第1章 それはある日の放課後の出来事
第01話 それは放課後の講義室で始まった
茜差す夕刻の
石造りの学舎群に赤みを帯びた夕日が当たり、人の姿の見えない石畳に長く伸びた濃い影を落としている。
「おっと、ちょいダベり過ぎたか? そろそろ日が暮れるぞ」
話の切れ目に外を眺めたホッブの言葉に、ラルフも窓へ目を向けた。
すでにほとんどの学生は家に帰るか、研究室に行くかしているのだろう。残照に照らされる一般講義棟の辺りに、昼間あれだけうろついていた学生はほとんど残っていなかった。
「そうだね、もう帰らないと……あ~あ、帰ったら倉庫整理か」
力仕事の手伝いがイヤで学院に居残っていたラルフにも、いよいよ年貢の納め時が来たようだ。
「今日はお前んち、棚卸だっけ?」
「そうそう。埃まみれの粉まみれ……」
家は穀物問屋だ。嫌そうな顔を笑ったホッブに肩を竦めてみせると、彼に続いてラルフも腰を上げた。
「今日は家の中が戦場みたいだから、夕食もどこかで済ませて帰らないとな」
そんな日に学業の振りをして家業をサボる男、ラルフ。
「これぐらいの時間なら、学生街の食堂もまだ開いてんだろ」
そしてソレをたしなめない男、ホッブ。
いつも通りの光景が広がる学院の一角。
いつもの講義室。いつも通りの毎日。
そんな場所から、彼らの挑戦の日々はいきなり始まったのだった。
◆
「ね、ねえ! そこの君たち、ちょっといい!?」
「ほわっ!?」
不意にかけられたソプラノの声に、他に居残りはいないと思い込んでいたラルフは喉から心臓が飛び出るほど驚いた。
怪訝に思いながら振り返り……瞬間、呼吸の仕方を忘れて息が詰まった。
ラルフとホッブが振り返った先には、線の細い上品な美貌に焦燥感を滲ませた美女が立っていた。
「……え?」
サラサラの金糸のような髪。
透き通った滑らかな白い肌。
鼻筋の通った気品のある小顔。
エルフ族。
世界的にみても希少な亜人で種族全員が超絶美形という、メチャクチャ有名な伝説については今さら説明する必要は無いだろう。まあ、そこには「気難しくて傲慢で、他種族をはなから見下しているスカシた連中」という悪いイメージも漏れなくセットなのだが。
声をかけてきた彼女の顔はよく知っている。というか、我が王立エンシェント万能学院で魔導学科二年のクラエスフィーナ嬢を知らないヤツなんか在校生にいる筈がない。ラルフたちと同時期に入学した、顔だけじゃなくてオツムも良いと才色兼備の見本のような人だ。
……で。
そんな
そんなクラエスフィーナ嬢が、切羽詰まった顔で訴えてくる。
「お願い、私の手伝いをしてくれないかな!?」
「……」
二人は必死な様子の彼女の顔をしげしげ眺め、それから首を回して自分たちの後ろを眺めた。
「え? え? どうしたの?」
そこには誰もいない。適当に消した黒板と乱雑に並んだ机があるだけだ。
講義室には三人しかいない事を再確認してから、もう一回声をかけて来たクラエスフィーナに視線を戻したラルフは……二人の行動に戸惑う彼女に、念のために聞いてみた。
「あの、もしかして……僕たちに声をかけたの?」
「もしかしても何も、他に誰もいないじゃない!」
キレ気味に答える女子学生の回答に、ラルフはホッブと顔を見合わた。
(学院の『お姫さま』が、僕たちなんかに何の用だろう?)
(俺にわかるか! 学院に学歴だけ取りに来た俺たちとは『別世界』のお姫様だぞ?)
彼女と自分たち、学院でのお互いの立ち位置を考えて答えを探す。導き出される答えは……ラルフの脳裏に稲妻が閃いた。
(うん、これだな!)
“モブ”が“お姫様”に頼まれそうな用事を幾つか思いついた。
ちょっとは頭がキレるところを見せておこう。ラルフは彼女から言われる前に、慇懃に尋ねてみた。
「あの、
彼女の用件はきっと、手近に
「私、普段どういう目で見られているの……!?」
ホッブと慌てて目配せしあう。
(おい、どうも推測の内容がお気に召さなかったようだぞ?)
(でも彼女って、そういう存在じゃないの?)
二人がワタワタしている間に、ラルフの質問に戸惑うクラエスフィーナは怪訝な顔をしながら……美貌のエルフ様にはちょっと珍しい表情ではある……一応ラルフの出した選択肢の中から答えてくれた。
「……まあ、その中のどれかと言われれば真ん中のヤツかな」
「なるほど!」
オーケー、理解した。
用件を聞いたラルフは、またホッブとアイコンタクトで会話する。
(聞いたか、ホッブ?)
(ああ。これは早めに言っといたほうが良いぞラルフ)
小さく頷きあい、一つ咳払いをして切り出す。
「あの、クラエスフィーナ様。大変申し上げにくいのですが……」
「同期生なのになんで“様”付け!? それとさっきから、わざとらしい敬語はなんなの!?」
丁寧な態度がお気に召さないらしい「お姫様」に、ラルフは大事な事……この場は黙っていたとしても、後々隠し切れない真実を告げた。
「すみません、ノートは貸せません。というのも、僕たちバカな上にやる気も無いものだから……さっきの授業はのびのび寝ていて、ノートを取ってませんでした」
「貴方たち、何しに学院来てるの!?」
ラルフが正直に答えたら、なぜかクラエスフィーナに怒られた。
「……なんで、こんなに話が進まないのかしら……」
ちょっと話しただけで疲れた様子のクラエスフィーナは、“ストップ!”というゼスチャーをして二人が始めた怒涛の弁解を押しとどめた。さすがエルフ、そんなしぐさも絵になる可愛らしさだ。
「あのね、まずは話を聞いてくれないかしら」
彼らを止めて、続いて説明に入ろうとしたけれど……残念なことに彼女は、『バカは話を聞かない』という厳然たる事実を忘れていた。
止めたにもかかわらず、二人の壊れた水門のような言い訳が続いている。
「お金もありません!」
「いや、そうじゃなくて……」
「馬車も持ってません!」
「あの……」
「カモれそうなボンボンに知り合いもいません!」
「えーとね……」
「ブランド品もよくわかりません!」
いくら止めようとしても濁流のように流れ込んでくる言い訳の波、波、波。そして打ち寄せる弁解の奔流にクラエスフィーナの我慢は決壊し……。
「と・に・か・く! 黙って話を聞いてくれないかな!?」
オウムのように無理ですと繰り返すだけの二人に、エルフ美女の珍しい怒声が飛んだ。
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