汚濁






     透き通っていた景色は


     一瞬で


     些細な事で


     醜く濁る






 いつから変わったのだろう?


 以前に戻っただけだろうか?



 折角彩られ始めた景色が


 白黒になったのは



 君がいた時には


 気付かなかったのに






Scene8


 寒さも最高潮に達し、椅子に座ってじっとしているのも厳しくなった頃、私は気付いた。

 一月が半ばにかかる頃、そろそろソータが来てもいいんじゃないかと、私は再び屋上に通うようになった。

 二週間程度毎日欠かさず授業に出て、飽きてしまったというのもある。

 だが、ソータは一向に現れなかった。

 デッキチェアもラックもそのままだから、行き違いになった訳でもなさそうだった。

 その場合、大抵暖を求めて、保健室やらに逃げ込むようになっていた。

 ソータが姿を見せなくなったのは気になるが、寒いなか待っているなんて、堪え性の無い私には出来ない。

 だが、たまたまその日は、そろそろデッキチェアやらの掃除をしておこうかと、雑巾を片手に、屋上に留まっていた。

 濡らした雑巾は、あっという間に指先を凍らす。

 指先は直ぐに赤くなる。

 それでも、ソータが来た時の事を考え、砂埃を拭う。


(こんな面倒まで背負って……)


(ソータが来るまで屋上は護っておく!)


(とか、心のどっかで思っているのだろうか……)


 完全に能天気が感染ってしまったか、と自嘲する。

 その時だった。


「そろそろ降参しろっての!」


 そんな声が聞こえて来たのは。


「おい、あんまデカイ声出すなって……」


 別の声が諌めるように言うがもう遅い。

 私は数日前に見掛けた、中庭での光景を思い出していた。

 音をたてぬよう気をつけながら、屋上の柵へと近付き、見下ろす。

 すると、先日とほとんど変わらない位置に、同じように一人を取り囲む姿が見えた。


(いつから、中庭は虐めの定番場所になったんだ?)


 彼等の姿を眼下におさめ、私は助けを呼ぶわけでも、咎めるわけでもなく、この間のように静観する。

 すると、再び呆れるくらい決まりきった感じで、暴力の雨がたった一人に降り注ぐ。

 人を傷付ける事に何の抵抗もないのか、音をたてて足や拳が身体に食い込む。

 顔を狙わないのは、慈悲ではなく、虐めが露見しない為の保身の為だろう。

 私はその光景をくぐもった目でぼんやりと見つめる。

 途端に視界にフィルターがかかる。

 裏庭に敷かれた芝生。所々に聳える木々。

 総てが色みを失っていく。

 白黒に濁る。

 醜く汚れていく。


(あーあ、折角鮮やかだったのに……)


 勝手に景色が塗り替えられていくのを、私は何の抵抗もせずに見ていた。

 背後の錆びた扉は開かない。

 ソータは来ない。


「あんな事しておいてよく学校来られるよなっ」


 拳が横腹に食い込む。


「潔く辞めろってのっ!」


 爪先が太股を痛め付ける。

 彼等は、私がいることには全く気付かない。

 立ち入り禁止の旧校舎の屋上に人がいるとは思っていないのだろう。

 いや、寧ろ授業中だから、誰かが見ている事自体ないと思っているのかもしれない。

 それとも、がなりたてる声から判断するに、自分達に非はないと思っているのだろうか。

 少しだけ目を凝らし、暴力の衝撃で右へ左へと激しく揺さぶられている、輪の中心にいる人物を見てみる。

 俯いていて表情は判らない。

 悲鳴や苦鳴を漏らしている様子もないから、歯を食いしばって耐えているようだった。

 でも、多分、この間と同じ人物。

 彼はどのくらいの間、この無情な暴力と罵詈雑言に耐えているのだろう。

 ここまでされる程に、彼は悪逆非道な事をしたのだろうか。

 周りの連中に味方するつもりは毛頭無いのだが、それでも、こんな仕打ちをうけるくらいなら学校に来なければいいのに。

 協調性の無い私はそんな風に思う。

 大体二十分程度だろうか。

 なんとか震える足でかろうじて立っていた彼が、とうとう地面に平伏したところで、暴力は止んだ。

 それまで、底の見えない怒りを心のままに振るっていた連中は、突然気がふれたかのように笑い始める。

 彼が倒れた事でやっと優越感を感じる事が出来たようだ。


(早く倒れてしまえばよかったのに……)


 周りの連中は更に二言三言捨て台詞を吐いて、渡り廊下があるほうへと去っていく。

 一部始終を目撃していた私は、特にその場を動かず、倒れた彼の行く末を見ていた。

 遠くからでも判るふいごのように揺れる肩。

 それが怒りからくるものなのか、あれた呼吸なのかまでははかれない。

 息があって、意識もあるようなのは確かだった。

 周りの連中が立ち去るのを待っていたのか、十二分に時間をとってから、彼は起き上がった。

 そのままどこかへ立ち去るかと思いきや、壁際まで這いずって、寄り掛かるようにして座り込む。

 全身がひどく痛むのだろう。

 動きも、座る姿勢すらぎこちない。

 私は、俯いたまま、ぐったりと座る彼の頭頂部を見ていた。

 すると、徐に彼が顔を上げる。

 ゆっくりと僅かに痛みに顔をしかめながら、彼は天を仰いだ。

 見下ろしていた視線と見上げた視線がしっかりと合う。

 私は、今更逃げたり隠れたりするつもりはなかった。

 瞬く眼をそのまま見続けた。

 見上げた先に私の姿を見付けると、彼は―――ソータは笑った。

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