第10話 事件・下
休憩場所を兼ねているスペースに案内された二人が腰を下ろすと、森口がお茶を入れてくれた。そして、その正面に安井と並んで座る。
「曽根崎警察署ですよね。キタ管轄の事件じゃないのに、なんでミナミの事件を?」
安井の問いはもっともだ。警察は、縄張り意識が未だに高い。亀井まどかの事件が気にならなかったのは、篠原にもそれが染みついていたからかもしれない。配属されてから、キタの事件はニュースや新聞で自然と目にしていた。
知っている間柄でも、違う管轄が乗り込んでくるのをあまり良くは思わない。
「申し遅れました、私は警視としてこちらに
櫻子の言葉に安井たちは驚いた表情を見せた。長い警察官人生で、安井はそんな権限を聞いた事がない。篠原も初めて知った事実に、瞳を丸くする。初日に署長たちが驚いていたのは、この事だったのか。安井の目配せで、森口が慌てて電話へ向かう。
「失礼ですが――その若いお年で警視ですか。しかも、刑事局長と仲がよろしいとは」
「京大を出てすぐに警察庁に入り、有難い事に順調に役職を頂いています。刑事局長には、よくして頂いています」
櫻子はお茶を手にして一口飲むと、眉を寄せて小さく呟いた。
「十五点」
「あ、あの! 亀井さんの事件は捜査本部が南署にたてられたんですよね?」
櫻子の採点の意味を知られないように、慌てて篠原が口を挟んだ。安井は篠原に視線を向けて、黙ったまま頷いた。そこへ森口が戻ってきて「間違いありません」と安井に話しかけた。
「あの子は、今どきの子やったけど悪い子やない。あんな殺され方されるなんて、ホンマに可哀想や」
安井は湯飲みを手に、ため息をついた。
「彼女には恋人はいたんですか?」
櫻子の問いに、安井は首を振る。
「私が知る限り、居なかったと思います。あの子、金貯めてカフェを開くんが夢やったらしいから、ガールズバーで無茶な客引きしてまで、一生懸命働いてたんですわ」
「え? そうだったんですか? ヤスさん、そんな事よく知ってますね」
安井や篠原が指導していた若い子は、たくさんいた。亀井まどかは、たまたま覚えていただけと言っていいくらいの存在だったので、篠原が意外そうに安井にそう返した。
安井はあいまいに笑うと、ゆっくりお茶を一口飲んだ。
「あの子は、ずっとここで育ったからな。学生の頃やんちゃして、何度も補導した時によく話ししたんや。無茶な客引きも指名料貰うためやったと思う」
まどかを思い出すように宙を見ていた安井が、眉を寄せた。
「そう言えば、昨日店の黒服が一人飛んだって聞いたな」
「飛んだ?」
抽象的な言葉に、櫻子がその言葉を繰り返した。
「亀井が死んでから、二、三日経った頃から黒服の一人が店に来んようになったって、『セシリア』の他の女の子が言ってたような気がします。この業界では、従業員が突然消えることは珍しくはないんですけどね」
「なんという人ですか?」
櫻子の言葉に、安井は何とも困った顔になる。
「水商売の多くは、キタの高級な店と違って履歴書のいらん仕事ですわ。二週間前くらいに来てすぐに姿消した黒服らしくて、『コウキ』と呼ばれていたぐらいで」
櫻子は、瞳を閉じて何かを考えているようだ。
「あのマンションの一部は、『セシリア』で働く女の子の寮になってます。両隣も燃えたらしいですが、幸い出かけてて住んでた子は無事やったらしいです」
森口が南署から仕入れたらしい情報を教えてくれた。
「亀井さんは、何かのトラブルに遭っていたとか、そんな話はないんですか?」
「聞いてないなぁ……まあ、こればっかりは店の女の子に聞くしか分からんやろうけど。警察に相談、とかなんて事件には遭ってないみたいやったわ。死ぬ前日も、普通に店に来てたしな」
櫻子は瞳を開けると、篠原に視線を向けた。
「店の女の子達に話聞くのがよさそうね」
「南署には行かないんですか?」
「行くわよ、店が開くまでまだまだ時間あるし」
櫻子は唇の端を上げて笑いお茶を喉に流したが、再び眉根を寄せた。もう一度点数を口にしないように、篠原は「ごちそうさまでした!」と声を大きく礼を言った。
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