夜空






  毎晩見上げる空



  でも


  その日その場所その時に


  眺めた夜空を見る事は


  二度とない






Scene7


 夜は暗い。

 でも、都会の夜は決して真っ暗とは言えない。

 街灯や家々の灯り、ネオンなんかで、歩くには全く問題ないほど明るく照らされている。

 その晩は、いつもより更に、ぼんやりと明るかった。

 きっと丁度校舎の反対側、校庭で行われている後夜祭のキャンプファイアーのせいだ。

 上を見上げると、背後が明るいせいかより一層深い濃紺の闇が拡がっていた。

 私は、文化祭の後片付けが粗方終わったところで、労い合いが行われ始めた教室を誰にも気付かれぬようにそっと抜け出した。

 だからと言って、後夜祭が行われている校庭に出る訳でもなく、こうして一人上へと上って来た。

 別に真っ直ぐ帰っても良かった。

 だけど、帰る為には校庭側に出る必要があり、そこで誰かに声をかけられるのも煩わしい気がした。

 自意識過剰かもしれないが……

 去年は文化祭も欠席したので、こんな夜更けにこの場所からの景色を見るのは初めてだ。

 まぁ、私が今いるこの場所から見下ろせるのは明かりの消された教室の窓と薄暗い中庭くらいだけれど。


ギィィ


 突然、後ろから聞こえる喧騒に紛れて、耳障りな音が直ぐ近くに響いた。

 時間や景色が違うからか、私は久しぶりに身構えた。

 身体を抱き締めるように縮こまる。

 屋上の扉が開かれた音だった。


「居る気がした」


 けれど、直ぐに聞こえてきた笑みを含んだその声に、私は弾かれたように振り返った。


(……ソータ)


 闇の中でも聞き違える事はなく、そこには見慣れた姿が立っていた。


「なんか、久しぶりだな、シイナが其処に立ってんの」


『星が見えたから』


 躊躇いなく、こちらへと向かって来る彼の手には、何やら複数の袋。

 立ったままの私をほったらかして、いつもの席へとドカッと腰を下ろす。


「あー、疲れたっ!」


『後夜祭出ないの?』


「出ないよ」


 袋を投げ出し、デッキチェアで手足を伸ばす彼へと問えば、さも当たり前のようにそう返って来た。


『あ、そう』


 何をするでもなく突っ立っていた私も、糸で引かれるように空いている席へと引き寄せられ、座る。


「ちゃんと出てたんだな、文化祭」


 椅子と椅子との間は大体一メートルくらいある。

 その距離を埋めるようにソータの手が伸びてくる。

 暗闇の中でも判る温もりを帯びた掌は、迷うことなく私の頭へと届いた。

 それだけで、ソータが私よりも背が高い事を感じさせる。


「エライエライ」


 掠めるように優しく頭のてっぺんの髪がくしゃりと乱される。

 ソータに物理的に接触されるのは初めてだった。

 不思議と私は身を強張らせたり、避けたりしなかった。


『馬鹿にしてる?』


「してない」


『いや、完全にしてる』


「してないって、ほらっ、ご褒美!」


 誤魔化すように声を跳ねさせ、持ってきた袋から私に向けて差し出したのは、たこ焼きが詰まったパックだった。


「ヤキソバもあるぜぃ」


 何故かしたり顔で、ソータは袋からパックを複数取り出す。


「それから……ほいっ!」


 更にと差し出されたのはキラリと光を反射させる瓶。

 世間のエコの声のせいか、それはもう硝子ではないけれど、独特なフォルムは見違う事無くラムネだった。


「打ち上げしよーぜ!」


 目の前にチラつかせた輝く青みがかった瓶を、わざわざ一度引っ込めて、蓋を開けてから再度差し出してくれる。

 その特有の開け方を私は覚えていなかったから、正直助かった。


『……ありがと』


 炭酸が噴き出さぬように上手に開けられたラムネは、秋が深まったこの時期には少し冷たい。

 でも、遠くで焚かれたキャンプファイアのせいか、僅かに火照った喉には心地好い冷たさ。


「乾杯!」


『……乾杯』


 声に一拍遅れてぶつけられたラムネ瓶は、硝子じゃないから景気良い音は鳴らなかった。

 ソータは、持ってきたたこ焼と焼そばを食べやすいよう蓋を開けて、テーブル代わりのラックに並べる。

 割り箸は二膳。

 ラムネも二本。

 それらは間違いなく私なんかの為に用意されている。

 そんな状況はなんか新鮮で、こそばゆい感じで……でも、悪い気はしなかった。


「ねぇ?シイナってさ」


 二人で大して上手ではない屋台の食べ物を食べて、ラムネを啜っていると、ソータが思い出したように口を開いた。


「朝っ…ふわぁ~あ…早く起きんの平気な人?」


 開きかけた口は、そのまま盛大な欠伸によって遮られた。


(改まった感じだったのに、一体なんだったんだ……)


 相変わらずと言えば相変わらずなソータの突拍子の無さに、私は肩を竦めた。


『別に平気。起きようと思えば起きれるし、寝てようと思えば寝てられる』


「んー……俺はダメだー。眠いぃー」


 聞いたくせに、答えなどどうでもよかったように、ソータはズルズルと椅子に崩れていく。


(じゃあ帰ればいいのに……ホントにまったく、なんなんだ……)


