第12話 見えない誰かのシソンヌ・フェルテ2

 美嘉に拒絶された翌日、ロイクの機嫌はすこぶる悪かった。

 ロイクが『妖精』の存在をランディに教えてからというもの、あれこれと妖精がいかに可愛いかを延々と効かされ続けている日々が続いていたというのに、今日はそれが一切ない。

 それを不気味に思ったらしいランディから、書類と共に遠慮気味に言葉が投げかけられた。


「何かあったんですか?」

「なにも」

「うっそだぁ~」


 ロイクはランディから受け取った書類を横へと積み、目を通していた書類に報告済みを証明するサインをする。

 その間にもランディは一人でしゃべる。


「団長、マジで何があったんですか。朝から機嫌悪いですよね? 団員が怯えてこの部屋近づかないんですけど」

「……」

「その目。その目が怖いんですって。殺気も抑えてくれません? こえーわ」


 一人でしゃべり続けるランディを、ロイクはじとりと睨みつけた。

 普通の騎士団員ならそれだけで怯み口を閉じるだろうが、ランディはそんなものお構いなしだ。こんなことでいちいち怯んでいたら、ロイクの補佐官なんて勤まらない。


「朝から機嫌が悪いってことは、どうせ家で何かあったんでしょ。団長、ミカ嬢と何かありました?」

「何もない」

「殺気二割増しすんな。図星っすよね?」


 ロイクは押し黙る。

 ランディのこういう物怖じしないところは補佐官としてかなり重宝しているが、今ばかりは恨みがましく感じてしまう。

 ランディは呆れたように大きくため息をつくと、ロイクが積み上げた決裁済みの書類を回収していく。


「喧嘩でもなんでもいいですけど、あんまり仲違いはおすすめしませんよ。団長があの子を手元に置いておきたいなら、ですが」

「別に喧嘩はしていない……」

「じゃあなんで不機嫌なんですか」


 ランディに突っ込まれれば、やはりロイクは黙りこむ。

 ランディはこりゃ駄目だと肩を竦め、やれやれと首を振る。

 正直なところ、ロイクも自分がこんなに不機嫌になる理由が知りたかった。

 ロイクは今まで一人の女に対してここまで心がかき乱されることはなかった。

 美嘉が涙をこぼす度、その涙をぬぐってやりたいし、美嘉が笑うのなら何でもしてやりたいと思う。

 美嘉のことを大切にしたい、いつくしみたい、彼女の存在を肯定し、寄り添ってやりたい。

 この感情に名前をつけるとするのなら、「愛」というはずだ。

 だが、それでは駄目らしい。

 美嘉にとって「愛」というものは歓迎できるものではないらしい。

 ロイクはこういう恋愛沙汰にはとんと疎く、自分には無縁のものだと思ってきた。

 そんな自分が一世一代の告白をしたにも関わらず、それを拒絶されて平常心でいられるわけもなく。

 ランディのしつこい追及に不機嫌を通り越して苛立ってきたロイクは、つい手元に力を入れすぎた。

 ロイクの握力に耐えきれなかったらしいペンが、半ばから折れる。


「あ」

「……」

「えー……と?」

「……お前のせいだぞ」

「いや……、…………ハイ。黙ります」


 さすがのランディもすごすご引き下がった。

 ロイクは胸の奥にわだかまる混沌とした感情を吐き出すように深く息をつくと、折れたペンを屑箱にいれ、新しいものを机の引き出しから取り出した。

 ランディも決裁済みの書類を返却部署ごとに仕分けするために自分の机へと戻っていく。

 ロイクはその姿を何気なく視線で追ってから、次の書類へと目を通した。

 そこに書かれているのは、この国の魔術師の一人とその取り巻きの、ここ数ヵ月に渡る行動記録だ。

 報告書を読むと、美嘉がロイクの元に降ってきたのと同じ日、同じ時間に、大がかりな儀式が城の魔術師塔で行われたことが分かった。

 ロイクは目を細め、報告書の仔細を読み込む。

 最後、報告書の責任者の欄を見れば、今目の前でやる気なさそうに書類の仕訳をしている赤髪の補佐官の名前が書いてあった。


「……ランディ、この件だが」

「何すか。俺もう、あんたらの痴話喧嘩には口出しませんよ」


 やさぐれたように返事をするランディに、ロイクは自分の態度がそうさせたのかと申し訳なさを感じ、眉を少しだけ下へとさげる。


「すまない。お前に当たりたかったわけじゃない……」

「……だぁぁぁ! そういうとこですよ、団長! そういうとこ! そう萎れた声出さないでもらえます!? 調子狂うわ!」


 覇気のない声で謝罪するロイクを一喝し、勢いでランディは椅子から立ち上がった。

 そのランディに、ロイクは今読んでいた報告書を持ち上げて見せる。


「この報告書について幾つか聞きたい」

「ったく……ああもう、どれです」


 ランディは仕分け中の書類をそのままに、つかつかとロイクの執務机に近づくと、ロイクの持つ報告書を受け取った。

 一目通して、報告書の内容を思い出す。


「あー、これですか」

「儀式を行った魔術師にオーバン・デベルナールがいるが、このとりまきも第二王子派で間違いないか?」

「そう考えるのが打倒じゃないですか?」

「儀式は守護魔獣召喚の実地試験とあるが」

「表向きはそうですね。でも団長、何か気になったから俺に声をかけたんでしょ」


 分かっていますよ、と言わんばかりにランディの表情がにやけた。


「そこにも書いてますけど、儀式はオーバン殿主導の守護魔獣召喚の実地試験だったらしいんですが、失敗になってます。で、それがちょうど団長のところにミカ嬢が現れた日と一致するんですよね。この国唯一の召喚魔術が使える人間が、ミカ嬢が現れた日の同日同時刻に魔術儀式を執り行ってる。その上、儀式に参加した魔術師は全員第二王子派。完全に裏があると踏んでいいのでは?」


