第3話 邂逅

目が覚めたとき、今度こそ夜だと確信した。窓の外にある、外灯の光や他所の家の明かりが差し込んでいたからだ。ぼんやりと、光差す窓を眺めていたら、何かが窓に貼り付いていることに気付いた。サメ?魚?何の?観察していて分かったことは、口を吸盤代わりに窓に貼り付いているようだ。形はサメに似ているが違うだろう、以前ホームセンターで見たことがある、プレコという魚の仲間ではないか。夕方、するりと入ってきたのは彼(彼女)だったのかもしれない。とうとう幻覚まで見るようになってしまったか、私は。

もう22時だ、明日はお仕事だから、睡眠薬を飲んで寝てしまおう。寝てしまえば、大概のことは遠い昔の話のように、なんてことのない事象になっているだろう。


しかし、こういうときに限って薬は効かない。どうにも窓の魚が気になって仕方がなかった。起き上がり、意を決して近づいてみる。逃げるか消えるかだろうとの期待を裏切り、魚は動かない。きろり、とこちらに目を向けた。「あなた、何?なんでうちにいるの。」魚に話しかける自分が阿呆のように感じられる。そもそも幻覚かもしれない上に、なぜ言語が通じる前提でコミュニケーションを図ろうとしているのか。自らの異常性を際立たせるような状況に、体も頭も重く感じられる。どうしたらいいんだろう、本当に。


「君こそ誰、ここは君の巣なの」


魚が喋った。いや、口は窓に貼り付いた吸盤だ、正確には思考を送ってきたのだ。返答が来たことに戸惑いつつも、私は答える。


「私はチヨミ。比良坂チヨミ。ここは私の部屋で、あなたが勝手に入ったの。名乗るべきだし、挨拶くらいしたらと思うんだけど」


下に見られたら何をされるかわからない。魚の目を見据えて、強い口調で言い返した。魚は答えない。2人で見つめ合ったまま、時計の秒針の音がカチカチと部屋に響くのを聴いていた。外を車が通ったらしい、窓にライトが一瞬差し込む。ようやく魚が語り始めた。


「やはり君の巣か、ごめんね勝手に入って。名前って何?こんばんは。」


変な答え方だな、と思った。そうか、最後に挨拶くらいしたら?と私が言ったから、「こんばんは」と最後に言ったのか。なるほど。


「名前っていうのはね、私だったらチヨミ。無かったら、呼ぶときに不便でしょう?君のことはなんてよべばいいの?」

「君はチヨミと呼べばいいのか、でも僕は僕で、呼ばれたこともないし、このように僕以外の存在と関わったこともない。なぜ君はぼくをしったのだろう。わからない、すきに呼べばいいと思う。」


要するに、このサカナは人間と関わったことはないのか。私だから、人の気づかないものを見てしまうから、出会ってしまったのだ。「サカナ」と呼ぶのもさすがに無粋だ、とはいえ適切な名前がすぐ浮かぶほど、名前というものに興味もない。


「普通の人間とは違うらしいよ、私。だから君を見つけたんだと思う。名前、思いつかないからしばらく『君』って呼ぶよ。」

「チヨミは『人間』という生き物なんだね。たくさん歩いてるのは知ってたよ。ここは人間の領域なんだね。ちょっと、その長いところにくっついていい?」


そういうと、サカナは私の腕にくっついた。吸盤がかすかに皮膚をはんでいるのかこそばゆい。


「暖かいんだね、人間て。それともチヨミだけ?柔らかいし結構好きなんだけど、いてもいい?」


サカナはひんやりしていた。思っていたより心地よく、何より誰かと共にいるという事実が、心にほのかな明かりを灯した。「くっついてなよ、そのかわり布団にいくからね。」と伝えると、素直に貼りついたまま一緒に横たわった。サカナは寝ていても目蓋を閉じない。寝てるんだか私を観察しているんだか分からないが、独りじゃない寝床が新鮮だった。薬を飲んでも寝られないのに、すんなり夢の中に落ちていった。

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