第22話 シャッセを遮る黒い影3

 屋敷の結界が揺らいだ気配がした。

 何か問題があれば連絡が来るだろうが……と思いつつも、平素ならともかく、つい最近にも屋敷は美嘉絡みで襲撃されたばかり。

 騎士団にて、いつものように書類をさばいていたロイクが屋敷においている美嘉のことを案じている間にも、執事から魔法での通信が送られてきた。


「あれ? なんかあったんすか」


 ロイクよりも先に、魔術に長けたランディが執務室にじんわりと滲みてきた魔力が気がついた。

 何かがあったらしいことを察したランディは、魔力の気配を視線で追う。

 ロイクの方はといえば、結界が揺らいだことと、この唐突な通信に不安を覚え、妙に胸がざわついた。

 得たいのしれない不安が渦巻くなか、魔力がロイクの側で収束し、声となって耳へと入る。

 ロイクは魔力に耳を傾けた。

 再生されるのは、執事のサロモンの声。


『ミカ様のお姿が屋敷のどこにも見当たりません。お一人で庭に出てからの消息が不明です。東の庭の端に、見知らぬ魔術師の気配が残っております』


 途端、ロイクの表情が険しいものになる。

 眉はつり上がり、眉間の谷が深くなり、唇は真一文字に結ばれる。

 ロイクの表情からただ事ではないことが起きたことに気がついたランディが、おもむろに書類を仕分けていた手を止める。


「団長?」

「……ミカが消えた。魔術師が動いたようだ」


 ロイクの声色が氷点下にまで下がる。

 同時にロイクからにじみ出す殺気に、ランディの肌が粟立った。

 これはもう怒るなんて生易しいものではない。

 どうやら眠れる龍の逆鱗に触れた大馬鹿者がいるらしい。


「魔術師って……まさかオーバンが? あの人、部下の監督不行き届きで謹慎中では?」

「謹慎中だからといって、身動きがとれないわけではない」


 頭に熱がこもる。

 純粋な怒りを感じながら、ロイクは自分に当てられた魔力に耳を傾け続ける。

 ロイクの怒りを抑えたのは、サロモンの報告の続きだ。


『魔術痕跡を辿ったところ、空を飛び、王宮の魔術師塔の上から三つ目の窓に続いておりました。旦那様、至急、お迎えに上がりますよう』


 魔術師塔の、上から三つ目の窓。

 そこにある部屋の主といえば。


「アナクレト・クベリークか……!」

「はぁ!? なんであの人がミカ嬢誘拐してんの!?」


 ロイクの声を聞き取ったランディがすっとんきょうな声をあげる。

 でも一拍置いて、天をあおいだ。


「あー……もう、愚問か……あの魔術狂い、腐っても魔術師長だもんな……オーバンのやってたこと、筒抜けだもんな……」

「ランディ、魔術師塔に行ってくる。後は頼んだ」

「はいはい、いってらっしゃーい」


 ランディに手を振られながら、ロイクは騎士団の執務室を後にする。

 とりあえず、予想よりも悪い状況ではないことを理解したのか、ロイクの殺気は収まった。

 ただし、結界を破り、無断で美嘉を連れ去ったことに対する怒りは健在のため、その表情の険しさはほぐれない。

 騎士団と魔術師団は、この国の国防の要。

 その団長同士、知らない仲ではないが、知らぬ仲ではないからこそ、アナクレトの厄介さをロイクは身を持って知っていた。

 ランディも言ったように、魔術狂いと噂されるアナクレトは、その類い稀な魔術の才能と如才ない研究成果によって魔術師団長の座に就いている。

 ただし、彼の興味は魔術だけに向けられ、例え大事な会議の途中だろうが、国王との謁見の途中だろうが、魔術のことになれば中座して研究室にこもってしまうような人物だ。

 そんなアナクレトが美嘉に目を付けたのは偶然でないことまでは予想ができた。

 ロイクの屋敷が襲撃された件で、件の実行犯だった魔術師達を処分したのは、魔術師団長であるアナクレトだ。

 おそらくその件から何かを察したのだろう。

 厄介なことに、彼はそういうところには鼻が利く。

 アナクレトへの苛立ちを露にしながら、ロイクは足早に王宮内を進んでいく。

