第44話 唯菜・上
「これからどこに向かいます?」
現場のラブホテルを出ると、篠原が櫻子に尋ねる。櫻子は少し悩んでから、左手首につけられた腕時計を覗き込んだ。海外ブランドの、細いフォルムの腕時計だった。春色の色彩は、櫻子によく似合っている。
「今は、天満署が羽場さんの事を聞きこみに、淀屋橋まで行ってるのよね。指輪の事も調べたいし、一度署に戻りましょ。笹部君に映像解析して貰いたいわ」
「分かりました」
駅へと向かう櫻子に続いて、篠原は後に続いた。
「おじちゃん!」
梅田駅に着いて、曽根崎署に戻った時だ。曽根崎署の玄関ホールで、ランドセルを背負った少女と腕を掴まれ困った様子の笹部がいた。
「おじちゃん!」
篠原に気付いたその少女は手を離すと、僅かに笑みを浮かべて篠原に駆け寄ってきた。腕を引っ張られていた笹部は解放されて、ほっとしたように大袈裟なくらいに肩を竦めていた。
「唯菜⁉どうしたんや?」
よほど驚いたのだろう。珍しく篠原の言葉が、大阪弁になった。その様子を、櫻子は珍しそうに眺める。唯菜は、両方の耳の上辺りで髪を結んでいた。黒く綺麗な髪と、大きな瞳。あまり篠原に似ていないので、亡くなった彼の兄嫁に似ているのだろうか。
「ちょうどよかった…この子、篠原君の子?篠原君とボスを探してたらしくて、受付から連絡来たんです。僕に探しに行けって言うし…」
子供相手に、笹部はどう対応していいのか困っていたようだ。心底安心した様に、笹部は大きくため息を零した。その言葉に、慌てて篠原は彼に申し訳無さげに頭を下げた。
「…」
唯菜は頷いてしまったので、篠原は屈んでその顔を覗き込む。しかし、唯菜は口を開かなかった。
「篠原君」
櫻子が口を開く。篠原は慌てて立ち上がると櫻子に頭を下げた。
「すみません、自分の姪の唯菜です。今は学校の時間の筈なんですが…申し訳ありません!」
確かに、今はまだ10時過ぎだ。本来なら3時間目か休み時間くらいだろうか。
「…唯菜ちゃん」
櫻子は、スカートを気にしながら唯菜の前に屈んだ。そして、小さく微笑む。
「篠原君に、何か大切な用事があったんでしょ?いいわよ、篠原君はその間お休みにするからちゃんとお話ししなさいね?」
「すみません、今からすぐに唯菜を学校に連れていきます!」
もう一度大きく頭を下げると、篠原は唯菜の手を握った。だが、唯菜はその手を払って櫻子の腕に抱き着いた。
「え?」
3人は、同時に驚いた顔で唯菜に視線を向けた。
「…唯菜、さくらこちゃんと学校に行く」
「何あほな事…いや、おじちゃんの先輩にちゃんとか…!いや、そうやなくて、いつもわがまま言わへんやろ?おじちゃんと今から学校に行こ?」
篠原は色々な事に動揺しているのか、慌てながら唯菜に向き直る。しかし唯菜は首を振り、櫻子の腕を抱きしめる。そんな唯菜の頭を、櫻子は優しく撫でた。
「いいわ、私が連れて行くわ。篠原君と笹部君が、あの映像確認しておいて」
「いやいや、一条課長にそんなことお願いできません!」
困った顔で、篠原は首を振る。しかし櫻子は唯菜の手を握ると、立ち上がった。
「唯菜ちゃんにも事情があるんでしょ。いいから、仕事しなさい」
櫻子の言葉に続いて、笹部は篠原の袖を引っ張った。
「ボスに任せようよ。さ、僕らはお仕事。ボス、気を付けて」
笹部は階段に向かう。その背と櫻子を見比べて、篠原は深々と櫻子に頭を下げた。
「一条課長、よろしくお願いします。唯奈、わがまま言うんじゃないぞ?」
「大丈夫よ、じゃあね」
櫻子は唯菜と手を繋ぎ、再び駅へと向かった。それを見届けてから、篠原は笹部の待つ『特別犯罪心理課』へ向かう。
「この画像の女性の指輪の拡大画像が欲しい、との事です」
さっき村岡にダビングして貰ったDVDを取り出して、笹部に手渡す。
「了解」
笹部は篠原からそれを受け取ると、パソコンにDVDを読み込ませる。
「何か飲み物入れましょうか?」
鞄を椅子に置くと、篠原は笹部に尋ねた。すると彼は、自分の机の引き出しから紅茶のパックが入った缶を取り出し渡す。
「じゃあ、これ。篠原君も飲んでいいよ」
意外そうに缶に視線を落としてから、篠原は缶の蓋を開けて紅茶のパックを取り出した。
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