第14話 見えない誰かのシソンヌ・フェルテ4
玄関ホールに辿り着くと、開け放たれた扉の向こう、お屋敷の前庭には、きちんと隊列の組まれた騎士達と、捕獲されたらしき襲撃者が五人、それから扉の境界線ギリギリに立つロイクがいた。
いったい何があったのか。
目の前の光景を見るに、屋敷に襲撃してきた者達は呆気なく騎士団によって制圧されたらしい。
多くの視線にさらされて、コンクールのような緊張感に美嘉の背筋が自然と伸びる。
どういう状況なのか説明を求めるために、視線をロイクへと向けた。
動きやすさを重視した黒い騎士服に身を包んだロイク。玄関ポーチで厳しい表情をしていた彼が顔をあげた。しっかりと美嘉と視線が会うと、ほんのり目尻をゆるめた気がした。
「ミカ、来たか」
「はい。あの、これはいったいどういう状況でしょう……?」
「妖精狩りを捕まえたところだ」
ロイクがうっそうと笑い、縄で簀巻きにされて転がされた襲撃犯達を見下ろした。
ぐったりとした男たちが五人。内の一人は意識があるようで、簀巻きで転がされながら、悔しそうに顔を歪めている。
ロイクの言う妖精が散々自分のことであると認識していた美嘉は、自然と彼らが自分を連れ去ろうとした人達だと理解した。
言うなれば誘拐犯だ。被害者と加害者。ロイクが来てくれたおかげで未遂だったけれど、美嘉を狙ったことに変わりはない。
見えなかった誰かが、ロイクではなく自分を狙っていたと知り、美嘉の表情はわずかに青ざめた。
そんな美嘉を襲撃犯たちと会わせて何がしたいのか。
戸惑う美嘉はロイクを見た。
対するロイクは、分かっているとでもいうように重々に頷くと襲撃犯を見下ろした。
「……お前たちの言い分では、俺が拉致監禁している女を救うだったか。ここに集まった者達が屋敷にいる者の全てだ。これから騎士団によって証明させることも可能だ。もしお前たちの主張が間違っていた場合、その責は上長にまで及ぶと知れ」
顔をあげていた男が、ギリッと歯ぎしりしそうな形相でロイクを睨み付ける。
「白々しい。そこにいる娘こそ我らが探している御方でしょうに! 執事にメイドに料理長……それだけならまだしも、独身である貴方が若い娘を家に置いていること自体おかしいではないか! 監禁してないというアピールのためだけに部屋を出したのでしょうが、私の目は誤魔化せませんよ!」
そこまで言いきって男はふっと表情をゆるめると、美嘉に微笑みかけた。
「見つけるのが遅れてしまって申し訳ありません。お迎えに上がりましたが、我らでは力及ばず……すぐに別の者がお迎えに上がります。そこからお救い致しますので、もうしばらくお待ちくださいませ」
恍惚とした表情で美嘉を見つめる男に、美嘉の顔が歪む。
気持ち悪い。
何かを崇拝するような視線を向けられて、美嘉は視線をそらした。
視線を反らした先にはロイクがいる。じっとこちらを見ているロイクに、自分が何かを求められているのだと美嘉は気がついた。でも、何を求められているのだろう?
宙に視線を投げて、ロイクが自分に何をさせたいのか考える。
ロイクの言葉、男の言葉。それから自分の立ち位置。
襲撃犯は美嘉を連れ去りに来た事は明白だ。しかも男の言葉からは今ここで抑えても、第二、第三の襲撃犯が来るような口ぶりだった。
それは困る。非常に困る。
だって美嘉はロイクと一緒にいたいのだから。
それだけは本当の気持ちなのだ。
そこでなるほどと自己完結した美嘉は、一人得心がいったように頷く。
顎を引き、ふわりと舞台に立つ時のような笑みを浮かべる。
糸で吊られているかのように背骨を伸ばし、肩は脱力させるように力を抜く。
両腕はふんわりと円を描くようにして
足のポジションは、両足をクロスさせて、つま先とかかとを互い違いに添わせた、右足前の五番。
美嘉は円を描く両腕を持ち上げて、胸の前で地に水平にした。
そのまま横に開いて―――ア・ラ・セゴン。
右足も同じタイミングで真横に。
視線が美嘉に集まる。
使用人、襲撃犯、騎士団、そしてロイクの視線が集まる中、美嘉は躊躇うことなく口上を述べる。
「ミカ・ハルカワでございます。身寄りのないところをロイクさんに助けていただきました。どうぞお見知りおきを」
ふんわりと広げた腕をたゆませながら、左足を浅く折り、右足は円を描くように後ろへ引いた。
美嘉はこの世界の挨拶を知らない。
でも美嘉という人を体現するならば、バレエ式の挨拶をするべきだと思った。―――それが正しく挨拶と受け取られるかは別として。
カーテシーに近いながらも、カーテシーとは違う美嘉の挨拶に、決して少なくはない人数が戸惑った様子を見せた。
襲撃犯の男は目をみはっている。
騎士団の中にも、どう反応したらいいのか分からないといったような顔をしている騎士がいる。
その中で、ロイクだけがちょっぴり不満そうに眉間を寄せている。
「……助けた、なんて他人行儀なのは悲しいな。俺はお前に誠の心で伝えたはずだったんだが」
「……えっと、それは」
「俺はお前を愛している。だからお前を手元に置いているんだ」
「ロイクさん……?」
「誰にも奪わせはしない。例えこの国の全てを敵にまわしたとしても」
それまで距離を取っていたロイクが、玄関をくぐって屋内に入ってくる。
まっすぐに美嘉の元へとやって来て、その顎をすくうように指を添えた。
ロイクの表情は眉間に皺こそないもののあまり変わらない。