 報告書にも挙げた通りのことをランディが確かめるように言えば、ロイクは低く唸った。


「目的はなんだ」

「さぁ? 最初からミカ嬢を召喚するつもりだったのかもだけど、本当に召喚の儀式が失敗した可能性もあります。それは本人に直接聞かないことには、ですね」

「最近の第二王子派の動向はどうだ」

「第二王子の嫁探しに忙しそうですよ。あっちの令嬢、こっちの令嬢、他国の姫……第一王子に婚約者が現れたんで、躍起になってる感じが否めないですねぇ」


 ロイクの疑問にぼやくように返したランディは、はたと何かに気がついたように動きを止めた。

 おもむろに首を捻り、腕を組み、低く唸る。


「んんん?」

「どうした」

「なーんか、どっかで聞いたことのある話だなぁと」


 喉につっかえているような感覚。

 ランディは自分の記憶を揺り起こして、どうにかその違和感の元を見出だそうと試みる。

 そしてその試みは成功した。


「思い出した。団長、『異界渡りの姫君』の伝承って知ってます?」

「百年くらい前の出生不明の王妃が、異界の住人だったという話か」


 ロイクはそれだけでランディの言いたいこと理解した。

 それは美嘉が、第二王子の花嫁として召喚された異界の姫君であるという可能性。

 夢物語のようではあるが、あながち冗談とも言いきれなくて、ロイクはますます険しい顔になる。

 まず第一に、先日第一王子が婚約発表をしたこと。これに焦った第二王子派が早々に第二王子へと婚約者をあてがおうと動いているのは間違いないこと。

 第二に、第二王子派の筆頭はこの国の魔術師でも随一とされる召喚魔術に長けた人物であるということ。

 第三に、不自然なほど唐突に現れた少女の存在。

 すべて、辻褄があってしまう。

 ランディの言う通り、第二王子派の目的が本当に異界の姫君の召喚であるとするなら、万が一にも美嘉の存在が知られればロイクの元から引き離されるのは必定だ。

 伝承を利用してまで第一王子に対抗しようとする第二王子派には呆れるばかり。

 その阿呆共に美嘉を奪われるなんてこと、想像するだけでも許しがたい。

 とはいえ、美嘉が帰りたいと泣いたとしても、ロイクももう、彼女を手放すつもりは毛頭ないけれど。

 だが、自分ではない別の人間が美嘉を囲うのは度しがたい。

 ロイクのまとう気配に、怒りが孕む。

 執務室という空間が、圧迫されたかのように息苦しくなる。


「……なんつー殺気を出してるんすか。普通にこえーよ。ほらほら、うっかり新人がその殺気に当てられたら、それこそ目もあてらんねぇんで落ち着いてください」


 ランディが呆れたように言う。平気そうなランディでも机の脇に立て掛けていた剣に一瞬手が伸びるところだった。訓練されたランディだからこそではあるが、新人が当てられたら剣に手を伸ばす前に腰を抜かすだろう。


「団長に書いてきてもらった調査書から薄々予想はしてたけど、これはもう九割九分ミカ嬢が異界人ってことが確定したわけです。ま、だからこそ、こっちも間違った手を打たずに済む。失敗さえしなけりゃ成功だ。団長の言葉でしょーが」


 やれやれといった体で窘めるランディに、ロイクは知らずの内に放っていた殺気を、深く息を吐くことで一呼吸の内におさめる。

 相も変わらずの不機嫌そうな表情に今ばかりは険しさも含めて、ロイクはサインした書類をランディに突き返した。


「……今日ほど自分が団長であった事をありがたいと思ったことはない」

「さいですか。俺はちょっと補佐官なのを後悔してますけどね。仕事多いわ」

「お前には感謝している。いてもらわねば、俺こそ団長で居続けられたかどうか」


 ランディが軽口を叩くけれど、ロイクはそれに大真面目に感謝の意を述べた。

 対するランディは肩をすくめて見せる。


「恥ずかしいこと言ってないでさっさとやることやりましょうか。あちらさんもいつこちらに気づくか知れませんし」

「そうだな」


 一つ頷いたロイクは立ち上がると謁見用の騎士のジャケットに腕を通し、騎士団長にだけ与えられる豪奢な刺繍入りのマントを肩に留める。

 柔らかな黒の布地に、祭典で映えるように金糸で騎士団の紋章が縫われているマント。

 威厳と礼節を体現したその姿は、まさしく騎士団長として相応しい姿で。

 最後に愛剣を腰に差すと、ロイクはマントをなびかせる。


「では行ってくる。何かあったら頼むぞ」

「何も無いように穏便にしてくださいよー」


 ひらひらと手を振って、ランディはロイクを見送る。

 ロイクは部屋を出た瞬間、身を引き締め、戦場にいるかの如く鋭い視線を廊下の先へと向けた。

 殺伐とした気配を身にまとい、ロイクは歩みを進めた。

 途中、死地へと赴くような騎士団長の姿に、すれ違う騎士達がごくりと生唾を飲み込む。

 その内の何人かはやれ事件かと慌てて副団長であるランディの元へとやって来る始末。

 次々と執務室に駆け込んでくる慌てた様子の部下達が三人を越えた辺りで、ランディは爆笑し始め、「団長は好きな女の子をキープするために国王に謁見しにいった」とさらに部下達の度肝を抜いたのであった。



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