日常想起6
10月の最後の週の土日。
中間試験を終えたと思えば、途端に校内はお祭りの空気に様変わりする。
夏休み明けから準備が進められていた文化祭の本番を迎えるのだ。
喫茶店、絵画展、フリーマーケットにお化け屋敷……
此処が本来は学生達が学問に勤しむ場所とは到底思えない景色が並んでいる。
あちらこちらから、着ぐるみやら衣装やらに身を包んだ呼び子の声が飛び交う。
高校生にもなると、飾付けも本格的で、子供騙しの紙飾り等は無く、暖簾やら看板やらも、手作りとは思えぬ造りだ。
そんな見馴れぬ景色の中を、まるでお伽の国を歩くように椎梛は歩いていた。
何処に行っていいのか判らない。何をしていいかも判らない。完全に場違いさを感じながら、挙動不審に進んでいく。
先日茜に言われた事もあって、流石に休む事も出来ず、椎梛は文化祭に参加した。
椎梛のクラスは『たまごやさん』という玉子料理ばかりを出す謎の店をやる事になり、一応はクラスの一員として、準備から椎梛も手伝っていた。
クラスの担当は、実際にはそんなに長時間ではない。勿論実行委員とかは別だろうが、大体一人二時間程度のお役目だ。何故なら、大抵の子は部活等で他の出し物との掛け持ちがあるからだ。
だから、帰宅部の椎梛は、皆より長い時間クラスの出し物に参加すると申し出た。決して好意ではない。形ばかりの作り物の偽善だ。
クラスの皆は椎梛の申し出を表面上喜び、受け入れてくれた。
それでも、昼過ぎまでひたすら卵と格闘していた椎梛は、昼食も兼ねて休憩してくるといい、と送り出されてしまった。
する事も、したい事もないのに、ぽっかりと時間が空いてしまった。
結果こうして、椎梛は目的もなくさ迷い歩いているのだった。
「よっ!」
そんな椎梛の頭を後ろから、誰かが軽く小突く。
突然の事で、椎梛は前のめりに倒れそうになった。
「おいおい、どんだけひ弱なんだよ」
自分でやった癖に、呆れたような声を出して、倒れそうになった椎梛を受け止める。
樹だった。
そんな事されるわけもない、と油断していれば、必要以上に驚いても仕方無いじゃないか。そんな思いを込めて、椎梛は樹を睨めあげた。
「ちゃんと来てたんだな、えらいえらい」
椎梛の視線を軽く受け流して樹は笑う。
馴れない褒め言葉に、居心地の悪さを感じた。
椎梛は樹とこうして顔を合わせるのは久しぶりだった。先日本家での法事で顔を合わせて以来、避けていた。
法事の際の気まずげな樹の表情は、椎梛に嫌いじゃなくても避けたくなる程の罪悪感を感じさせた。
『ただの気まぐれだよ』
「ほぉ、そりゃ良い傾向だ」
だが、やはりこうして顔を合わせると出てくるのは憎まれ口ばかりだ。
同時に、樹のあっけらかんとした調子が、椎梛の胸の中の蟠りを見失わせる。
「で?何してんだ?」
『休憩中』
「そんなら、飯でも食え」
所在無げにしている椎梛をみかねたのか、はたまた催しに参加した褒美か、樹は小銭を取り出す。
その時だった。
「朝比奈さん?」
またしても珍しく椎梛を呼ぶ声。
「おぉ、島津か」
「橋坂先生、どうしたんですか?朝比奈さん、具合悪いんですか?」
直ぐ近くの教室から出てきた茜が、養護教諭と話す椎梛の姿に気付き声をかけてきた。
椎梛は途端に先程までの砕けた雰囲気を引き締める。表情を堅くする。
「いや、違うよ。休憩中だっていうから、少し話してたんだ」
「あ、そっか、橋坂先生と朝比奈さんって……」
「あぁ、叔父と姪だよ」
いつもは大抵人の輪の中にいる茜が、今は珍しく一人だった。
「そうでしたよね」
「この子は昔から身体が弱かったから、両親が私がいる学校に寄越したんだよ」
椎梛も素の状態とは大分違うが、樹のほうも随分と口調が違う。明らかに猫を被っている。
なんだかんだ言っていても、似た者同士と言うことなのだろう。
「良かったぁ、私が無理矢理朝比奈さんを文化祭に誘っちゃったから、具合が悪くなっちゃったのかなって……心配しちゃいました」
「そうなのか?」
茜に誘われて椎梛が出席したという話が意外で、樹は椎梛をまじまじと見る。
『…………』
椎梛は黙ったまま、首すら振らなかった。
