クリスマスまでそばにいて

月波結

◇◇◇

 今年のイヴはいつもより人も疎らだ。

 なにしろ『三密』を避けなくちゃいけない。

 駅前の大きなクリスマスツリーは約束を交わした恋人たちのシンボル。今年は金色と赤がメインカラーで、暖かさと親しみを感じる。

 18時になると電飾が一斉にライトアップされて、ラッパを吹く天使や、プレゼントの小さな小箱などのオーナメントが目に入る。アットホームなクリスマス。サンタさんがもしかしたらその白いおひげにマスクをつけて、手袋をつけた手でプレゼントを配るのかもしれない……なんてね、意地の悪い妄想だ。

 クリスマスツリーの真正面にあるカフェはビルの三階。ツリーの前で待ち合わせるひとたちが手を取るようによく見える。「お待たせ」、「待った?」。

 みんなそれぞれの腕になにかしらの荷物を提げて、恋人に会いに来る。

 中身は何かしら?

 中には指輪が入ってたりするのかもしれない。手作りのクリスマスケーキや、腕時計。

 いいなぁ、わくわくする。

 この店に来てもうかれこれ一時間。これでも約束をしている身だ。

 彼は時間にだらしないし、きっと出かける時に靴下の片方が見つからなくなったりしてる。だから約束通りに来るなんて、最初から期待していない。今日もそんなふうに、出かけにエアコンをうっかり消し忘れたのを思い出したりしたんだろう。

 あのクリスマスツリーの前にわたしもいい加減立つ頃合かもしれない。両手を前に、小ぶりの紙バッグを持って、手袋をはめた手を振る準備をするにはちょっと遅くなっちゃったかもしれない。

 でもまだ彼は来てないし、二杯目のカフェラテは熱くて飲みきらないしもう少ししてから店を出よう。たまには『待たせる』っていうのもありだからね。


 突然バイトをするなんて言い出したのは先月のことだ。

「少しは小遣い分くらい働きなよ」とお坊ちゃん育ちの彼を蹴飛ばし続けていたのに、いままでは一向にその気配はなかった。

 ふと、思う。

 来月はクリスマスだ。そうだよ、親からもらってるお金じゃなくて、自分で働いたお金で買ってもらったプレゼントはずっとうれしいに決まってる。そうだよ、小洒落たレストランを予約してくれた去年のクリスマスもうれしかったけど、彼もきっと気がついたんだ!

「なんの仕事するの?」

「派遣で毎回いろんなことするみたい。同じとこで働くのもありらしいけど」

「派遣かぁ。一日ずつこつこつ働くのもいいよね。うん、いいと思う」

 彼はなぜかそんなに褒めたのにきょとんとした顔をしていた。自分でということにまだ実感が持てないのかもしれないと、そう思った。


 彼のいない週末はつまらなくて、わたしもデパートの催事場でお歳暮とお年始の贈答品を発送する受付を始めた。

 そういうところに来るお客様はいまでも『贈答品文化』に住んでいるだけあって、品のいいお客様が多かった。中には「素敵なマスクですね」と言うと「百パーセントシルクなのよ」と仰天発言をするおばさまもいた。

 このご時世、贈答品も少なく、街に出る人も、デパートに来る人も少なく、まったくいい職場だった。

 ふとした瞬間に「和典かずのりは今日はどんなバイトしてるのかなぁ」とボールペン片手に考えた。

 やっぱり身を粉にして、手を汚して働く彼を想像するのは難しかった。


 プレゼントはなににしよう?

