第21話 シャッセを遮る黒い影2
美嘉が思う王子様像は、やっぱりどう考えてもバレエが基準になるし、そうじゃなくても、昔見た絵本の王子様の姿がぼんやりと思い浮かぶくらいだ。
だから王子様といえば、金や銀で刺繍された豪奢な服を着ているイメージが強い。
そして物語の王子様といえば、決まって優しく紳士的な人物だと相場が決まっている。
一方、マティアスは王子然とした立ち振舞いをしているが、着ている服は落ち着いた紺のシャツに黒のスラックスだ。ジャケットこそ着てないが、白のスカーフが首もとで明るく発色している。
今のマティアスは、中身の口の悪さは差し置いて、見た目だけなら上品なお金持ちの家の子だろうか。衣装だけで言うなら、王と謁見してきたといって帰ってきたロイクの正装姿の方がよっぽど王子様らしい華美な衣装に見える。
「……えっと、これ、不敬罪とか、なります、か?」
「ならねーよ。これくらいで不敬罪にしたらにっちもさっちもいかなくなるだろうが。だが馬鹿な奴等ほど揚げ足とるのがうまいからな。巻き込まれたくなきゃ、次からは気を付けろ」
「私、王族と会った時の作法とか分かんないんですけど、今気を付けることってありますか」
「それを俺に聞くかよ?」
思わず足を止めて確認した美嘉に、マティアスは呆れたように首を傾けた。
「ったく、師団長はいったいどこの田舎からお前を拾ってきたんだか」
ぶつぶつといいながら、マティアスは美嘉の腕を引いて歩きだした。
「王族はなかなかお前みたいな下っ端が会えるような所には行かないからな。王族への礼儀とか無駄なこと覚えるくらいなら、もっと面白い話をしろ。取ってつけたような敬語もいらない」
「本当? それならお言葉に甘えて」
美嘉はほっとしたように胸を撫で下ろしたけれど、すぐにマティアスの発した無茶ぶりに気がついて、困ったように眉尻を下げた。
「面白い話って?」
「それを考えるのがお前だろ。ほら、今までの不敬不問にしてやるから、師団長の所に着くまでに面白いこと話せ」
「そんな無茶な」
淀みなく歩いていくマティアスに引っ張られるようにして、美嘉は歩く。歩きながら、マティアスの無茶ぶりに真剣に頭を悩ませた。
うんうんと唸って足元が疎かになった美嘉が、たたらを踏む。マティアスはちらりと横目で見て、歩く速度を落としてくれた。
「そんな悩まなくてもいいだろ。昨日あったくだらない話とか、なんでもいいんだから」
「えーっと……ああ、じゃあ、さっき見たアナクレトの青い鳥の話でも」
美嘉はなんとか捻り出してみる。
お世話になっている屋敷の庭を散歩していたら、塀の上にでっぷりとした青い鳥がいたと言うこと。
青い鳥が話し出した時にはとても驚いたこと。
腹這いで転がる鳥が可愛かったこと。
いきなり小人にされて、お屋敷から連れ去られたこと。
連れ去られた先には大きな人のアナクレトが居たというところで、目的地にしていた魔術師塔が見えてきた。
マティアスは美嘉の話を聞いて、微妙な顔になっている。
「お前、それ誘拐だろ……」
「私もそう思いました」
二人で微妙な顔をして、魔術師塔に通じる中庭に出る。
「それにしてもあの師団長がわざわざ使い魔飛ばして誘拐するとかなぁ……お前、何したんだよ」
「私は何もしてないよ。ただ、お世話になっている人のお屋敷でのんびりしてるだけ」
「質問変えるわ。お前のお世話になってる人ってのは誰だよ。なんかお前、ヤバイことに巻き込まれていたとかいうオチじゃねぇだろうな」
麗しい顔を少しばかり険しくして、マティアスが聞く。
美嘉は首をゆっくりと振って、はにかんだ。
「たぶん巻き込まれているけど、お世話になってくれた人が助けてくれたから大丈夫。マティアス様が気にするようなことは何もないと思います」
むしろ、探し物があるとかいって誘拐したアナクレトが全面的に悪い。マティアスのその不信感は全部アナクレトへ向けてほしいところだ。
美嘉が柔らかく微笑んで大丈夫だと重ねて言えば、マティアスは「そうか」と頷いた。
「ま、何かあったら俺に言え。大抵のことはしてやれる」
「王子様が簡単にそんな事を言っていいの?」
「俺だって言う相手は考えるさ。まぁ、師団長が誘拐してきたとはいえ、あの人は物の良し悪しに関する審美眼は悪くない。お前と話すのもちょうどい息抜きになるからな。また会ったら仲良くしてやる」
「それは光栄です」
恭しくワンピースのスカートをつまんで美嘉がお辞儀をすると、マティアスが美嘉をこづいて止めさせる。
上体を起こした美嘉とマティアスの視線が絡むと、どちらからともなく笑いが込み上げてきた。
そうやってちょっとだけふざけあって、魔術師塔の前まで歩く。たぶんきっとこれが友達という感覚なのかなと美嘉は楽しくなった。マティアスも同じように顔をゆるませて笑っている。
二人で笑いあいながらマティアスが魔術師塔の扉を開けようとした時、タイミングよく扉が開いた。
マティアスは驚き、反射的に後ろへと下がる。
マティアスと視線が合い、扉を空けた人物も驚く。