 腹の底から溜め息を吐いて、ラムネを飲み干した。

 とうとう後夜祭もお開きになるようだ。

 明るかった背後が、祭りの後特有の弱々しい灯りに変わった。

 近所迷惑上等で流されていた音楽と喧騒もしんみりとした雰囲気をもち始めている。

 覗きこんだわけではないので、後夜祭で何をやっているのか詳細は知らないが、それでも伝わってくる。

 これから各々、クラスやら部活やらで打ち上げなんかに繰り出していくのだろう。

 星を見上げて、たこ焼を頬張って、焼そばをつついている間に随分時間がたってしまったようだ。

 一人だったら、寒さに負けて今頃家で風呂にでも入っていただろう。

 ただ、なんとなく、後夜祭ですらもう終わるというのに、「帰ろう」と切り出しにくかった。

 でも、そろそろ言わないと、またソータが眠ってしまう。

 それに、下手したら施錠されてしまうかもしれない。

 結局口火を切れない私は、空になったパックを纏めることで、消極的に意志表示した。

 重ねたパックをビニール袋へ。

 ソースで汚れた割り箸は二つ折に。

 ラムネの瓶は別に捨てないといけない。

 私がソータのラムネが空になっているかを確認しようとした時だった。


『!』


 ガシリ、となんの前振れもなく腕を掴まれた。

 ソータの掌の熱が冷えた手首にじんと伝わる。

 ソータの指は長くて、私の手首をぐるりと一周包み込んでいた。


『あの……』


 突然の事に思わず身体をびくつかせてしまい、何故か罪悪感のようなものが沸き上がる。

 「まだ飲んでいたのか?」と訊こうと思ったが、持ち上げたラムネ瓶は液体の重さを感じない。


「ねぇ?シイナはさ、好きな人いる?」


 躊躇する私にかけられた突然の問い掛け。

 掴まれた腕はそのままで、混乱を加速させる。

 本来ならドキリと鼓動を高鳴らせるところなのだろう。

 なのに私は、なんだか無性に哀しい気持ちになった。


『いないよ』


 するりと唇から返答が飛び出る。

 詰まることもなく、嘘偽りない言葉が即答された。


「……俺も」


 やっと手が離される。

 熱だけが後には残された。


「俺もいない。つーか、そう言うの全然解んない」


(なんだそれ?)


 全くもってソータの訊きたい事が解らない。

 でも、先程まで強張っていた顔が、いつものへらへらした顔に戻っている事に気付いた。

 なんか変だ。とは思う。

 何かあったのかな。とも勘繰れる。

 でも、何も訊かなかった。


「さぁさ、帰りますかっと!」


 今まで自分が動かなかった癖に、飛び跳ねるように椅子から降りて、急かすように言う。


「あー、完全に後夜祭終わってるし」


『行きたかったの?』


「いんや。シイナといるとあっという間に時間がたつなって思っただけ」

 私達二人はさっさと片付けを終えると、ゴミ袋を提げ、屋上を後にした。

 後夜祭はやっぱりもう終わっているようで、校内は静まり返っている。

 この旧校舎でもいくつか催しが行われていて、いつになく人の姿があった筈だが、灯りが点いている所もない。

 そんな中を私達二人は、誰とも擦れ違う事なく歩いていく。

 私からすれば、通い慣れた道。

 例え暗くとも歩く事に困難はない。

 ソータも夜目がきくほうなのか怯む様子もなかった。


「なんか、変な感じだな」


 二階の階段の踊り場、あと少しで外に辿り着くというところで、ソータが言う。

 人気の無い夜の校舎。

 ともすれば、不気味ともとれる発言ではあるが、怖いとは思わなかった。

 ソータも別に有り体に言えば学校の怪談的なものを怖がって言ったような感じではない。


『何が?』


「シイナと屋上以外で一緒にいることが」


(ほら、やっぱり……)


 そんな事を言うのだろうと思ったが、案の定だった。

 他人をとやかく言えるような人間性はしていないが、やはりソータの感性はズレていると思う。

 そして、ソータも私がズレている事を知っているみたいで、怖くないか?とか訊いてくる事もない。

 人の姿を見る事もなく、校舎を抜け、私達は校門へと辿り着く。

 生徒達は既に帰宅したようだ。

 まぁ、家路についたかどうかまでは分からないけれど。


(島津さんは、部活の打ち上げにいったのだろうか……)


 ふとそんな事が頭を過った。


「それじゃあね」


 ソータの声に、余計な雑念は振り払われた。

 校門を出たところ、ソータは右に行くようだった。

 謀ったように私は左。

 右に行くという事は、バスか電車に乗るのだろうか。


「また、屋上で」


 私が逆の道に行くのを知っているかのように、ソータは軽くヒラヒラと手を振る。


『うん、また』


 手を振り返しはしなかったが、それだけは言った。

 ソータは、「送ってく」とか気のきいた事は言わなかった。

 別に私はそんなソータを軽蔑する事はない。

 ソータらしいな、と思うくらいだ。

 きっと私がそう言われるのを良しとしないと解ってくれているのだと思う。

 必要以上に干渉しない。

 いつの間にか、それが暗黙のルールになっていた。






 あの時、


 ソータは間違いなく


 「また」と言った。



 日付は決まっていない


 時間だって決まっていない


 それを打ち合わせる術もない



 だから、いい。


 別にいいのだけれど・・・・・・



 その日からソータは、


 当分の間


 屋上には来なかった。

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