 自分の知らないところで、美嘉に手を出すなど不愉快極まりなかった。

 ロイクのいた騎士団は王宮の中でも西側にある。

 王宮の東寄りにある魔術師塔へは少々距離があった。

 ピリピリとした空気を纏いながら進むロイクに、王宮内で働く官吏や下働きの者達が自然と道を開けていく。

 ただでさえロイクは視線の鋭さや、無愛想さ、融通の利かない生真面目さから、人から避けられることが多い。

 そんな人間がいつにも増して、殺気にも近い鋭い気配を醸し出して歩いているのだ。

 その目の前を遮る猛者は、そうそういない。

 けれどもそんな人物が闊歩していれば目立たないわけもなく、何かあったのかと不安そうに視線を交わし合う者もいた。

 それら全てを置き去りにして、ロイクは美嘉だけの身を案じ、足を進める。

 やがて魔術師塔まで辿り着き、特殊な転移陣を使い、アナクレトの部屋へとやって来たロイクはその扉のドアノブに手をかける。

 同時、中から聞き覚えのある声が大きく聞こえてきた。


「あぁもう! お前が連れてきた奴だろうが! そんな無責任なことを言うなよ!」

「だいじょーぶですってー。というか殿下にとってはその方が都合がいいんじゃないんですかー?」

「良くねぇ! 別に俺は王位なんか欲しくもねぇのにはた迷惑な話だって何度も……っ」


 ノックもなしにロイクは扉を開け放つ。

 雑多に本やら史料やら何かの道具やらが詰まれた部屋の奥で、執務机にだらっと座っている青色の髪の魔術師と、銀の髪をもつ高貴な血筋の少年が言い争いをしていた。

 二人の視線がロイクに向けられる。

 ロイクはぐっと姿勢を伸ばした。


「殿下、アナクレト殿。失礼する。ここに、うちで預かっている黒髪の娘が来ていると聞いたのだが、どこにいるのか教えていただこう」

「ろ、ロイク騎士団長……」


 アナクレトに詰め寄っていたマティアスがひくりと顔を引きつらせた。

 ロイクがマティアスを一瞥すると、マティアスはびくりと肩を揺らし、その視線に耐えかねて目をそらす。

 怖かった。

 単純にその眼光が怖かった。

 怒っているロイクの目つきは、単純に目つきが悪いとは言えないくらいに迫力があった。

 マティアスは思わず目を合わせてはいけないと視線をそらしてしまったが、その眼光にまっすぐ射ぬかれてもへらへらと笑っている人間がいる。

 この部屋の主、アナクレトだ。


「やぁ、キシダンチョー。君、この時間は騎士団にいなくていいの?」

「構わん。それより、俺の屋敷から連れ出した娘はどこだ」

「えー、なんのことー?」

「とぼけるな。俺の屋敷から、お前のこの部屋にまでずっと魔術痕跡を残しているだろう」


 ロイクの指摘に、アナクレトは執務机に頬杖をついて笑った。


「あははー、失敬失敬、ごめんね? でもさ、君も悪いんだよ? 再三僕が当事者として連れてこいって言っているのに無視するからさー」

「何のことか分からない。襲撃事件のことは既に終わっていることだ」

「そーだけどー、そーじゃなくてー。そもそも、その件だって発端になったのが彼女にあるんじゃん。だからそれを白黒つけようとしただけだよ? それを無視するから、ちょっとくらい強引な手段を取らせてもらっただけさ」

「だったら正攻法でこい。お前のやったことは歴とした犯罪だ」


 ロイクの声音に怒気が孕む。

 アナクレトはそれでもけろりとしていた。


「犯罪ねぇ……僕は元の場所に戻そうとしただけだよ? ねぇ、マティアス殿下?」

「へぁ!? ちょ、なんで俺にふる!?」


 ロイクに場所を譲って、じりじりと後退して部屋の隅まで移動していたマティアスが、突然話を振られて慌てた。

 そんなマティアスにロイクの今にも人を殺しそうな視線が向けられ、マティアスは冷や汗を流した。


「マティアス殿下……?」

「に、睨むなって! むしろ俺が状況を知りたいんだけど! なぁアナクレト、あいつはいったい誰なんだ。オーバンが、俺に献上するとか言ってたけど……オーバンに連れていかれたミカは嫌がっていたぞ」


