流動
いくら
その場に留まろうとも
阻まれ
前に進めずとも
気が付けば
未来に流されている
私は彼のことを知らない。
識ってはいても、知らない。
私達はただ狭い空間の上でだけ存在し、
その場だけで互いを見、
言葉を交わす。
それでいい。
それ以上はいらない。
そう思っていたのに……
段々とあの場所だけが、
私達の総てになっていった。
Scene5
夏休みは最悪だった。
暑いばかりで、する事は無く、時間も無駄にダラダラと過ぎていった。
私は特に予定と言える程の事も無くて、図書館との往復をして過ごした。
あっという間と言えばあっという間。
でも、平坦で色味の無い毎日を過ごすより何倍も心は削られた。
だから、始業式は気分も機嫌も悪かった。
体育館で校長の話を聞く気には到底なれない。
ならばと、荷物を持ったまま、屋上へと逃げ出す。
(これなら、家に居るのと大差ないかもしんないな……)
自分の愚行に苦笑とも自嘲ともとれる笑みを溢し、ドアノブへと手をかける。
屋外は嫌というほど晴れているのだろう。
いつもはじっとりと暗い踊り場ですらほの暖かく、鉄製のノブは熱いと感じる程温もっていた。
扉は以前に比べると、出入りが激しくなったせいでスムーズに開く。
陽射しに目を焼かれる事を恐れ、僅かに目を細める。
その向こうには、いつも通りの光景が――――――
「おぅっ!おっはよー」
広がって無かった。
『…………』
あまりの出来事に、思わず絶句してしまった。
「へへっ、やっと来たね。待ってましたよー」
猛烈な脱力感を感じつつ、よろよろと日の光の下へと歩み出る。
『……何やってんの?』
なんとか絞り出した声は、夏中殆ど使っていなかったせいで、掠れていた。
「リフォームですよ、リフォーム!」
自慢気に、胸を張るソータの手には、柔らかそうなフリース生地の布が握られていた。
『リフォームって……』
後れ馳せながら、呆れの溜め息が漏れる。
そして、随分と様変わりした定位置へと歩み寄った。
私が立っていた屋上の端には、プールサイドにありそうなプラスチック製の白いリクライニングが二脚据えられている。
その間にはご丁寧に教室で使う机が設置されていた。
「パラソルも必要だったかなー」
そんな事を呟きながら、ソータは手に持っていた布を椅子にかけた。
(……それはいくらなんでも目立ち過ぎでしょ)
続けざまにもう一脚にも布をかける彼に、心の中でツッコミを入れる。
声に出す気力は無かった。
ソータは布を椅子に敷き終えると、満足したのか、やっと呆れる私に気付いた。
私は、背を丸め、両手を垂らし、ジト目で彼の作業を眺めていた。
すると彼は綺麗にくるりと回転し、向かって左側の椅子の前へと移動すると、お伽噺に出てくる王子様の様な芝居がかった動きで椅子を示す。
「どうぞ、お姫様」
ふざけてやっているのだろうが、爽やかさを纏ったソータがやると、その姿は様になっていた。
そして、お嬢様と言われるのは腹がたつのに、ソータにお姫様と言われるのは不思議と頭にこなかった。
言われるがまま、席につく。
(……ん)
座り心地は悪くない。
フリース生地だから汗ばんだ肌にもベタベタ張り付かないし、リクライニングだから姿勢も楽だ。
先程まで最悪だった気分が、身体から布に吸い込まれ、椅子を伝わって、熱いコンクリートに染みこんでいく。
(不本意だけど、浮上した)
「極めつけは、コレ」
座り心地に安らぎを感じ、僅かに口元を弛めた私に、サッと差し出されたのは、やっぱりイチゴオレ。
「それで、俺はコレね」
そして彼の手にはバナナオレ。
「ってわけで、再会に乾杯!」
触れ合っても音の鳴らない紙パックは、それでもぶつかった衝撃を僅かに指先に伝える。
まだ夏は当分終わりそうない。
照り付ける太陽は、ジリジリと肌を焼く。
喉を通るイチゴオレは冷たく、甘く。
「あー、夏はやっぱ炭酸かなー」
隣のソータは、萎むくらいバナナオレを飲み干しておいてそんな事を溢している。
「炭酸いけるヒト?」
『別に平気』
「じゃあ暑い内は炭酸にするわ」
彼は呟くようにそう言って、眩しそうに目を閉じる。
きっとこのまま寝てしまうんだ。
私も真似して目を閉じてみた。
(確かに、気持ちいい……)
日焼け止めを塗ってきて良かったな、とか思いながら、日溜まりの中に身を任せる。
パラソルも必要かな。
次は炭酸にする。
彼の一言一言がまた会おうと言ってるみたいだった。
『ところでさ、これどうしたの?』
そのまま眠ってしまいたい衝動にかられ、私は慌て目を開けた。
彼は半分以上寝る体勢に入っていた。
「……ん?」
数秒の間をあけ、眩しそうに彼は僅かに顔をしかめた。
『こ・の・椅・子。どうしたの?』
耳の遠いおじいちゃんに話すように、半ば片言で、でも明確にそう言った。
すると彼は弾かれたようにパッと上体を起こす。
「やっと聞いてくれました」という反応だった。
「これさ、中学ん時の友達が夏休み中監視員のバイトしてて貰ったんだよ」
『貰ったって……』
「運ぶの結構大変だったんだよー」
あっさりと突拍子もない返答を返され、私が呆れているのも気付かず、彼は誇らしげにしていた。
「夏休み中の部活終わりに、一人でこっそり運んだんだぜー」
『ここまで?』
「そーよ。苦労したんよー。まっ、折り畳み式だからそんな大変じゃないんだけどねー」
ソータは悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて、ニヤリと笑い、再び目を閉じた。
(まぁ、いいか……)
見付かる事等ちっとも危惧していない様子のソータに、私も余計な心配をするのは止めた。
「シイナは夏休みどうしてた?」
閉じた瞼の向こう側から、ソータの声が聞こえる。
半ば夢心地のような声。
きっと彼も目を閉じてるのだろう。
『……何も』
答えつつも、頭を過る光景。
目を固く閉じ、暑い陽射しに身を預け、余計な記憶を振り払った。
「そっか」
私の機微等気にせず、彼はそう言ってくれる。
「俺はねー……」
彼は言いかけ、私と同じように僅かに考え、
「……俺も何も無かったかな?」
少しだけ、らしくもなく声を沈ませて、そう言った。
だから私は彼と同じように、
『そっか』
と返した。
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