展望
高い所にいる事に
今まで気付かなかった
見渡した先に
見えたのは・・・・・・
Scene11
梅雨は、季節に見合う程に、連日雨を地上へと溢した。
いつもなら、屋上に行けない鬱々とした日々を過ごしていただろう私は、今回に限っては忙しく動いていた。
連日図書室で過ごし、ソータに勉強を教えた。
そして、今日は中間試験の結果発表の日だった。
先週一週間、試験の答案が返され、同時に解答が配られた。
一緒になって勉強してきたせいか、私も今回はいつもより良い点数を取れた。
まぁ、順位はいつもと変わらないが……
『あー、やっぱり結構汚れちゃってるな……』
廊下に貼り出された学年順位を確認し、私はそのままの足で屋上へとやって来た。
老朽化した屋上は、梅雨の洗礼を受けて、所々水溜まりをつくっている。
ビニールシートをかけてあるデッキチェアやラックも、隙間から入り込んだねっとりとした砂埃に汚れていた。
入口の方を振り返るが、扉が開く気配はない。
(何やってんだか……アイツは)
『しょうがない、やるか』
持っていた雑巾を硬く握り締める。
手始めに、ビニールシートを取り払い、バサバサと払った。
しかし、こびりついた泥は落ちない。
ましてや、一人では大きなシートを上手くはためかせる事も出来なかった。
仕方無く、汚れた面を内側にし畳んだ。
雨避けのカバーは後回しにし、椅子やラックを雑巾で拭っていく。
カバー程ではないが、こちらも水気を帯びた砂が所々に付着している。
ぱっと見は綺麗に見える箇所も、拭くと雑巾は黒く汚れた。
結局私は、掃除を終える迄に何度か校内の水場まで行ったり来たりしなくてはならなかった。
なんとか掃除を終え、私はいつもの位置に椅子を設置した。
学校鞄とは別に持ってきた袋から、数日前に持って帰って洗濯してきたフリース生地の布を取り出し、敷く。
彼は、持ってきた物を定期的に掃除こそしてくれるものの、どこか抜けているので、今まで洗濯した事は無かった。
しかし、敷物として使っているのだから、これが汚れていたら意味が無いだろうと、勝手に持って帰って洗う事にした。
新品同様とはいかないまでも、きちんと掃除をした椅子とラックは、随分綺麗になった。
しかし、その分、私自身は汗だくに近い状態だった。
この時期特有の温いじっとりした空気のせいもあって、ブラウスが肌に張り付く。
雨が降れば、肌寒い事もあったので、未だ長袖を着用しているのだが、そろそろ衣替えしてもいいかもしれない。
掃除を終え、綺麗になったそれらを満足気に眺めていると、背後でミシリと軋む音がした。
「ふぅ」と吐く筈だった息は、「はぁ」と言う溜め息に変わった。
耳障りな軋み音は一瞬の事で、後は軋む暇すら与えず、一気に景気良く扉が開かれる。
「シイナっ!」
扉の物音とほぼ同時に響く声。
背後で誰かが音をたてても、私はもう飛び上がる事も、身を硬くする事もない。
それは、彼だと解っているから。
彼も、扉を開いた先に私がいることを疑っていない。
『タイミング悪す……っ!?』
流石に謀ったような間の悪さに、苛立ちを感じて、文句の一つも言ってやろうと振り返った時だった。
放たれかけた嫌味の言葉は、ブツリと途切れ霧散した。
文字通り、目の前が真っ白になった。
『ちょっ!?何してっ!?』
「シイナ!やったよ!やった!!」
動揺の非難も、興奮した歓喜に掻き消される。
振り返った途端、一目散に走って来たソータの腕の中に、私はすっぽりと収まっていた。
目の前には、白いワイシャツと赤いネクタイ。
走って来たせいなのか、少し汗ばんでいて、肌色が薄っら透けている。
制汗剤を使用しているのか、爽やかなシトラスの香りが仄かに鼻を擽る。
高鳴った鼓動が皮膚も布も飛び越えて、バクバクと伝わってくる。