「それより、島津こそどうした?一人でいるなんて珍しいじゃないか……」
椎梛の頑なな態度に、樹は溜め息を飲み込んで話を変える。
「皆丁度部の応援とか、クラスの係の時間で……だから一人で見て回ってたんです」
「ほぉ、だったら丁度いい。こいつをどっか連れてってやってくれないか?」
樹は意地の悪い笑みを浮かべ、思い付きましたとばかりにそう言った。
椎梛はギョッとする。
確かに何をしてよいか戸惑ってはいたが、誰かとわいわい騒ぎたいとは微塵も思っていなかった。ましてや、気さくで明るい茜と一緒にいるなんて……気を遣って仕方がない。
「勿論、いいですよ」
だが、先生から直々に頼まれれば、茜が断る筈もなかった。
椎梛も、「迷惑だ」なんて言えよう筈もない。
それらを理解した上で、樹はそう言ったのだった。
「ねぇ、朝比奈さんはご飯食べた?」
『え?……ううん、まだだよ』
事の発端を画策した当の樹は、とっとと自分の巣である保健室へと去っていってしまった。
その状況で、今更「迷惑じゃない?」とか訊ねるのも逆に悪い気がして、椎梛は大人しく付き従った。
「それじゃあ、オススメがあるんだけど、行っていいかな?」
「う、うん」
茜はさして気にした様子もなく、なんでも無い出来事とばかりに学園祭パンフレットを開いて、廊下を進む。
茜が椎梛と違って日頃からきちんと周囲に馴染んでいる事を示すかのように、先程から何回か声をかけられている。その誰もが椎梛の知らない生徒だった。
椎梛の承諾を取り付けた茜は、廊下を抜け、階段を下り、昇降口を経由して校庭へと向かった。
校庭には各部の催しが行われているテントが軒を並べていた。たこ焼きやら、クレープやらを各々手にした人が細い通路を潰すように人混みを形成している。
椎梛の学校の制服を着ている人もいれば、私服の人、近隣に住む子供の姿や他校の制服の人もいる。
普段は絶対近付く事は無い人間の波に、椎梛は思わず二の足を踏む。ぐっと息が詰まり、思わず顔がひきつった。
「こっちこっち!」
すっかりお祭り気分なのか、茜は椎梛の些細な嫌悪には気付かなかった。
馴れた様子で人の間をすり抜けていく。
これはなんの罰ゲームなのだろう、と思いつつ、椎梛は意を決して暑苦しい喧騒に飛び込んだ。
「ホットドッグ、2つ!」
茜が立ち止まったのは一店の模擬店の前だった。水色と黄色を基調としたその小さな屋台には、でかでかと「ホットドッグ」と書かれている。
「はい、毎度!ってマネージャーじゃん」
屋台の向こう側から顔を覗かせたのは知った顔だった。
椎梛の前の席、クラスメイトの岡崎明斗だった。
「あれ?朝比奈さん?ははぁ、さては島津、無理矢理連れてきたな?」
「違うよ!ちゃんといいよって言ってもらったもん」
茜は愛らしく口先を尖らせ怒った素振りをしてみせると、「ね?」と同意を求めてくる。
屋台の外装になんとなく目をやっていた椎梛は慌て、「うん」と肯定した。
「とか言って、ちゃっかり自分とこの売上に貢献してんじゃんか!」
尚も明斗はからかうように言う。
「そりゃ、マネージャーとして当たり前?でしょ」
よくある、模範的な学生のやり取りなのだろうが、椎梛からすれば上辺を撫でているみたいな台詞に聞こえ、少しばかり煩わしく感じる。
『えっと……はい、百円』
踵を返したい衝動を抑え、椎梛は然り気無く会話の輪を外れ、小銭を差し出した。
「お、まいどあり!じゃあ、ちょっと待ってて、飲み物サービスするからさ」
明斗は話の腰を折られた事には気付かずに、背を向けた。
すると、明斗が離れたのを見計らって、茜は「なんか、ごめんね」と苦笑を浮かべ声をかけてくる。
『あ、ううん……えっと、島津さんて違う部活じゃなかったっけ?』
椎梛はそんな茜の気遣いですら見せ付けられているような気がしてしまう。
ただ笑って、「気にしてないよ」、「楽しいよ」とか言えばいいだけなのに、逃げるように話題を変える。それがお茶を濁してるとも気付かずに。
「あ、うん。そうだったんだけど……」
椎梛のただ話を逸らしたかっただけの何気無い問いに、茜は視線を游がす。然り気無く、茜の両手が自身を掻き抱くように組まれた。
