日常想起12
秋が深まると、学生達はまたもや文化祭の色に盛り上がり始めた。
一年生は、初めての文化祭に胸を弾ませ、二年生は、主役気分で張り切り、三年生は、最後の思い出作りに気合いを入れていた。
だが、椎梛や颯大のように、本腰を入れて受験勉強に精を出す者からすれば、余計な行事でしかない。
「皆、席に着け」
その日、椎梛のクラスの担任は、教室に入ってくるなり、ざわつく室内を鎮めた。
一限目に急遽設けられたLHR。
授業開始と共に、教師が生徒を大人しくさせるのは普通の話なのだが、その日は少し様子が違った。
「せんせぇ?学祭の出し物決めるんじゃないのぉ?」
各々生徒が席に着き、騒がしかった室内が静かになったにも関わらず、担任教師は難しい顔をしたまま黙っていて、何も言わない。
痺れを切らした女子生徒が、ゆるい口調で問い掛けた。
「……あぁ、その前にやることがあってな」
担任の教師は、鈍く返事を返したものの、動く様子はない。
疲労を滲ませた顔で、持ってきたプリントと見つめあっている。
流石にその雰囲気に異常を察して、生徒達は顔を見合せる。
変にお喋りすることも出来ず、視線で「何事だ?」とやり取りを交わす。
本来この時間は、文化祭のクラスの出し物を決める為に設けられた時間の筈だった。
クラス委員が中心になって、意見を出し合い、決を採って、あわよくば役割分担まで決める予定だった。
担任教師は、疲れが溜まった目頭を指で挟み込むようにして揉みしだくと、神妙な面持ちで顔を上げた。
「皆、文化祭の出し物を決める前に、ちょっとやってもらう事がある」
教室内がざわつき始める。
何を言っているか判らないが虫の羽音のような喧騒が室内を包む。
「簡単なアンケートだ、空白が無いように答えてくれ」
戸惑う生徒達を再び静かにさせる事もせず、担任教師はプリントを配っていく。
いつもと同じ手順で、前の席からプリントが回され始めた。
椎梛は、そんな空気の中でも、他のクラスメイトに混ざる事なく、ノートにペンをはしらせていた。
元々椎梛はこの時間を自習の為に当てようと考えていた。
話し合いに参加している雰囲気だけ出して、陰で勉強していようと考えていた。
実際、椎梛以外にも、受験で切羽詰まっている生徒の数名は、同じように、参考書やノートを開いている。
プリントが渡されていくにつれ、波が打ち寄せるように騒がしさは広まっていく。
その時、控えめに教室の扉が開かれ、薄い隙間から他の教師が顔を覗かせた。
ざわつく生徒の声に掻き消されつつ、担任教師を手招く。
「皆、ちゃんと書いておけよ」
そう言い捨て、慌ただしく担任教師は教室を出て行った。
途端、ざわざわとしていただけの囁き声は、明確なお喋りへと変化した。
「ねぇ、これってさ……」
「例の教育委員会が来たって、あれ?」
「あ、あの森永が辞めた件?」
「え!?やっぱ、それが原因なんだ!」
誰が誰と話しているかも定かではない会話が、室内を飛び交う。
そこでやっと、椎梛は回ってきたプリントに目を通した。
書きかけのノートにきりをつけ、名残惜しげに閉じる。
周囲が興味津々に、どこか面白おかしく話す声は、勿論椎梛の耳にも届いていた。
プリントには、簡素な明朝体で「いじめについてのアンケート」という題が躍っていた。
その下には、選択式の問いが数問と、意見を書く欄が設けられている。
「森永がいじめをでっちあげたんでしょ?」
「違うよ、虐められてる生徒を辞めさせようとしたって……」
「じゃあ、ホントにいじめがあったってこと?」
「え!?あれはいじめじゃないでしょ!?」
尚も生徒は盛大な噂話を繰り広げている。
椎梛は小さく、誰にも気付かれないように溜め息を吐いた。
そして、とっととプリントを書き終え、勉強に戻ろうとペンを握り直した。
あなたはいじめを目撃した事がありますか?
はい
あなたはいじめられた経験がありますか?
いいえ
この学校にいじめはあると思いますか?
はい
丸を付けるだけの選択式の問いをとっとと片付ける。
後は、意見を記載しなくてはならない問いだけだ。
アンケートには、名前を書く欄はない。
これは、生徒が余計な事を気にせず、正直に書けるようにという配慮だ。
だが、文字を記載すれば、筆跡から誰だか判ってしまうのではないだろうか。
椎梛はふと、颯大はこれに何と答えるのだろうか、と考えた。
だが、あのニヘラ顔が辛辣な言葉を並べるとも思えず、いまいち検討はつかなかった。
そもそも、このアンケート自体、颯大に対する事なのかも椎梛は知らない。
「でもさ、こんな大事になって、虐めてた人ってどうなるの?」
「そりゃ、辞めさせられるんじゃん?」
「受験生でも?」
会話が疑問符ばかりになった所で、担任教師が教室に戻ってきた。
皆慌てて口をつぐむ。
「終わったか?」
戻ってきた担任教師は、先程よりも一段と疲れた顔をしていた。
ここ数日この学校は騒がしかった。
数日前に突然教育委員会が学校へと来訪し、この学校のいじめについて調査を始めた。
そして、学校側は教師を一人退職させた。
勿論、それらの一件は、生徒に伝わらぬようこそこそと行われたのだが、ピリピリとした空気は学校全体に拡がっていた。
だから、何故いじめに直接関与していないだろう教師が退職しなくてはならなかったのかは皆知らない。
クラスメイトが今さっきまで話していたような、「教師がいじめを黙認していた」とか「教師が虐められた生徒を辞めさせようとした」とか、そんな憶測だけが飛び交っていた。
「集めるぞ~」
早く解放されたいとばかりに、担任が急っつく。
噂話に没頭していて、まだ記入が済んでいない生徒達が、釈然としない表情のまま、慌ててペンを走らせる。
椎梛は最後の問いに対してまだ回答を終えていなかった。
あなたはいじめに対してどう思いますか?
いじめる人間は相手が羨ましくて仕方ないんだと思う。
だってその人は、誰よりも強い心の持ち主だから。
少しだけ考えた椎梛は、曖昧なその問いに、珍しくも正直に、そう殴り書きした。
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