第9話 事件・中
前日、篠原はなかなか眠れなかった。そう長くは空いてはいない自分の前の居場所に戻るのと、櫻子とバディとして組む緊張とでだ。
朝になり特別心理犯罪課の部屋に着くと、いつも通り自分が一番だった。櫻子に貰った真新しい鍵でドアを開けると、何時でも珈琲を淹れる事が出来る様に準備する。
「おはよう」
次に部屋に入ってきたのは、笹部だった。眠そうに、椅子に座っている篠原に声をかけた。
「おはようございます」
「おはよう、二人とも」
二人が挨拶していると、そこに櫻子も姿を現した。
「おはようございます」
篠原と笹部は、櫻子に挨拶をした。今日の櫻子は、白いブラウスにブラウンのタイトスカート姿だ。櫻子は体のラインをはっきり強調する服を好んでいるようで、時折篠原は目のやり場に困る。
「珈琲を飲んでから向かいましょうか、篠原君。お初天神ビルの事件の検死やら情報が今日届くと思うから、笹部君はそれを受け取っておいてね」
今日の指示をして、櫻子は椅子に座る。
「了解しました、ボス」
笹部はそう返事をして、早速パソコンを開いて画面に向かう。篠原は言われた通り珈琲の準備をしだした。
「え? 電車で行くんですか?」
珈琲を飲み終わり曽根崎警察署の玄関を出た篠原は、駅に行こうといった櫻子を意外そうに見つめた。
「ええ。こっちに来て久し振りに、私がいた頃と名称が変わった電車、乗りたいの」
篠原の言葉こそ不思議そうに、櫻子は首を傾げた。大阪の地下鉄が東京と同じ「メトロ」と改名されたのは、最近だ。
「でも……ヒール、大丈夫ですか?」
篠原が心配していたのは、櫻子の足元だ。女性のファッションなど良く分からないが、櫻子のヒールは警察署にいるどの女性よりも結構高く思う。
「大丈夫よ。山登りしろと言われれば断るけど」
櫻子はブランドバックを肩に掛け、先に駅に向かって歩き出した。篠原は、慌ててそれに続いて歩き出す。
「町並みは、あんまり変わってなかったのね」
手前の心斎橋で降りた櫻子は、「ミナミ」で有名な
「ひっかけ橋」と異名のある
「一条課長、南署に向かうんじゃないんですか?」
「被害者の亀井さんは、この辺で客引きしてたんでしょ?話を聞いてみたいわ」
篠原は、以前まで制服警官だった。それがこの春昇進で刑事になった。同僚に今の自分を見せつける様で、少し困ってしまった。
「あれ? 篠原か?」
交番の前に来ると、中から誰かが出てきて篠原に手を振った。篠原はドキリとして肩を竦めてそちらに視線を向けた。
「ヤスさん!」
その人物は、篠原よりずっと年上で道頓堀交番勤務が長い安井だった。優しくてよく自分を面倒見てくれた人物に安心して、篠原は笑みを浮かべた。
「一条課長、この道頓堀交番で勤務経験が長い安井さんです」
二人のやり取りを眺めていた櫻子に、篠原は安井を紹介する。櫻子は頷いて、篠原に右手を差し出した。
「初めまして、曽根崎警察署の特別心理犯罪課の一条櫻子です。篠原君にはお世話になっています」
「こんな別嬪さんと組んでるなんて、篠原は幸せもんやなぁ。安井浩二です」
「ヤスさん、何してるんですか?」
安井は四十代後半の、人のよさそうな顔に笑顔を浮かべて櫻子の手を握り返した。そこに、交番からもう一人男が顔を覗かせた。
「森口君、君と交代でここから曽根崎署に異動になった篠原君と、同じ部署の一条さんや」
森口と呼ばれた男はまだ若そうで、二人にぺこりと頭を下げた。制服姿がぎこちなく、どうやら初めて交番勤務になった様だ。
「で? 顔見せに来たんは、何か用事があるんやろ?」
安井は、篠原に視線を移した。
「突然お伺いして申し訳ありません、亀井まどかさんの事について少しお話を伺いたくて」
横から櫻子が口を開くと、安井と森口の顔が強張った。
「外で話すんもアレやし…どうぞ中へ」
安井は、二人を交番の中へ招いた。
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