 せっかくデパートで働いてるんだから、勤め先に還元の意味も込めてなにか小さくて高価なものなんてどうかなぁと思いついた。

 バイト先のおばさんに相談すると、男の人にあげるの、とひとしきりからかわれて、カフスボタンやネクタイピンが無難だけど、まだ若いんだからもっとくだけたものがいいわよ、とアドバイスをもらった。

 確かにくだけたものの方が、もらった方も気が楽かもしれないと、連日バイト帰りにデパートをぐるぐる回っていた。男の人へのプレゼントは難しいってよく言うけど、これは難敵だ。

 去年はなんとなく、牛革のブランド物のキーホルダーをあげてしまった。彼はお金持ちだと知っていたし、なんでも持ってるらしいと知っていたから。

 マフラーなんて言外だ。雑誌に載ってるような、びっくりしちゃう値段のものをなんとなく巻いている。その姿もあまりにと言わんばかりなので時々立ち止まって巻き直してあげる。和典とつき合って、わたしのマフラーを巻く技術はみるみる上達した。


 あーあ、なにを買えば……。


 デパートの入口のひとつのショーウィンドウに、若者向けの宝飾品が飾られていた。値札の桁を数える。プラチナじゃなければ、五桁。一万円ちょっとでリングが買える。

 わたしもやっぱり口うるさくても女の子枠に入っていたらしく、なんだか胸がきゅんとした。

 ――ペアリング。

 ベタだけど、一度はもらってみたい。もちろん彼の分はわたしが出すし、両方買ってもらおうなんておこがましい気持ちはなかった。

 その、繊細にねじれて散りばめられた小さなダイヤの一粒一粒がその時はわたしたちの思い出のひとつひとつのように見えた。

 店内を覗くと、コートにマフラーのカップルが手なんか繋いじゃってショーケースを覗いている。指をさして、明るい照明の上からかぶさるようにリングを見ている。

 ダメだ。

 これは普段、怖いものなしのわたしでも到底入れない。すっと知らない顔をしようとした時……。

「もしかして、リングをお探しですかぁ?」

 店員に運悪く見つかってしまった。

「素敵だな、と思って」

「素敵ですよね? もしかしてクリスマスプレゼントですかぁ?」

「いえ、いま偶然通りかかって」

「彼氏さんは今日はお仕事かなんかですかぁ?」

「あー、はい。仕事で」

「よくそういうお客さんもいらっしゃいますよ。男の人って、『お前の好きな物にしろよ』的なところ、ありますよねぇ」

 ないない。あれに限ってはない。

 第一、プレゼントが決まってるからこそのアルバイトに違いないし。

 ……どうしよう。目がリングに釘付けになっちゃう。なんであんなに輝いてるんだろう? クリスマス限定? うわー、すごいロマンティックな造り。

「つけてみますぅ?」

 お姉さんはそうして欲しかったんだろう。にっこり、かわいく微笑んだ。すみません、と断ってそそくさと店を出た。

 あー、あんなものを欲しがるなんて気が知れないと思ってたけど……年頃だからなのかな? ハタチも過ぎたし。

 もちろん周りはわたしと和典がつき合ってることは知ってる。いまさらペアリングを見せつける必要もないんだけど。

 これはなんて名前をつけたらいい感情なんだろう?


亜依あい

 振り返るとクラスでいちばん仲のいい翔子ちゃんだった。

「椿森くん、元気?」

「元気だよ。同じ講義取ってるでしょう?」

「ひとの彼氏だもん。いちいちチェックしないって」

 図書館前の陽だまりは午後すぐには暖かくて、入口の階段にみんな思い思いに座っていた。わたしたちも飲み物を買って、日向ぼっこをすることになった。

「あのさぁ」

「なに?」

「あのさぁ、亜依、怒らないでよ? 言おうか迷ったし、言い出したのは佐知だから」

「ふぅん。なんの話」

 翔子はごくんとカフェオレで口を湿らせて、覚悟を決めているようだ。そんなに大事なのかな、とちょっと不安になる。

「あのさぁ、佐知がね、見たんだって。亜依がバイトしてるデパートの一階にあるスタバのテラス席で、日曜日の夕方、お互いコート着たまま椿森くんが知らない女の子と一緒に座ってたって。わたしの聞いたのはこれだけだよ! 詳しいことは佐知に聞いて!」

 ふぅん。

 最初の感想はそれだった。ふぅん。

 その頃わたしはなにをしてたっけ? そうだ、あの店で長々とリングを。

 もしかしたら、だけど、和典はわたしの仕事が終わるのを待ってたのかもしれない。なんの連絡もなかったけど、ぼんやりしたひとだから。あのビルの入口がいくつあるのかも考えなかったのかもしれない。おバカさんだ。

