転換






     昨日までの日常が


     必ずしも


     明日も来るとは限らない






Scene6


 中間試験が間近に迫った頃から、以前にも増してソータは屋上に現れるようになった。

 私は、ここのところ珍しくも予定が嵩んでいて、あまり屋上にも、学校にすら来ていなかった。

 だが、私が居ない間にもソータが屋上に来ていた痕跡があった。

 だから、私達が久しぶりに顔を合わせた時には、まるで彼のほうが先住民であるかのようなそんな錯覚に陥った。


「久しぶり」


『うん』


 私が屋上へと踏み込むと、ソータは既にそこにいた。

 彼が持ち込んだ例のデッキチェアに座り、今日はコーラを飲んでいる。


「今日二本買ってきてねぇや」


 「ゴメン」と彼は軽く苦笑する。

 きっと、以前の「次は炭酸」云々を覚えていて、何度か買ってきてくれていたのだろう。だが、一向に姿を見せない私に、無駄に小銭を消費するのを止めたのだろう。

 悪いのは、私のほうだ。


「最近、来なかったね」


 目線で空いているもう一つの席を勧めて、ポツリと呟く。

 言葉はそれ以上続けない。「どうして?」とは訊いてこない。


『ちょっと家の用事があって、学校も休んでた』


 ソータは、私が何も告げずに顔を見せなかった事を責めている訳ではない。

 底抜けにお人好しな彼が、そんな事をしないのは、短い付き合いでも流石に理解出来る。

 でも、責められなければ責められないで、罪悪感を感じたりするもので……

 私は言い訳がましくそう言った。

 デッキチェアは、砂埃を被る事なく、真っ白な状態を保っていた。

 屋根は無いし、一週間程前に雨も降った。折々拭き掃除が行われていなければ、この白さは保てない。

 加えて、椅子と椅子の間にはもう一つ真新しいものが増えていた。

 以前は教室の机で賄われていた空間は、組立式のラックのようなものに変わっていた。三段のそれは、上に板があり、テーブルとしても充分使用出来る。


『これも持ってきたの?』


 私はそれまでの話の流れなどすっかり忘れて、訊ねた。

 意識はラックに持っていかれていた。


「あぁ、そーよ。近くのゴミ捨て場に落ちてた」


『へぇ~、よく見付けたね』


 廃棄物には全く見えないそれを感心して覗き込む。

 ラックは、下二段に竹籠のようなものが入っていて、中に物を収められるようになっていた。


『あ、フリースはここに入ってるんだ』


「…………」


 この間椅子に敷いてくれていた布は其所に畳んで収納されている。

 下の段には、青いビニールシートと雑巾らしき布。

 どうやら、帰る時にこのシートを雨避けにかけ、定期的に雑巾で拭き、綺麗な状態を保ってくれていたらしい。


『なるほど、名案だね。スゴイじゃん』


「…………」


 一人だったら思い付く事は決して無かっただろう設備に私は手放しで感嘆した。

 一頻り見て、ふと気付く。隣にいるはずのソータが何も言わなくなった事に。

 また寝てしまったのかな、と思いつつも顔をあげると……

 ソータは元々パッチリとした目を限界まで見開いて固まっていた。


『な、何……?』


「……いや、なんかあった?」


 やっとフリーズから脱したかと思えば、質問に質問で返される。

 途端にここ数日の面倒で苛々した日々が思い出される。

 黒い服、表情の乏しい曖昧な顔の列、形ばかりの言葉。

 取り繕った祖母の顔。

 愛想笑いを浮かべ、彷徨く父。

 肩身が狭そうに端に立つ樹叔父さん。


『なんで……?』


 再び跳んだ疑問符。

 「なんでそう思った?」「なんで気付いた?」

 その三文字の続きをどう紡ごうと思ったのか判らないが、私の口を突いて出たのはその言葉だった。

 でも、返ってきたのは全く意図しない言葉だった。


「褒められると思わなかった……絶対呆れるかと」


『何ソレ?』


 ソータは何事もなかったように吹き出して、何事もなかったように笑った。


「だって、シイナが褒めてくれたの初めてじゃん、なんか心境の変化かなーって」


 くつくつと肩を揺らす彼を見ていると、余計で薄暗い頭の中の景色は勝手に吹き飛ぶ。

 全て無かった事のように消えて無くなる。


「ぜってぇ怒られると思って、俺ちょっとビクついてたのに」


『そりゃ、流石にここまで徹底的にやられたらね、呆れなんて吹き飛んだよ』


 私は笑えなかったけれど、ひきつっていた口元は直った。


「あー、今の録音しておけば良かった」


『止めろ』


 無二な会話が再び屋上に戻ってきた。


『見付かったら、シラきるから』


「えー、なんでよ!!共犯じゃん、一緒にゴメンナサイしよーぜ!」


『ゴメンじゃ済まないでしょ?』


「そーかな?」


『当たり前』


「じゃあ今から対策考えとくかな」


『そうだね』


 何の得にも、損にもならないような言葉を交わして……

 様変りした、ふたりぼっちの世界で……

 周りの時間を無視して、全て忘れて、無二な時間を過ごす。


「そういや、文化祭さー……」


 いつの間にか話題を変えて、コーラを飲んだソータの左腕には、前には無かった大きな痣があった。






 私はこの時、知らなかった。


 気付かなかった。


 ソータが創った世界に溺れて。


 小さな箱庭が全てと思って。


 もう何も見ない。


 何もいらない、と。


 いつの間にか、


 逃げるのを止めて、


 投げ出してしまっていたんだ。


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