椎梛はマズイと反射的に思った。
溌剌とした茜の性格、その上体育委員なんかを率先してやっていた事から、椎梛は茜が運動部に選手として所属していると思っていた。
それが実はマネージャーだったと聞いて、記憶との相違に何と無く訊いただけだった。
「テニス部だったんだけど……その……運動好きだから始めただけで……テニスずっとやっていたわけでもなかったし……」
いかに取り繕おうかと、内心焦る椎梛には気づかずに、茜は言い訳するように言葉を探す。
よくよく考えれば、身体を動かすのが好きそうな彼女が部活を途中で辞めるという事は余程の事があった故なのかもしれない。
怪我をしてしまったとか、先輩に虐められたとか……
ましてや椎梛の学校にはスポーツ推薦なるものがある。もし彼女がその枠で入学して夢半ばで頓挫していたとしたら……
焦った椎梛の頭の中では、小さな失言は致命的な失態になりつつあり、はては茜が怒って敵視するようになってしまったらどうしよう、などという過大な危惧までし始めていた。
だが……
「俺が誘ったんだよ。前のマネージャーが三年で引退しちゃったからさ」
ひょこりと二人の間から顔を出した明斗の一言でガラリと空気が変わった。
『そ、そうなんだ』
「うん、あ、はいジュース」
明斗はなんでもない事のように言う。
茜はというと、別に助け船が来て良かったという顔をしているわけでもない。
明斗と茜はそんなに仲が良かっただろうか、と少し違和感を感じたものの、椎梛は余計な言葉を慎んだ。
椎梛にとっては実際の事などどうでも良かったので、ただ変な空気が崩れた事にほっとしていた。
「はい、ホットドック二つ、お待たせしました」
するとまるで空気が緩和したタイミングをはかったように注文の品が出てきた。
「あ、要くん……」
明斗とは別にもう一人店番としていたらしい男子が、湯気たつホットドックを差し出している。
彼も茜や明斗と同じ部活なのだろうが、今まで会話に入ってくる様子も無かった。
「あ、そうだ。島津、お前今日終わった後打ち上げやるからな、来いよ?」
もう一人の彼からホットドックを受け取り、早々に立ち去りたい椎梛の横で、またしても会話が始まってしまう。
「打ち上げ?」
「あぁ、うちの部の連中で駅前のカラオケでやっから」
「そうなんだ……クラスのほうはどうしよ?」
何やらまだ時間がかかりそうな雰囲気だ。
このままここで買った品を口にすべきか、椎梛は迷う。
茜は、自然にホットドックを口にしている。
「うちのクラスはなんもしないんだろ?」
「うん、まぁ……でもさっちゃんとかと細やかにやろっかって言ってたんだよね」
普通なら、立ったまま物を食べるのはあまり褒められた行為ではない。
でも、茜がすると愛らしさこそあれど、下品な感じはないから不思議だ。
椎梛は、仕方無く飲み物を啜って我慢した。
「折角なんだから来いって」
「ん~……どうしよっかな?」
明斗は半ば強引に、迷う茜に一押しする。
「頼むよ。マネージャーが来ないと華がないんだから……あっ、ほら要も来るしさ」
明斗は、それまで椎梛同様ただ見守っていたもう一人の彼に肩を組むようにして、茜を口説きにかかる。
「え?あぁ、島津さんもおいでよ?」
巻き込まれた彼は、戸惑いこそしたものの、嫌な顔はせずに、明斗に賛同してみせた。
「……うん、じゃぁ、行くね」
渋っていた茜も、流石に二対一は分が悪いと思ったのか、了承する。
「それじゃあ、また後で。二人共店番頑張ってね」
やっと話がついたところで、茜は隣で椎梛が手持ちぶさたにしている事を思い出した。
逃げるようにそう言って、二人に手を振る。
便乗するように椎梛も二人に会釈して、踵を返した。
「ごめんね、待たせちゃって」
店を少し離れた所ですかさず茜は謝罪する。
椎梛はいつも通り全然気にしていないと笑って見せる。
だが本音を言えば、待たされた事自体はどうでも良かったが、手元のホットドックの湯気がすっかり消えてしまった事は、少しだけ残念だった。
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