第2章 呼び出されるのは突然に
第09話 呼び出されるのは突然に
学生街で代表的な昼飯と言えば、なんと言っても「古家の床板」だろう。
硬めに焼かれた四角く平たいパンへ二枚貝のように切れ目を入れ、間に燻製肉や葉物野菜を僅かばかり挟んだ代物だ。運がいいと薄くバターを塗ってくれる店もある。
昼飯時になると門前に並ぶ屋台でコイツを買い、庭の木陰に腰を下ろしてのんびり食うのが学生たちの定番だった。
このパンはやたらと硬く、咀嚼するとゴリッゴリッ、またはギシッギシッと聞こえる音がする。それが床板のきしむ音に似ているので、こんなあだ名が付いたそうな。食べ盛りの男子学生でさえ一個で顎が疲れるので名付けられた「ジジイ殺し」の率直な名前の方が有名かもしれない。
ラルフとホッブも、この安いだけが取り柄のパンをかじりながら今日の予定を話していた。
「なあラルフ。おまえ、午後の講義はどうなってる?」
友人の問いにラルフは、次の一口に取り掛かる前に宙を睨んで記憶を探った。
やる気のない講師が延々古い本の読み聞かせをしてくれる「睡眠誘導実習」(または「古典資料講読」ともいう)だから、実質後ろの席で寝ているだけだ。
「それを聞くという事はホッブ、おまえのところは休講か?」
「おう、ジャンセン導師の『法論演習』だったんだがよ。今朝になって国王杯決勝のチケットが取れたらしい。事務局にすげー弾んだ様子でやってきて、「病欠ぢゃ!」と一言叫んでスキップで出て行ったってよ」
「わぁお」
担当導師がポロの試合を見に行くので
「しかも今日はお仲間が五、六人いるらしくて、休講告知を出した職員が事務局に戻ったかと思うと追加を持ってまた貼りに来るって有り様よ。『導師病欠で休講』の五枚目を貼ってる事務方のねーちゃんが、すっげー目が死んでて笑えたのなんの。おまえにも見せてやりたかったぜ」
大抵変人か偏屈者ばかりな導師たちは、当然ながら個別プレイに走ったらしい。誰かがまとめて申請に行けば恨まれることも無かっただろうに……とラルフは思った。
「それで通ると思ってる辺り、きっと導師はみんな頭が病気なんじゃないの?」
「頭がおかしくねえ導師なんかいるかよ。ったく、せめて昨日のうちに言えよなあ。学院まで来ちまったじゃねえか」
仕事よりスポーツ観戦を優先する導師も導師だが、無駄足を嘆くホッブだって人のことをとやかく言えない。午前中も授業はあるという、当たり前の事実を忘れてはいないだろうか?
「うーん、僕の方は……」
「暇なら
「奇遇だな。僕の方も寝ているだけの簡単な
起きて授業を受けろ。
「よし、さっさと食って遊技場に行くぞ。近所のところは午後になると軒並み静学系の連中で埋まっちまうからな」
二人の話はたいがいだが、この学院で授業態度が不真面目なのは別にラルフとホッブだけじゃない。学院に進学するとなぜかみんなハマる上位三つがコーヒー、飲酒、棒玉転がしだ。上位五つなら賭博と煙草がそこに追加。暇人に小金を持たせるとロクなことをしない見本である。
何はともあれ午後の予定は決まった。
ホッブの言う通り学院をサボって棒玉転がしをやりに行く学生は数多いから、早めに行って場所を確保するのに越したことはない。
「まったく、学生なら寸暇を惜しんで本でも読んでろ! なあホッブ?」
「多分、おまえも他の連中にそう思われていると思うが」
「おまえもな」
自分の事は棚に置くべし。
よーし、と二人は立ち上がり、勢いよく残りのパンをかじり始めた……その時。
「いよーお。今日も仲いいねぇ、お二人さん」
二人の肩が同時に叩かれた。
ラルフとホッブが振り向くと、そこには誰もいなかった。
……敢えて下は見ない。
ホッブは大ぶりな最後の一かけらを無理やり口に押し込みながら、もう少し残っているラルフをつついて急かした。
「早く食えよ。急いで行かないと、実践法理学専攻の連中がレーンを埋めちまう」
「いつも思うけど、君たち法論学科は暇人すぎない?」
「あたしが背が低いのを気にしてるって知ってたよな!? わかってやってるだろ、おまえら!? 泣くぞ!? 泣かせたいのか!?」
半泣きの喚き声にラルフとホッブは顔を見合わせてため息を吐くと、頭一つと半分背が低いダニエラを見た。
「何の用だよ?」
「あたしが来たってことは、用件は一つしか無いだろ?」
二人はウーンと唸って……去年の葬式でも思い出すような遠い目になった。
「なんか、研究室でまた今度って別れたのがもうずいぶんと前の事に思えるよ」
「あれからまだ四日……いや、もう四日と言うべきなのか? 時間の経つのはおせえなあ」
しみじみしている二人の腹をダニエラが軽く小突く。結構イイのが鳩尾に入った。
「現実逃避してねえで、さっさと来いよ。おまえらもう研究チームの頭数に入ってんだぞ」
「そりゃ俺らを足しても四人しかいねえからな」
クラエスフィーナがとうとう古文書を見つけてしまったらしい。
それについては学友として“おめでとう”と祝福してあげたい。ただ問題は……古文書の発見によって、自分たちにも強制参加のイベントが発生するということだ。
「出て来た物はよく確認したか、ダニエラ? もしかしたら別の文書かも知れないぞ? 開けてみたら実は赤点の答案が隠してあっただけかもしれないじゃないか」
ホッブの一見親切そうなお断りに、ダニエラはジトーッとした目で鼻を鳴らした。
「はっ、バカこいてんじゃねえよ。うるせえな、つべこべ言わずについて来い」
「えーっ……僕たち、やるだけ無駄なことに青春を浪費したくないんだけど」
「それを言ったらテメエらがこの年まで生きてんのが、もう金と食い物の無駄遣いだろうが。なんだよ、暇人のくせに他に用事があるのか? クラエスの退学がかかってんだぞ?」
行きたくはないけど、
学力が足りなくて課題を落とすのと、ラルフたちが手伝わなかったせいで課題を落としたのでは話が違う。結果は同じでも、二人に協力する義理はなくとも寝ざめが悪い話になってしまう。
ラルフがホッブを見ると、仕方ないという風に肩を竦めている。ラルフも抵抗を諦めてダニエラに向き直った。
「はいはい、分かりましたよ。仕方ない……」
「仕方ないじゃねえよ。時間が惜しいんだ、きりきり歩け!」
ダニエラに急き立てられながら、ラルフは思わずため息をこぼした。
「せっかく今から棒玉転がしに行くつもりだったのに……あ~あ、勝負の結果はお預けか」
二人の手を掴んで連行しようとしていたダニエラが、ラルフの独り言を聞いた途端にピタリと止まった。
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