 もちろん、浮気だとしても。

「情報ありがとう。佐知によろしく」

 ペアリングどころか、プレゼントさえ怪しくなってきた。


 和典はその日の帰りも何食わぬ顔で待ち合わせ場所に来て、手を振った。

 育ちがいいせいなのかそういうところは品がいいんだけど、マスクをしてると顔半分が見えない分、少し情けない。

 ふたりでイルミネーションに包まれた通りを歩いて、ぶらっとウインドーショッピングをする。あのブランドのあの上着いいよね、とか、新シリーズ出たんだね、とか。

 手袋をしっかりした手はそこからは温もりを感じなくてちょっと残念な気持ちになる。わたしより基礎体温の高い和典の温もりがすきなんだ。

「バイト、どう?」

「亜依は?」

「わたしは楽々。おばさまたちに囲まれてにこにこしてればお金になるんだもん、楽勝。和典は?」

「ピッキングってやつをやったんだけど、忙しくて僕にはあんまり合わない気がするから、次はいちばん楽ってやつやってみようかなって」

「なにそれ?」

「宅配便を届けるのに車を停めるでしょう? 運転手がいないと駐禁取られるけど、助手席に誰か乗ってれば駐禁取られないんだって。だからなにもしないで横に座ってるだけのバイトなんだって」

 相変わらず頭の上にタンポポが揺れてる。一生懸命やるってことに、興味が持てないんだなぁ。でもなにもしないよりマシだし。

「そっかぁ、がんばってるんだね」

「まぁね」

 すぐそばにあの宝飾店はあったけど、案内する気になれなかった。


 ところがわたしはこう見えて疑い深い女で、月曜から金曜までは毎日会ってほしいと懇願した。急な態度の変化に彼は「どうしたの?」と聞いてきたけれど「近くでチカンが出たらしくて怖いの」とベタな理由をつけた。

 和典はものすごく同情的な顔をして「一緒にいるから大丈夫だよ」と言った。そもそもその女の子とは週末しか会わないのかもしれない。それでも堤防はないよりあった方がいい。保険をかけた。

 土日はわたしもバイトなので、どうしようもなかった。


「まだありますよぉ、一番人気の商品。こちらが気になってるんじゃないですかぁ?」

「えーと……まあ」

「つけてみましょうよ。指輪だってつけてみないとお指に似合うかわからないものなんですよ」

 そんなものなのかな、と思いつつ、人生初のリングを試着する。お姉さんはガラス戸を開くとリングを器用にふたつ、出してくれた。

「ご試着するのはこちらですね。こちらは一応、メンズなんです。彼氏さん、いらしてませんが参考までに」

 ふふふ、と彼女は笑った。

 その指輪はピカピカのピンクゴールドで、肌なじみがすごく良い色をしていた。指にはめると、まるで自分のもののようにするりと入った。細かい装飾は指をいつもより細く見せてくれた。

「こちらは女性にはピンクサファイア、男性にはブルーサファイアがあしらわれてるんです。ちょっとオシャレですよね。それで当店でも大人気で」

「そんなに売れるんですか?」

「いえいえ、そんなにってほどではないですけど、お取置きもできます」

 そうですか……と考える。いっそひとりで二本買って分けるというのはありだろうか?

 それもいいような気がしてくる。

「近くで働いてるんでまた来ます」

 とりあえず、店を出た。


 わたしが使ってるのはデパートの真ん中辺りの入口で、スタバがあるのはビルの角だ。

 リングを見た熱気が店を出て冷たい空気に晒されたあと、しゅんと心を現実に戻した。

 まさかそんなこと。

 先週に引き続き、今週もなんて芸がないことを。


 コートのポケットに両手を入れて、少し猫背になって歩いていく。その店の前を当たり前のように歩くように。

 ――いた。

 和典はいつも通りの格好で、椅子にもたれてご機嫌そうだ。彼女は、明らかに年下という風情で、くすんだピンクのコートには茶色いファーがついていた。絶対ストレートパーマをかけてるに違いないサラサラな髪が、彼女の清楚さを際立たせていた。

