第3話 集合・中

「あ」

 珈琲を飲み終えた櫻子は、スーツのポケットから取り出したスタイリッシュなケースに収められたスマホを眺めてからふと小さく零した。

「どうかされました?」

 篠原が自分の机の椅子から立ち上がり、櫻子に向き直る。篠原は何をしてよいのか分からず、手持ち無沙汰にしていたのだ。

「署長たちに挨拶してなかったわ」

 スマホを再びポケットに直すと、机の上に並べていた書類を手にした。ここに来る前、警視庁で渡されたものの一つだ。主要人物達の写真と経歴が簡単に書かれている書類だった。

「え?それは流石に不味いのでは…」

 篠原は階級の区別をあまり把握していない。しかし、一応相手が署長であるなら挨拶をしなければ彼女にとってあまり良くない事だろうという事は、理解していた。

「ま、残りの子が来るまで待ってましょ。何時になったら来るのかしら、笹部ささべ君」

 机に肘をついて、その掌に頬を乗せて櫻子は書類をめくる。

笹部ささべ亮樹りゅうき警部補。あの子も今日から配属のはずだけど、まだ東京から出てないのかしら?」

 首を傾げる櫻子の手にあるのは、もう一人の彼女の部下。彼も昇格と同時に、警視庁から櫻子と一緒に異動になった。彼はサイバー課にいたので、捜査一課にいた櫻子とは面識があまりない。

「自分は三日前からこっちに来ていましたが、まだお会いしていませんね」

 右手の腕時計を確認して、篠原も首を傾げた。もう、十一時になる。遅刻にしてもいい時間だ。その時、ノックの音がした。

「遅くなりました、笹部です」

 噂をすれば、彼が姿を見せた。

「入りなさい」

 櫻子が声をかけると、ドアが開いて青年が入ってきた。見た目篠原と変わらないようだが、随分陰気な感じがする。がっしりした体格の篠原に対して、笹部は細くて弱弱しい。

「すみません、私鉄でこちらに向かう途中痴漢に遭遇している女性を見かけたので、遅くなりました」

 櫻子の前に向かうとそう理由を述べて、笹部は頭を下げた。軽くウエーブのかかった黒い長めの前髪で、目元はあまり見えない。ボソボソと小さく話す姿は、警察官に見えなかった。

「そう、それなら構わないわ。荷物を置いたら、三人で署長に挨拶に行きましょ。あ、それと」

 再びスマホを取り出した櫻子は、二人に視線を向けた。

「連絡先、交換しておきましょう。今から私たちは、この曽根崎署に新設された『特別心理犯罪課』のメンバーよ」

 SNSツールのQRコードを交換して、篠原は改めて笹部に頭を下げた。

「篠原です、よろしくお願いします」

「体力仕事はお任せしますね、僕は苦手なので。笹部です、よろしく」

 口元を上げて笹部は右手を差し出そうとしたが、篠原の右手首につけられた腕時計に気が付いてか、左手を彼に差し出した。篠原は、条件反射でその手を握り返した。そうして、先ほど櫻子と握手をした時の違和感が何かに気が付いた。


 彼女は、左利きだ。


 しかし、手を差し出した時は自然でおかしな所はない。右利きが多い中、握手する時は無意識にそうなっているのかもしれない。しかし、笹部の様に気が付いて腕を替える者が多い。櫻子が左利きなのは、手に込められる力加減で利き腕かどうかは分かる。

 同じ左利き同士なら、左手を使えばいい。しかしあの時の彼女は、わざわざ荷物を左腕に持ち替えた。

 変な人だな、と思いながら篠原は腕を離した笹部から視線を櫻子に向けた。


 …あれ?


 櫻子は、何かの書類にサインしているようだがペンを持っているのは右手だ。勘違いかな、と篠原は頭を掻いて二人が立ち上がるのを待った。

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