第12話 事件2・中

「先に、お昼にしましょ」

 昼頃になり、二人は一度交番から出た。スマホを見ていた櫻子は、そう言うと近くにあるうどんの店に向かった。大きな器にうどんが盛られているのが有名で、東京にもある店だ。この宗右衛門町店が一号店になるらしい。


「そう言えば、キタの事件のアナフラキシーショックで死んだ事件――蕎麦アレルギーの。被害者のアレルギーは、従業員たちは知ってたのかしら?」

 櫻子は鴨の温かいおうどん、篠原は牛筋カレーのおうどんを頼み、お茶を飲んでいた。

「えっと」

 篠原はタブレットを取り出して、笹部に教えられたファイルを開く。二人が曽根崎署を出る前に、手早く事件をまとめていたようだ。


「ええと、従業員は知っていたようですね。うどんや蕎麦を頼む時は、分けて茹でている決まった店があったそうです。ただ、事件の二週間前から店に来た黒服は知らなかったようで、出前の電話を任された時にいつもの店とは違う所で頼んでしまったらしいです」


「――また、黒服……」

 櫻子は、難しそうな顔つきになって眉を寄せた。篠原は、その間にざっとその資料に目を通す。

「彼はアレルギーの事を本当に知らなかったみたいで、とても動揺していたようです。この店も従業員は履歴書の提出なしで採用していたようで、本名などは分かりません。店では『ユウ』と呼ばれていた、若い男です。この男も、被害者の篠木彩が亡くなった次の日から店に来なかったみたいです」


「篠木彩の心肺蘇生したのは誰?」

「その、ユウという黒服です。大学生の時にライフセイバーのバイトをしていたみたいで、蘇生術を教えられていたそうです。篠木彩が倒れた時、自ら率先して心肺蘇生したみたいです」

 櫻子は机の腕に肘を付き、指を組むとそこに顎を乗せた。


「篠原君、あなた急にアルバイトをする事になったと考えて。そして、そこは本名でなくていいの。何て名前で応募する?」

 不意な問いかけに、篠原は一瞬言葉に詰まる。しかし意味を聞くことはしなかった。彼女の問いの答えを、考えてみた。

「シノギマサト……とか?」

 少し考えてから、篠原はそう答えた。しかし、その名には特に意味はない。

「人間の癖で、偽名を名乗る時無意識に本名を絡めた名前を付ける事が多いの。『シノギ』は、『シノハラ』からよね? 名前の方は本名と連想できないから、有名人か本とか、自分の趣味から選んだ名前じゃない?」

 確かに『マサト』は、篠原が好きで読んでいる格闘漫画の登場人物から選んだ。

「はい、そうです。すごいですね、心理学的なものですか?」

「確実にそうとは言えないけれどね。熟練の犯罪者になるほど、その傾向は薄くなるわ。事件を起こそうと思ってなくて、選んだ名前にはそういった名前の方の傾向が多いの」


 そこまで話したところに、頼んでいたうどんが運ばれた。カレーのスパイスに、思わず篠原のお腹が小さく鳴った。

「男の子って、カレー好きよね」

 赤くなっている篠原を眺め、ふと櫻子の表情が和らいだ。

「私のお父さんも、カレーが好きだったわ」

 初めて、彼女は自分の事を口にした。出会ってから初めての事だったので、篠原は彼女を知りたくて思わずそれに反応した。

「一条課長のお父さんって、カレー好きなんですね。俺と一緒ですね。どんな人だったんですか?」

 しかしその瞬間、櫻子の顔から笑みが消えた。次に浮かんだのは、『悲しみ』の様な表情。


「私が小学生の頃に、亡くなったの。だから、あまり覚えてないわ。ただ、食卓にカレーが出ると――嬉しそうに笑っていた、それぐらいしか覚えてないわ」

 箸を手にすると、櫻子は一膳を篠原に渡した。

「さ、食べたら南署に行きましょうか。そこで夕方まで時間潰せば、『セシリア』も開店するでしょ」

 自分の分の箸も取って、櫻子はうどんを摘まんだ。それ以上、父の事を話すなと態度に表していた。

「はい」

 仕方なく、篠原は頷いて自分もうどんに箸を伸ばした。

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