でもほんのりと目尻に差した朱が、愛しいと雄弁と語っている。
それがとてもくすぐったい。こんな時なのに美嘉の心臓は鼓動を早めた。
早鐘を打つ鼓動がなんなのか、美嘉には分からない。
だけど、ロイクの想いは、そう悪いものでもなくて。
ただひたすら、気恥ずかしくて。
美嘉は顎に添えられたロイクの指から逃れると、ロイクの指をからめとり、自分の指を重ねるようにして触れた。
自分の頬と手のひらで、すり寄るようにロイクの手を挟む。
「私は、愛される価値のない人間です。何もできない私を愛してくれても、今の私はそれに見合った対価を差しだせれません。それなのにどうして……どうしてこんなにも、私は、ロイクさんの言葉に胸がしめつけられてしまうんでしょう。あなたの言葉は、いつも私の心を揺さぶります」
「そうか。それなら、いい。今はまだ、それだけで」
厳かに頷くロイクはやはり堅苦しい。だがそれがロイクの良さだと、美嘉は微笑む。
そんなほんのりと甘い、わたあめのような空気を醸し出し始めた二人に、その場で勝手に証人にされた者たちは三者三様な反応を見せた。
あるいは温かく微笑ましい光景を見るように。
あるいはこれはどういうことなのかと驚きに目を見開いて。
あるいはそんな事は許さないとでも言うように憎々しげに。
その場の全ての視線が二人を包む。
そんな状況下で、美嘉とロイクはお構いなしに互いに互いを見つめ合う。美嘉はよく見るとロイクの睫毛って長いなぁ、ツケマ要らずだなぁなんて、のんきにそんな事すら思った。
そんな二人に水を差したのは、当然のように襲撃してきた男だった。
「これは何かの間違いだ! 御方、どうか早まったことはなさらぬように! 脳に筋肉しかないそんな野蛮人の毒牙にかかるなど!」
脳に筋肉しかないという男の言葉で、騎士たちの目がジト目に変わる。
ぼそりと誰かが「頭でっかちな火吹き蜥蜴よりはマシ」と呟く。
騎士団の何人かがそれに同意するかのように頷けば、襲撃犯は「今言ったのは誰だ!」とわめく。
襲撃犯と騎士団の間の空気が険悪なものになり始めたところで、ロイクが腕をあげて騎士団を諌めた。
池に投げ込んだ石の波紋が消えていくように、さざめいていた空気が静かになる。
頃合いを見計らって、ロイクは口を開いた。
「どうやら俺を罪人に仕立てあげたかったようだが、こういうことだ。同意のもと、彼女はここにいる。それは、ここにいる全員が証言者だ。相違ないか」
常人であるならば、この二人の、特別以上、恋人未満のような雰囲気に否を唱える者はいないだろう。
それほどまでに美嘉の初々しさと、ロイクの熱愛っぷりを、この場にいる誰もが感じた。
騎士達が次々と敬礼していく。
それは是という言葉の代わり。
襲撃犯の男がこぼれんばかりに目を見開いた。遠目でもわなわなと震えるのが手に取るように分かった。
「この屋敷は国より賜りし物。ここに住まう者は全て国の管轄にある。俺も、使用人も―――そしてミカも。ミカの同居に関して、既に国王にも進言済みだ。その意味は、分かるな?」
ロイクがこれは国王も認めたことだと厳かに告げる。美嘉にとっても初耳で、いつの間にそんな大事になっていたのかと面食らったけれど、それ以上に衝撃を受けていたのは襲撃犯のようだった。
男はとうとう、がくりと項垂れてしまう。
抵抗する気もなくなったらしい男の様子を見て、ロイクは部下に連れていくよう指示を出した。
意識のなかった残りの四人も各々引きずられていく。内二人が引きずられる衝撃で目を覚まし、ずっと敵意むき出しだった男と同じくわめきだす。煩そうに目を細めた団員の一人が鳩尾に一発叩き込んで、強制的に寝かしつけたのを美嘉は見てしまった。是非もなし。
騎士団が撤退していくのを何となく眺めていると、ロイクがそっと美嘉を抱き寄せた。
されるままに胸に耳をつけると、ロイクの心臓が美嘉と同じくらいの速度で早鐘を打っていた。
「これでお前の存在が周知される。あの襲撃犯を通じて上の方へも通達が行くはずだ。そつすれば、お前をここへ喚んだ人間の耳にも入るだろう」
「私を、よんだ……?」
不審なロイクの様子を不思議に思って、美嘉はロイクを見上げる。
ロイクはいつも以上に眉間を皺に寄せ、深く息をつく。
わずかに苦悶の表情を浮かべたロイクが、美嘉の耳に唇を寄せた。
「……すまない」
「ロイクさん……?」
「後で話す。だが、これだけは信じて欲しい。ミカは俺のものだと、誰も手を出すなと言いたかった」
―――これで何回目だろう。
ロイクの言葉に絶句する。
じわじわと、熱がせり上がってくる。
顔を下げてロイクの胸に耳を押しつければ、美嘉とロイクの心臓が交互に鐘を打っている。
真っ直ぐに伝わるロイクの独占欲に、心のどこかが嬉しいと跳ねている。
羞恥心に耐えきれず、二人で微動だにすることもできずにいれば、ごほんと誰かが咳払いした。
「旦那様、皆様おまちかねですよ」
サロモンがつと視線を外に向ける。
視線の先には指示をもらえずにいた騎士の部隊の一部が居心地悪そうにこちらを見ていた。
美嘉は見られていたことに気がついてますます頬を染め上げるけれど、ロイクは深く息をついただけでそっと体を離した。
「戻る」
離れる体温に名残惜しく思いながらも、美嘉は微笑んで「いってらっしゃい」を告げた。
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