 ……あれは真性のお嬢様だ。和典と同じランク。わたしには手の届かない。


 なにをやってるんだろう、わたし。

 物陰からずっと見てたのか、立ち仕事だった足が冷えて悲鳴を上げていた。

 和典は身振り手振りを織り交ぜて、彼女になにか面白い話を伝えようとしているようだった。


「今週はなんの仕事だったの?」

「あ! 亜依の仕事に近いのだった。贈答品のお菓子の検品」

「本当だね。うちの店にも和典が検品した商品が来るかもしれないね」

 弾んでるように聞こえる会話はちっとも弾んでいない、英語の定型文のようなものだった。風が強くてガサガサと音を立てて枯葉が飛んだ。和典が目を瞑って顔を背ける。砂が舞う。

「どこかの店に入らない? コーヒーでも飲もうよ」

 なんの意味もない言葉だったに違いない。だけどわたしは。

「友達に聞いたんだけど、この通りの先に紅茶の専門店ができたんだって。静かでいい店だって言ってたの。ちょっと歩くけどそこに行かない?」

 品の良い彼は喜んだ。普段は『節制』しか口にしないわたしが品の良い店を選ぶ。それは彼にはずいぶん好ましいことのようだった。ただ、彼とを飲みたくなかった。

「歩くと寒いかな?」と聞くと「路地入ったところだから大丈夫でしょう」と言った。

 彼の手は、艶のあるラム皮の手袋で北風から守られていた。わたしも今年は奮発して彼に合うものを、と思ったけど、売り場に行ったら一万円程度でとても自分用に買えないと思ってUターンしてきてしまった。

 格が違うのだ。

 もしペアリングの片方をプレゼントしても、彼の金銭感覚に合わないだろう。彼に似合うのは、海外ブランドの洒落たスタイルのものだ。

「亜依?」

「なんでもない。なにかケーキでも食べようかなと考えてただけ」

「ケーキか。ほら、かわいいクリスマス仕様のイチゴショートも小さいブッシュドノエルもあるよ」

「ブッシュドノエルって食べたことないなぁ。どうやって切り分けるの?」

「え? 普通に。ロールケーキと同じだよ」

 そうなんだ、と今度は紅茶のメニュー表に手を伸ばした。


『このひとは嘘をついて二股をかけている』


 それはすごく重い事実だった。

 彼はわたしのそんな疑いも関係なしに、ぺらぺらといつも通り薄い言葉でマイペースに喋った。そんな彼をいままでは年下の男の子のようにかわいらしく思っていたけど、今日はそんな気持ちになれなかった。

 あの子は誰なの?

 どこで知り合ったの?

 どれくらいつき合ってるの?

 バイトを始めたのは誰のため?


 このところ張り詰めていた心の糸の緊張がプツンと切れたような気がした。

「帰る」と言って、千円札を一枚置いた。……たぶん、ケーキと紅茶で千円じゃ足りない。でも彼はお金持ちだからそんなことに頓着しないだろう。

「ここはおごるよ」が口癖で、いつもそれじゃダメでしょ、と怒るのがわたしだった。

「亜依、チカンは?」

「遭う時には遭うんだよ」

 カバンの持ち手を片方の肩にさっとかけて、店のドアを開けた。


 追いかけてきたりしない。いまごろきっと困ってる。「どうして」でいっぱいになって身動きができなくなってるはず。

 いまならまだ戻って謝って、彼を許してあげられる――。

 ダメだ。


「クリスマスイヴにはやっぱりデートですかぁ?」

「たぶん」

 たぶん。絶対じゃない。あれから連絡を取らないまま、新しい週末を迎えてしまった。そしてまたわたしはここにいる。

「いいですねぇ。わたしはイヴも当日も仕事ですぅ。去年もそうだったし。あれですか? イヴの日に彼氏と一緒にご来店ですか? そうなったらわたし精一杯、彼女さんの好きな指輪、プッシュさせていただきますよ」

