第4話 盲目

 彼女、佐野風花さの ふうかに恋をしてからというもの、モヤモヤとした日々を過ごしていた。気がつけば彼女のことを目で追っている自分がいた。

 そういえば、妻に佐野さんの画像を見せたことがあった。

「進ちゃんが好きそうな顔した子ね」

 それが妻の感想だった。女性の勘はすごいと素直に思った。そして、怖くなった。その当時、佐野さんの画像を見せたのは、自分には下心がないからという証明のつもりだったのだが。

 死ぬほど驚いたこともあった。佐野さんと誕生日の話になった時のことだ。佐野さんの誕生日は妻と一日違いだった。これには本当に驚いた。驚き過ぎたので、俺の気持ちが佐野さんにバレたのではないかとヒヤヒヤした。

 ある日、珍しく佐野さんが遅刻してきた。俺のSkypeスカイプに連絡があった。俺は「体調が悪いなら無理しないで家に帰っていい」と送信すると、「途中まで来ているし、少し休めば大丈夫」と返信があった。頑張り屋の彼女らしいと思った。前にも同じように満員電車のせいで、途中で気分が悪くなって少し休んでから行くからと遅刻して来たことがあった。

 だが、今回はちょっと違っていた。「無理しないでもいい」とSkypeすると、「痴漢にあって気分が悪くなった」と言う。

 俺はそれを聞いて、すぐにでも迎えに行きたくなった。女性が知らない男に痴漢されるなんて、恐怖以外の何者でもないだろう。それに、俺はそういう男が力づくでとか、女性を酒に酔わせて無理やりとかのやり方が死ぬほど嫌いだった。そういう奴らは警察に捕まって、ち◯こをちょん切られてしまえばいいのに!

 俺は現場の人たちには「気分が悪くなったから、少し休んでから来るそうです」と報告しておいた。馬鹿正直に痴漢にあったみたいですなんて、彼女のことを思うと、とても言えない。晒し者にするようなものだからだ。しばらくして、彼女は本当に職場にやって来た。もう一度電車に乗るのも嫌だったろうに。

 彼女は普段通りに見えた。それが逆に痛々しい気もした。変に気を使うと余計に思い出させてしまいそうなので、あまり触れないようにと思った。こっそり「大丈夫?」と聞くと「大丈夫です」と彼女は答えた。そして、どう痴漢にあったかを詳しく説明してくれようとしたのだが、それは聞かないことにした。そんなこと報告したい女性はいないだろう。

 ただ、痴漢のことを彼氏には言わないと言っていた。理由は分からない。心配させたくないからなのか、言っても無駄だからなのか。

 だから、俺はその日の帰りは彼女と同じタイミングで職場を出て、嫌がる彼女を半ば無理やりに最寄りの駅まで送っていた。帰りでも一人で電車に乗るのは嫌だろうと思ったからだ。俺に下心がなかったと言えば嘘になる。少しでも彼女といる時間が長くなるのは嬉しかったし、少しでも彼女の力になってあげたかった。一緒に帰ることで少しでも気が紛れてくれればいいなと思ったのだ。

 無事に彼女を最寄りの駅まで送り届けると、俺も帰宅した。妻にも報告した。

 妻にはそこまでする必要はなかったんじゃないかと言われた。痴漢にあった恐怖は俺には想像もつかないが、恐怖のあまり声が出せなかったなんてよく聞く話だ。彼女も同じように恐怖したと思う。彼女を送ることに関しては、妻に何を言われても間違ったことはしていないと思っている。

 その後、月一の自社のミーティングに彼女と出席すると、俺は社員の月間MVPをもらうことができた。それは、職場の評価が良かったのと、佐野さんを現場にアテンドできたことが評価されたお陰だった。月間MVPは初めてだったので、嬉しかった。

 そして、その数ヶ月後には、自社に社員が増えたため、チーム制にすることが決まり、俺はチームリーダーになることができた。もちろん、佐野さんのお陰と言える。何しろ、彼女と同じチームなのだから。俺は益々、彼女に足を向けて寝れなくなった。

 ただ、月一のミーティングに、彼女と一緒に自社に戻れなくなったのが少し寂しかった。ミーティングの前にリーダー向けのミーティングに出席しなくてはならなくなったからだ。

 他のリーダーに話を聞くと、部下にめちゃくちゃ厳しいリーダーもいた。徹夜で、かつ泣いても「何泣いてんの?仕事やれよ」って、言ったことがあるらしい。俺は八方美人なので、とても人にそんなに厳しくはできない。ましてや、年下の女の子に……。

 現場の飲み会にも積極的に参加した。なるべく、この現場が続けられるように、現場の人間に少しでも気に入られたらと思ったからだ。彼女は研修などで参加できないため、うちの会社から一人ぐらいは参加した方がいいと思っていたのもあった。

 この頃には、うつ病で仕事嫌いの俺が、仕事人間になっていた。ほとんど仕事を休まない。なんなら、休日出勤だって自分から提案するほどだ。残念ながら、休日出勤が認められることはなかったが、可能な限り彼女と一緒に居たかった。一分でも、一秒でも長く。

 現場にいる人間のスマホに一斉に緊急地震速報が鳴ったことがあった。彼女は俺のシャツの袖を持って「怖いっ!」なんて言われたら、おっさんはキュンキュンしてしまう。俺が彼女を守ってあげないとと思ってしまうのだ。

 今思えば、彼女にとっては迷惑な話だろうが、夜中まで二人でSkypeのメッセージでくだらない話をしていたこともある。はっきり言って彼女に夢中になっていた。盲目になっていた。

 しかし、十年以上ぶりの胸のときめきをどうしたものか。自分には妻も子どももいる。それに同じ会社の同僚だ。そう簡単に告白できない。それに、彼女には彼氏もいるのだ。まぁ、あまり彼氏は関係ないと思っていたが。自分は二番目でも全然構わない。付き合えることができるのなら、それでいいと思っていた。

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