 ほとほと困ったと言わんばかりに眉尻を下げたマティアスの言葉に、ロイクの目が見開かれる。

 そして直ぐ様、踵を返した。

 突然背を向けたロイクに、マティアスが戸惑っていると、アナクレトが思い腰を「どっこいしょ」と言いながら持ち上げた。


「まぁまぁ、キシダンチョー。もうちょっとお待ちよ」

「待たん。ここにミカはいないな? お前がミカを誘拐したことに関しては後程弁明を聞きに来るから首を洗って待っていろ」

「ここにいないのはそうだけどー。だからと言って、君、あの妖精さんの場所、知らないでしょ」


 ロイクはジトリとアナクレトを睨みつける。


「たとえ知らずとも、国の隅から隅まで、探すだけだ」

「ぷぷぷー、魔術師相手になんて非効率な。君、初級魔法が精々なのに、そんなんじゃああの妖精さん、何年かかっても見つけられないよー?」


 挑発するようなアナクレトの言葉に、ロイクの手に力がこもる。

 悔しいことに、アナクレトの言うとおりだった。

 ロイクは魔力を扱うのが得意ではない。生活魔法のような簡単なものでもぎこちないほど。当然、魔術師が使用するような『術』として精巧に練り上げられた複雑な魔力の行使はできない。

 だからといって、何もしないではいられなかった。


「……例え魔術師相手で部が悪くとも、相手が分かっているならやりようはある」

「へぇ、自信満々じゃん?」

「マティアス殿下。どういう状況でそうなったかは不明ですが、殿下がお会いしたミカという名の娘は、私の庇護下にある娘です。オーバン・デベルナールに連れていかれたことに相違はありませんか」

「え、あ、あぁ……」

「ならば、デベルナール家の管轄領域とオーバンの個人的な親交まで全て洗い出して抑えるまで」


 ゆらりとロイクの琥珀の瞳に暗い影が差す。

 どろどろとした怒りを我慢するのも限界なのか、一度は消えかけていたロイクの殺気がまた増してくる。

 圧迫されるような感覚に、マティアスは知らずの内に息を止めてしまった。


「ちょっとー、人の部屋で殺気飛ばすのやめてくれない? 気分悪いんですけどー」

「邪魔をした。また後程うかがう」

「だから待ちなって、キシダンチョー。そんなにせっかちだと、大事なものを見落としちゃうよ」


 再び背を向け、外界と部屋を隔てる扉のドアノブに手を添えたロイクを、アナクレトが呼び止める。

 マティアスとしてはさっさと去っていって欲しいが、そうは問屋がおろさないらしい。


「マティアス殿下、オーバンは塔の中に入ってきてるんだよね?」

「あ、ああ。でも、その後すぐにオーバンにどういうことか聞くために後を追ったんだが、オーバンの部屋には誰もいなかった」

「オーバンの他に誰かいた?」

「そういえば、赤い髪の美人がいたな……?」

「赤い髪……あ、ヴァネッサかな。位置的にもヴァネッサの部屋のあたりだし? あたりかな」


 マティアスに幾つか質問したアナクレトは、ふふん、と胸を張る。

 彼の青い瞳にかかるモノクルが不敵にきらめいた。


「君に黙って妖精さんを連れ去ったことは謝るよ。だからここは一つ、僕も一肌脱いでやろうじゃないか」

「……いったい何を」

「オーバンは魔術師塔にいないよ。さっきから魔術師塔の魔力を探ってるけど、今現在彼らしい魔力は感知できてない。つまり彼は今、魔術師塔にいないわけだ」

「くどい。結論を言え」


 気持ちよく演説を始めようしとしたアナクレトを、ロイクは遮る。

 アナクレトはその事に、多少はムッとしながらも小さく咳払いをすることで誤魔化した。


「結論ねぇ。はいはい、にらまなーい、にらまなーい。で、オーバンの場所だけど。たぶん、ヴァネッサの部屋からどこかに転移したんじゃないかな? マティアス様が来る直前くらいに、その辺りから大きめの魔力放出感知したから。そこにある魔術痕跡を調べれば、僕くらいの魔術師ならオーバンの居場所を割り出すなんて造作もないよ?」


 そう言うアナクレトはにんまりと笑っていた。





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