「マジで感謝してるっ!ホント、奇跡だよっ!!」
誰もいないのをいいことに、人目を憚る事もなく、苦しいくらい抱き締め、額の辺りで喚き散らす。
しかもその状態で跳ねるもんだから、一緒になってガクガクと振られた。
「ありがとうっ、シイナ!ホントっ!!マジで!!」
『だぁ~っ!わかった!わかったから!!放せぇい!』
流石に苦しくなった私は、全力で腕を突っ張り、彼を引き剥がした。
『苦しいってば!』
やっとソータの腕が弛んで、通常の呼吸を取り戻した私は、早速抗議の声を上げる。
だが、彼の囲むようにして私の背へ回された腕は、離れはしなかった。
『…………』
「…………」
睨め上げる私の視線と、虚を突かれたような彼の視線が間近で絡む。
『…………』
「……ぷっ!」
だが、事もあろうにソータは謝るではなく、噴き出した。
そしてそのままにっこりと笑む。
抱き合うような格好をしているというのに、私は睨み付けているし、彼は嬉しそうに笑んでいる。
お互い頬を赤らめたり、気まずい空気を醸したり、慌てて跳び離れたりしない。
こういうところが、私達の中途半端な関係を顕著に表現している気がした。
『なんで笑う?』
「だって、反応薄っすいんだもん」
『だって、結果知ってるし』
「もっと喜んでくれるもんかと思った」
『掃除が終わる前なら、喜んでたかもしんない』
「え?」
完全に興奮して周りが見えていなかったらしいソータに、背後の椅子を顎で示した。
彼の眼がしぱしぱと二度瞬いたかと思えば、やっと変貌した椅子へと向く。
やっと背中に回っていた手が離れて、彼はデッキチェアへと近付く。
そして、小姑みたいに椅子の背凭れを指でなぞり、埃が無い事を確認して……。
「いやぁ、シイナには頭あがんないっス!」
やっぱりニカリと笑った。
『はいはい』
私はそれを聞き流し、椅子へと座る。
『それで?どうだったの?』
「どうだったって?」
ソータも席へ着き、当たり前のようにパックのイチゴオレを放って寄越した。
これで何個目か判らない。
礼のつもりか、いつも当たり前のようにソータはこれを買ってきて、私に与えた。
初めのうちは、借りを作っているようで、いつかまとめて返そうと金額を換算していたが、面倒になって今は止めた。
『行ってきたんでしょ?先生の所?』
「ん?あぁ!行ってきた行ってきた!アイツすっげぇ苦い顔してたよ」
アイツと言うのは、ソータに退学を迫った現在の担任教師の事だろう。
誰だかは知らないが、ソータが他人に対して嫌悪を露にするのは珍しい事だった。
『ふーん。でも、条件が撤回されたわけじゃないんでしょ?』
「うん。このままキープ出来なきゃ意味ないとか嫌味くせぇこと言ってた」
『へぇ。でも、60人抜きしたんだから余裕でしょ?』
「64人抜きね」
私の言葉に、ソータは訂正を加える。
わざわざ4を強調して。
(細かいな……まぁ、そんだけ嬉しいって事か)
ソータは、今回見事に学年成績68位に入る事に成功した。
それは、本人も事前に言っていたが奇跡に近いジャンプアップだった。
勉強を見ていて思ったのだが、ソータは文系科目が壊滅的に出来なかった。
特に英語は、中学生からやり直す事をお勧めしたいくらいの出来だった。
だからと言って、他の教科も満遍なく悪くて、多少理解が及んでいる数学に関しても、平均点に到達するかくらいのものだった。
だから、今回の結果はソータの執念と努力の結果だと言えた。
大袈裟なこの喜び様も解らなくはない。
実際、私もソータの名前を貼り出された掲示板から見つけたその時、思わずガッツポーズしたくなったくらいなのだから。
『まぁ、とにかく一山越えたわけだし、良かったじゃない。後は継続して復習を続けていけばいいんだからさ』
「うん……まぁ、そだね」