 ふふふ、とふたりでしあわせそうに笑った。大嘘つきなわたしはこのあと、また悪趣味な行為をすることをお姉さんは知らない。

「彼氏さんがどんな方なのか、想像して待ってますね」

 店の入口までわざわざ見送ってくれた彼女はもう、わたしが指輪を買うものだと決めつけてるんだろうか? 未来なんてあるかないかわかんないもの。


 コートのポケットに手を突っ込む。北欧柄の編み込みが入ったニットの手袋。十分暖かい。ほら、ひとりだって寒くないんだよ。そんなのは妄想だったんだよ。

 ピンクのコートの女の子は、今日は恥ずかしそうにはにかんで、口元を隠して笑っていた。


 さて、ここに来てから何時間? いい加減出ないとお店に悪い。

 今日のわたしは……自分で言うことが許されるなら、いつもよりずっと美人だ。

 プレゼントを買うより、自分の身支度にお金をかけてしまった。せっかく働いたお給料はささやかに光るアイシャドウや、カシミアのセーター。ウールのプリーツスカート。牛革のブーツ。そんなものに少しずつ消えてしまった。

 元々軽いクセのあった髪はバッサリ肩につくくらいに切って、ストレートパーマをあてた。別料金のトリートメントとホームケアでツヤツヤだ。

 最初から決めていたツリーの真正面、つまりさっきお店からずっと見ていたところに真っ直ぐ立つ。

 これからなにが起こるんだろう? わたしはやっぱり彼をきつくなじるのかな? 一年以上つき合ったのに、とか、そういう量の問題はどうでもいいんだ。なにがダメって、あの女の子のピンクのコートや、それを聞けないわたし、欲しいものを素直にねだれないこと、そういうことだ。


「珍しく遅かったね」

 見計らったかのようなタイミングで彼はさっと現れた。

「たまには遅刻しないで喜ばせたいなぁと思って先に着いて一階からずっと見てたんだけど、すぐに亜依だって気づかなかった、ごめん! 今日はいつもより美人だね。びっくりした」

「こういう気分だったの」

 似合ってるよ、と王子様のように微笑むから本心が見えない。あの子と張り合うようにすべてを選んだのに。

 いつものイルミネーション下を歩いていく。たまにはね、と和典は手袋は脱いで手を繋いだ。いいのかな? さよならって、帰りには終わるんじゃないのかな?

 今日も予約したお店でディナーを食べて、きっと本当のことをゆっくり説明されて、わたしは「わかったよ」って言うために鏡の前で練習までした。

 それなのに、奮発した皮の黒い手袋。これでお互いの手袋の『格』が同じになったはずなのに、なのに、彼の温もりが。


「僕の派遣会社の場所、知らないでしょう?」

「うん」

「亜依のバイト先の道を渡ったところにある古いビルなんだ。そこでね、夕方、日払いでお給料をもらうんだよ。自分の時間がお金に変わるなんて新鮮だった」

 バイト体験談を話したいのかな、と思った。そう言えば、どんな仕事をしたのかその詳細は話題に上がってたけど、どんなシステムなのか聞いたのは初めてだった。

「それで、まあ、ある日、お給料もらってひとりでデパート前を歩いてたんだ。亜依も同じように仕事をしてるんだなって思うとすごいなって思って」

「思わないでよ、お互い様だよ」

「それでさ、見かけたの。あの入口から出てくる亜依を。声をかけようと思ったんだけどすごくいそいそしてたし、気づいたら、亜依が出てきたのは宝石屋さんで」

「あー、そうね、ちらっと見ちゃったの。キラキラしてると気になるのね、わたしでも。自分でもびっくり」

 和典は口の前に人差し指を当てると「しーっ」と子供にやる例のポーズをした。

「あ、と思って亜依を追いかけないでお店に行っちゃったんだよ。それで今日、この時間に行くって前もってあの舌っ足らずなお姉さんと約束しちゃったからもう急がなくちゃ」

 え、え、え、と頭がこんがらがって、混乱して、ぐちゃぐちゃにもつれてなにが本当かわからなくなって――。

「だ、だって、あのスタバのピンクのコートの女の子は!?」

 和典はピタッと足を止めた。

「知ってたの?」

「……見かけたもん」

 ふたりの繋がれた手はまだ離されていなかった。デパートの入口前で、向き合って両手を繋ぐ形になる。全然わかんない、なにもかも。全部夢だって言われたら、それもあるかもしれない。

