴れした笑顔でクラエスフィーナの肩を叩いた。

「良かったなクラエス! これで一歩前進したぞ!」

「うん……それはいいんだけどさ」

 今のやり取りで今さらながら、あらためて自分の研究チームに不安を覚えたクラエスフィーナだった。


   ◆


「お待たせ!」

 ちょっと時間がかかったけど、出て行った時の勢いそのままにラルフが戻ってきた。

「お邪魔します」

 その後ろから、さらに年長の男性が一緒に入ってきた。

「……おかえ、り……?」

 待っていた三人の視線が、ラルフの顔から下に下がる。

「どしたの?」

「いや、どうしたって言われても……」

 どうした? と訊く朗らかな表情のラルフの首に……首輪。そしてそこにつながったロープは後ろの男性の手元に。

「説明が欲しいのはこっちだぜ」

 三人の総意を、ホッブが代表して口に出した。


 


 後ろの男性はラルフが所属する研究室の助教だった。

「事情は分かったので、ブラウニング導師もフォトン文字辞典を貸すことは認めたのだが」

 苦い顔をしている助教が説明する。

「一冊しかない貴重な辞書を貸し出すには、コイツ授業態度がいささかアレでな」

「ああ……」

 ラルフが信用できないので、導師が助教を見張りにつけて寄越したと。

「いささか繕った言葉で言わせてもらえば、このバカが辞書を売り飛ばして飲み代にする可能性も捨てきれないと。というわけで、私が一緒に来たのだ」

 言葉を濁した表現で、これ。

「よくわかります」

 同類のくせに綺麗な目で力強く同意するホッブとダニエラ。背中に突き刺さるクラエスフィーナの視線は気にしない。その程度を無視できないで、不良学院生はやっていられない。


   ◆


 大きな作業机の上を片付けて、古文書と辞書、メモ用の再生紙ウラガミが並べられた。

 準備を進めつつも、ホッブは首をひねった。

「しかし、なんで辞書もあるような言語なのに今まで解読できなかったんだ?」

 ホッブのもっともな疑問。

「それな! 不思議だよな?」

 ダニエラも同意し、ラルフとクラエスフィーナもウンウンと頷く。

「いや? 実はこういう事態、それほど珍しいことでもないぞ」

 その答えを持っていたのはラルフのお目付け役に付けられた三十代の助教だった。

「そうなんですか?」

「ああ」

 助教が机に置かれた大判の辞書のタイトルを撫でた。

「俺たち文章学では、割と文献が残っている文字だから専門家もいるし辞書も作られている。だが分野が違えば、ほとんど触ることがないので未知の文字になる」

 クラエスフィーナが首を傾げた。

「でも、文章学の人間なら知ってるんでしょう?」

「文章学科に聞けばな」

 苦笑いが出たのは経験があるからか。

「抜けてるわりに秘密主義なのは研究者の持病だからな。自分の心血込めた研究成果が横取りされるんじゃないかと疑心暗鬼になって、畑違いの知識が必要でも他学科の者にさえ相談できない学者は数多いぞ?」

「あー……」

 言われてみれば、心当たりはあった。

 ラルフやホッブみたいなやる気のない学生はともかく、導師とかを見ているとそういう傾向は確かにある。 

「まして静学系と動学系は交流も少ないからな。専攻の人間なら一年生でもわかる基礎知識を、よその学科の御大が知らなくて研究に詰まるなんてよくある話さ」

 そこまで言った助教が、ラルフを見て訂正した。

「専攻の“真面目な”人間なら、一年生でもわかる基礎知識を、だな」


「じゃあ、ダートナム導師も……」

 クラエスフィーナの言いかけた言葉に、渋い顔をした助教が頷いた。

「可能性はあるだろうな。フォトン文字の読める研究者は、文章学のある学院なら学内に四、五人はいるはずだ。文書自体を極秘だって念を押していたんだろう? ……三世代に渡って既知の知識に行き詰っていたとは、ご苦労なことだよ」

 なぁんだ、という弛緩した空気が流れる。この研究室の導師たちは、何十年も無駄なことをしてきたらしい。それがまた、学院らしいと言えば学院らしいが。

 そんな中でホッブだけが一人、難しい顔をしていた。

「どしたの? 難しい顔をして」

「……ダートナム導師は古典魔導学が専門なんだろう?」

「あー、そんな事も言ってたね」

「古典という事は古文書の原典にあたることも多い分野のはずだ。他学科でとはいえ、割とメジャーな言語に気がつかないものかな?」

「うーん、変かなあ? 考え過ぎだって」

 ホッブの懸念を笑い飛ばし、ラルフが腕まくりした。

「よーし、頑張って訳すぞ!」


   ◆


「ざっとこんな感じだな。多少の誤訳はあるかもしれないが、細かい所の齟齬は大して影響しないはずだ」

 皆の見守る中、現代語に翻訳を終えたは書き留めたメモをクラエスフィーナに渡した。大判の辞書を小脇に抱える。

「それじゃ、用が済んだということで辞書は持ち帰るから」

「はい。ありがとうございました」

 クラエスフィーナの礼を背に、助教は部屋を出て行った。そして自然と残った者の視線が、部屋の隅で膝を抱えていじけているラルフに集まる。

 ダニエラがポンポンと背中を叩いた。

「ま、気にするなよ。おまえの成績じゃ助教に訳してもらった方がはるかに速いのは確かなんだし」

 慰めになってない。

「そ、そうそう。文法も難しそうだったし、正確に訳すのもただの学院生じゃきっと無理だったよ」

 クラエスフィーナの取り成しも、なんの気休めにもなっていない。

「そんなことはどうでもいいから、早く内容を検討しようぜ!」

 ホッブに至っては、慰める気さえ持っていない。


 隅で膝を抱えているラルフを置いておいて、三人は助教が作ってくれたメモを覗き込んだ。

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