それは赤い髪の美少女、さきほど会った信号機トリオのうちの一人、ヴァネッサだった。
「えっ、マティアス様っ?」
「あ、ああ」
「どうして王子がこんなところに……」
戸惑うヴァネッサの後ろから声がかかる。
「殿下がいるのか?」
「は、はい」
低く、冷たい声。
先ほど聞いたばかりの嫌みな声が、ヴァネッサの後ろからかかる。
ヴァネッサが扉を開くと、その後ろから緑の髪をした魔術師・オーバンが姿を現した。
「殿下、ご機嫌うるわしく存じます。こんなところにお越しとは、珍しいこともあったものですな」
「別に。俺がどこ行こうと俺の勝手だ」
圧のあるオーバンの目から逃れるように、ふいっと視線をそらすマティアス。
その後ろで美嘉が三人のやり取りを見ていると、ヴァネッサが美嘉の存在に気がついた。
「あなた……!」
「……?」
「オーバン様、この娘です! この娘が、騎士団長の屋敷にいる例の娘です!」
突然声を荒げたヴァネッサに、美嘉の肩が跳ねる。
そんな美嘉を、オーバンは値踏みをするように上から下へと視線を向けた。
「お前は……先ほど師団長と共にいたな。やはりただの魔力なしではなかったか。それにしてもなんという数奇なことか」
オーバンはそう言うと、美嘉とマティアスを交互に見やり、僅かにその口角をあげた。
「魔力なしとはいえ、これが元の形か。価値としては十二分にあるだろうが……少々、不本意だな。ヴァネッサ」
「はい」
「その娘を連れていけ」
ヴァネッサに何の感慨もなく命じるオーバンに、美嘉は身を固くした。
頭の片隅で、この状況は良くないと警告の音が響いてる。
マティアスが一歩、前へ出た。
「待て、オーバン。ミカに何か用が? 彼女はアナクレトの客人だ。連れていくならアナクレトに会ってからでもいいか?」
「殿下。この娘はアナクレトの客人である前に、我々のモノでございますよ」
飄々と返したオーバンの言葉に、引っ掛かりを覚えたマティアスが眉をひそめる。
「そんな、人を物のように……」
「間違ってはおりません。それは貴方様に献上するべく用意した我々のモノございます。手違いでどこぞに落ちてしまっていたようですが、ようやく見つかりました」
「献上……?」
「ヴァネッサ」
「はい」
マティアスが美嘉を見る。
その表情は困惑に彩られていた。
マティアスの横をすり抜け、こちらに近づいてきたヴァネッサに、美嘉は知らぬうちに足を一歩、退いていた。
(ここにいては、いけない)
ヴァネッサと視線がかち合った瞬間、反射的に背中を向け、駆け出す。
「待ちなさい!」
ヴァネッサの声が聞こえる。
走り出した美嘉は風のよう。
すらりと伸びたしなやかな手足が遠くへ行かんと風を切り、ヴァネッサとの距離を広げるけれど。
「手間のかかる」
オーバンの声が聞こえると同時、かくんと何かに引っかかるようにして美嘉の膝が折れた。
足から急に力が抜けて、美嘉は地面に倒れ込む。
どうして急に転んだのかと振り向けば、美嘉の足に光の蔦のようなものが絡んでいた。
不自然なそれに、美嘉の唇が震える。
「ま、ほう……?」
「自分の立場が分かっていないようだな、異界の娘」
ヴァネッサを伴い、オーバンが美嘉に近づく。
オーバンは無様に地に伏せた美嘉を見下げると、蔑むように目を細めた。
「魔力もない、立場も分かっていない、愚鈍な娘だ。こんな娘が、殿下の花嫁とは嘆かわしい」
オーバンが美嘉の目の前に手を翳す。
「歩け。魔術師塔へ入れ」
魔法の蔦がするりと伸びる。
光の蔦は美嘉の足だけではなく、腿へ、腰へ、腕へと絡みついた。
何をされるのか。
漠然とした不安感を抱いていた美嘉の身体が、不意に立ち上がった。
美嘉は立とうなんて思ってなかった。たとえ立てても、魔術師塔に入ろうとは思っていなかった。
それなのにどういうわけか、美嘉の身体は勝手に魔術師塔を目指して歩きだす。
さながらそれは、赤い靴の呪いのようだった。
「いやっ、私、行かない……っ」
「わがまま言わないで。貴女に拒否権は無いのよ」
ヴァネッサが塔の扉を開きながら、美嘉にそう言った。
ヴァネッサの目は、それが当然とでもいうように淡々としている。
美嘉はぎこちない動きで、首だけを後ろに巡らせる。
「マティアス様……!」
マティアスに助けを求めた。
マティアスが動揺したように、美嘉とオーバンを交互に見る。
言いたいことが纏まらないようで、しばらく口を開閉させていたマティアスが、去ろうとするオーバンに躊躇いがちに言葉を投げかけた。
「オーバン、彼女をどうするつもりだ」
「少々、躾するだけでございます。……あぁ殿下、この事はどうか内密に。これは貴方の為でもあります。誰かに知られたら、貴方もろとも全てが破綻することをお忘れなきよう」
それは明確な脅しだった。
オーバンを止めようと踏み出そうとしたマティアスの足が止まる。
美嘉の足は止まりたいのに止まらない。
正反対な二人の姿は、やがて扉によって遮られた。
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