「知らないと思って紹介しなかったんだけど、あの子、市民オーケストラでクラリネット吹いてるんだ。たまたま会って、そしたら彼氏のことで相談があるって言うから翌週も会って、それでおかしいと思ったら……怒らないでよ。つき合ってほしいって言われて」

「気づけよ、その前の空気で! 彼女だって『これは行けるな』って思ったから告ったんでしょ?」

「それが気づかなくてさ。亜依にいつも怒られる通り、僕は天然でなにも見えてないんだなってここでも勉強した」

 ふぅ、ほんとかな? だましてない? だますような上等なテクニック、持ってないよね? ……信じていいよね?


「お待ちしておりましたぁ! きゃー、やった! やっぱりふたりセットで来られると違いますね!  ちゃんとできてますよぉ、彼女さんの欲しいって言ってたペアリング。内側にイニシャル入ってます、ご確認ください」

 右手の親指と人差し指でつまんだリングの内側には『K to A』の刻印があった。

「どうして、これ?」

「わたしからお話しちゃってもいいですか? 最初に彼女さんがいらした日、帰られたあとすぐに彼氏さんがいらっしゃって、『彼女が見てたアクセサリーはどれですか?』って聞かれまして。ペアリングです、ってお答えしたんです。それから彼氏さん、何回かデザインの相談に来てくださって! だから彼女さんの好みを毎週聞き出すわたしもドキドキだったんですぅ。わたし、クリスマスに仕事なんて嫌だなぁと本当に思ってたんですけど、おふたりのしあわせのお手伝いができて、この仕事をしていて本当によかったなぁと思ったんです。ありがとうございます」

 彼女はぺこりと恥ずかしそうに頭を下げた。

 信じられない。照れくささが先に立って、目が見れない。『もろびとこぞりて』が歳末セールでガンガンかかってる。

 リングに目は釘付けなんだと言わんばかりに、頭を理性で押さえつけた。

「それではサイズのご確認を。あ! そうですね、お互いにはめ合って確かめましょう! ささ、どうぞ」

 耳を澄ませると、店の中にはデパートの中のクリスマスソングとは別のオルゴールで賛美歌が演奏されていた。

「これで欲しいの、合ってた?」

「合ってた。やだ、こういうの内緒にするのなし」

「――それではすみませんがお会計を」

 ポケットからスっといつも通り皮の財布が出てくるんだと思ってた。でも違った。紙封筒がカバンから出てきて、お釣りもなくしっかりきちんと精算された。

 その光景は、まるで見たことのないものを見た赤ちゃんのような気持ちにさせた。

「なくしたらいけないと思って、ここにしまってたんだ」

 ふふふ、とお姉さんも笑う。わたしもあまりのバカらしさにふふふと笑って「おかしかったかな」と彼は困った顔をした。

「おふたりのクリスマスプレゼントに立ち会えて本当に良かったです! どうか、これからも仲良くおつき合いなさってください」

 ラッピングした袋を店外まで持ってくれたお姉さんがそう言ったのは、営業も入っていたのかもしれない。

 それでも。

「わたしね、今日がお別れだと思って大したもの用意しなかったの。お別れの『ハンカチ』一枚」

「じゃあそれはまた今度、次の機会がもしあったら使ったら?」

「捨てちゃえばって言わないの?」

「せっかく稼いだお金で買ったんだ。もったいないでしょう?」

 もう、手袋はお互い外してしまった。ふたりの左手の指に、ペアリング。冷たいはずの金属がやけに暖かい気がして、背伸びした皮の手袋の出番は結局ほとんどなかった。

 背伸びしたディナーもなしで、学校近くの友達同士でもたまにランチに行くお店に予約は取ってあった。

 けど、食事が終わる頃、シェフが特別なメニューを運んできてくれた。わたしの目は点になる。

「ブッシュドノエル、食べたことないって言ってたから特別に作ってもらったんだ」

 だからそういうところが庶民的じゃないのよ!


 ――メリークリスマス、世界中のひとたちに少しでもしあわせを。

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