第4話 集合・下

 笹部が荷物を自分のデスクに置いて立ち上がると、櫻子も立ち上がった。

「いいかしら? じゃ、署長に挨拶をしに行きましょ。篠原君、案内してくれる?」

「了解です、行きましょう」

 篠原が先に部屋を出ると、二人も彼の後に続いた。階段を上がり、三階へと向かう。硬い床を踏む、櫻子のハイヒールの音が辺りに高く響いた。


「こちらです」

 『署長室』と書かれた部屋の前で立ち止まると、篠原は櫻子に前を譲って後ろに下がる。

「篠原君有難う――失礼します」

 篠原にそう声をかけてから、櫻子はドアをノックした。

「特別心理課課長、一条櫻子です」

「どうぞ」

 中から声をかけられて、櫻子が開けたドアを三人がくぐって室内へと入った。部屋の中には年配の男と中年の男、その三人いた。

「挨拶が遅くなり申し訳ありません、本日よりお世話になる一条櫻子です」

「同じく、笹部亮樹です」

 軽く頭を下げると、笹部もそれに続いて頭を下げる。署長と副署長にはすでに挨拶をしていたが、もう一人の男とは話したことがなかった篠原は、改めて名乗り挨拶をする事になった。

「同じく、篠原大雅です」


「篠原君は存じているよ、一条警視に笹部警部補、ようこそ曽根崎警察署へ。東京から大阪は、そんなに混んでいましたか?」

 椅子に座ったまま壁に掛けられた時計をちらりと見て、室生署長はちくりと嫌味を言った。もう、十二時前だ。彼の机の横に並ぶ二人も、何処か険を含んだ視線でこちらを見ていた。

「それは……」

「申し訳ありません。挨拶が遅くなり、ご迷惑おかけしました」

 笹部が自分のせいだと言い訳しようとした言葉を遮り、櫻子は弁解をせずに素直に頭を下げた。そんな櫻子を、篠原が意外そうに見つめた。笹部は口をつぐみ、ぼんやり署長を見ている。

「まあ、構いません。初日で、バタバタしていたんでしょう。空港から直接来られたそうですし、こちらも配慮が足りませんでしたね。私は署長の室生です。そして、こちらが副署長の市井、最後がうちの捜査一課課長の宮城です」

 紹介された二人が黙ったまま軽く頭を下げた。どうやら篠原が初めて見た男が、捜査一課課長らしかった。室生と市井はもう捜査に出る事もないので弛んだような容姿だったが、宮城は年の頃は四十代前半の精悍な男だった。

「銃を持ったことないようなお嬢さんの見た目で、驚きましたわ。捜査にも関わると聞きましたんで、少々不安ですが……ま、よろしくお願いします」

 宮城は値踏みするように櫻子を頭から足先まで眺めてから、それでも右手を差し出した。

「うちが関わるのは、あくまでも『特異性』のある犯人。もしくは事件のケースのみです。よろしくお願いします」

 差し出された手を、櫻子は同じく右手を出して握り返し、さっさと離した。

「特異ってのは、どういったもんですか?」

「分かりやすく言えば、連続殺人や『普通の人が起こしたものではない事件』です。所謂いわゆる、サイコパスやシリアルキラーが起こす事件……と言えば、想像しやすいでしょうか」

 櫻子の視線は、もう宮城に向いていなかった。彼女は、署長の後ろに広がる大阪の町並みが広がる、窓の外を眺めていた。

「そんな、ドラマみたいな」

 市井副署長と宮城が、思わず吹き出して笑う。

「未解決事件の大半は警察の失態ですが、サイコパスが関わっているケースが多いのです。ドラマなどで誇張されたような犯罪者ばかりではありません、サイコパスは身近に潜んでいるんです」

 櫻子は冷静だ。そして、室生に視線を移して再び口を開く。

「刑事局長から、連絡はきていませんか?」

「刑事局長?」

 室生がパソコンを開いて、おぼつかない手つきでメール画面を探して開く。確かに、刑事局長からメールが届いていた。

「何やて!?」

 室生署長の上げた声に、市井副署長と宮城は彼の後ろに回りパソコンのその画面を見た。


『一条櫻子君の行動に制限を設けない事。彼女が許可しない限り、一切詮索しない事。曽根崎警察署管轄の捜査状況は彼女に関係なくても全て報告する事。その他、曽根崎署及び大阪・兵庫管轄の全ての最終判断を彼女に委ねる事』


 メール画面には、簡単な挨拶の下にそう書かれていた。

「アンタ……何もんや……関西の主要大部分が、アンタの支配下になるなんて……私が知る限り、警察庁内で今までそんな事例はないで」

「そう言う事ですので、よろしくお願いします」

 青ざめる男三人ににっこりと微笑むと、櫻子は頭を下げて署長室を出ていく。笹部もそれに続いて、訳の分からぬまま篠原は頭を深々と下げてそれに続いた。


「なんて書いてあったんでしょうね?」

 前を歩く笹部に追いつき、篠原は静かに声をかけた。

「多分……ボスに逆らうなって事じゃないでしょうか」

 笹部は、深く考えずにそう答えた。


 篠原は、モデルのような櫻子の後ろ姿を眺めた。

 自分より年下の彼女は、刑事局長を味方につけている。つまり、彼女のバックには警察の大御所がいるという事だ。一体何者なのか……?


 この時の篠原には、後に分かる彼女が抱える闇と権力の意味を知るはずもなかった。

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