ソータは、私があまり喜んでないように見えるのが少々不満そうではあったが、舞い上がった感情をなんとか抑えたようだった。
(お疲れ様、颯大くん)
気を抜くとつい口元がにやついてしまいそうになるのを堪えているソータを盗み見つつ、心の中で労ってやった。
実を言えば、私は今日初めてソータのフルネームを知った。
聞き出したわけではない。
学年順位の掲示の中からソータと言う響きに一致する名前を探して見つけたのだ。
漢字表記では読み方までは判らないので、間違っている可能性もあったのだが、彼がさっき言った64人抜きという順位から考えて、合っていたという事なのだろう。
でも、彼が私の名前を知っているのか、また私の名前が掲示の頭にあったことに気付いているのかは判らない。
「南さんにも礼言わないとなー」
弛んだ口元を誤魔化すように、ソータはデッキチェアに横たわり、そう言った。
『そうだね』
試験までの間、体育祭の日以来、私達は図書室で勉強するようになった。
それまでは、空き教室やこの屋上で勉強していたのだが、やはり腰を据えて出来るほうが良かった。
結果自然と足は図書室へと向かうようになった。
そして、体育祭時に面識が出来た事で、司書の南さんも声をかけてくれるようになった。
南さんは、私があまり得意ではない現代文や古典に秀でていた。
それに口下手な私よりも解りやすく上手に教えていた。
ソータは相変わらず、誰に対してもにこにこ尻尾を振るもんだから、試験直前頃には、すっかり二人は仲良しになっていた。
同時に半ば巻き込まれるようにして、私も以前より彼女と話すようになった。
「ねぇ、後でお礼行くからさ、シイナも来てよ?」
『嫌』
「なんでよ!?」
『私は別にお礼言う必要ないもん』
女の子じゃないのだから、そのくらい独りで行けと突き放す。
すると、何を思ったか、ソータはニヤリと笑って、訳知り顔で「ふふーん」と頷いた。
「さては、自分にはお礼はないのか、って不貞腐れてる?」
『はぁぁ?』
何一つ的を射ていない勘繰りに溜め息と疑問符がぐちゃぐちゃに口から溢れた。
「大丈夫だって、もちろんシイナ様にもお礼するつもりだからさ」
『いや、まずは前言を撤回しろ』
「シイナは心配性だなぁ~、俺がそんな恩知らずだと思ったわけぇ?」
『おい、話を聞け』
「まっ、半分は俺自身のご褒美ってのもあるんだけどねぇ」
『だからっ!』
私の言葉を無視して話し続けるソータへ、身を乗り出したその時―――。
『!?……????』
直ぐ目の前、鼻先五センチ辺りに白い薄っぺらいものを突きつけられていた。
びっくりして言葉が途切れる。
仰け反るように、身を引いて、突き付けられたそれを確認する。
「一緒に行こう!」
それは、遊園地のチケットだった。
『…………』
何と言っていいか判らなかった。
まさか誰かに何処かに一緒に行こうと誘われるなんて思ってもみなかった。
それに、結果が出るのは今日だったのに、ソータが事前にこんなものを用意していたというのも意味不明だ。
「ほらっ、直ぐにまた忙しくなるだろうし……思い出作りに、さ」
一向に受け取ろうとしない私に、ソータは少しだけ笑みを崩して、しんみりとした感じで言った。
『……いいよ』
小さく返答をし、壊れ物を触るようにそっと、指先で摘まみ、受け取った。
不安げに揺らいでいたソータの表情は、あっという間に破顔する。
(またイチゴオレだと思ったのに……)
手の中のチケットの片割れを見つめ、自分達の居場所がどんどん変化し、拡がっている事を実感する。
「ねぇ、シイナ?お礼ついでに、お願い聞いてくんない?」
その日
私の携帯の
二桁に満たない電話帳に
名前が一つ増えた
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